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[甲子園]第9日 大阪桐蔭、惜しい! 7回を除く毎回得点の猛攻。唯一の達成はあのPL学園

楊順行スポーツライター
筆者のスコアブック。なんとも黒い(撮影/筆者)

 それにしても、ド派手だった。なにがって、大阪桐蔭の勝ちっぷりである。

「粘り強く攻撃も守りもやってくれました。大量得点というよりも、8イニングで取った感じです。4投手がしっかりゼロに抑えてくれた。残っているのはいいチームばかりなので、ここからは粘り強くひたむきに野球ができるか、です」

 とは西谷浩一監督だが、それにしても埼玉を勝ち抜いた実力校の聖望学園を19対0である。

 もともと、力があるのはわかりきっていた。優勝したセンバツでは、市和歌山との準々決勝で、チーム1試合6本塁打の最多タイ記録(1984年・PL学園[大阪]についで2回目)。同じ試合のチーム1試合最多塁打43は新記録だし、1イニング3本塁打は2011年の九州国際大付(福岡)に続く2回目と記録ラッシュ。終わってみれば大会11本塁打も新記録で、不戦勝を除く4試合のチーム打率が.386、得点は51を数えた。

 そういう打線である。旭川大(北北海道)との初戦は6得点と控えめだったが、この日は聖望がくり出すのべ4投手に容赦なく、25安打19得点だ。それも、7回を除く毎回得点。もし7回に1点でも取っていれば、85年のこれもPL学園に並ぶ史上2度目の大記録だった。さらにまた先発全員の19得点は、大阪桐蔭にとって夏の大会最多で、25安打というのは大会歴代3位タイらしい。松尾汐恩は8、9回に2打席連続本塁打して甲子園通算5本とし、OBの平田良介(現中日)、森友哉(現西武)、藤原恭大(現ロッテ)と並んだ。

唯一の大記録はあのPL学園

 実は、唯一の毎回得点を取材している。

・1985年8月14日 第67回全国高校野球選手権

東海大山形(山形) 001 000 015=7

P L 学 園(大阪) 254 362 52x=29

 2時間40分の試合時間のうち、2時間10分がPLの攻撃。このときが初めての甲子園取材で、スコアブックをつけるのに慣れていない新米としては、なんとも忙しい試合だった。

 このときのPLの主将・松山秀明(元オリックス)に話を聞いたことがある。

 49の代表校のうち、しんがりから2試合目。2回戦からという抽選の結果に、PLナインはクジを引いた松山に文句をつけた。1試合、少ないやんけ。かりに決勝まで戦うとすると、1回戦からなら6試合だが、2回戦からだと5試合なのだ。つまり、相手どうこうは関係ない。打者陣は、1打席でも多く打ちたいので、松山はいつも「じゃんけんで勝ったら、先攻を取れ」といわれた。だが松山は、じゃんけんが弱く、この東海大山形との試合も負けて後攻だった。

 当時のPLは83年夏、桑田真澄(元巨人など)と清原和博(元西武など)の1年生KKコンビを中心に優勝すると、84年春・準優勝、夏・準優勝、85年春ベスト4と、史上最強といわれるチーム。そういう集団が、やっと試合ができる……と爆発した結果が29点だ。

 後攻。9回の攻撃があるかどうかわからないから、最初から集中した。初回から2点を入れるともう止まらない。2回は6安打で5点、3回4安打4点、4回は内匠政博(元近鉄)のホームランなど、2安打3点、5回7安打6点……。5回終了時点で20対1、「もう、勘弁してくれよ……」。山形の一塁手・加藤健一は、何度も一塁にやってくるPLの走者にもらした。

 右ヒジの故障がありながら先発した藤原安弘は、21安打を浴びてマウンドを降りた。投手が安達政広に代わった残り3イニングでも、11安打9点。終わってみればPLには、3安打以上のいわゆる猛打賞が下位の七番・桑田、八番・杉本隆雄、九番・笹岡伸好も含めて6人。笹岡にいたっては6打数6安打だ。

 KKの集大成ともいえる新チームがスタートした84年秋以降を、松山が振り返る。

「各自が自立していたから、キャプテンになっても、チームワークなんて必要だとは思いませんでした。球を捕るのも打つのも自分で、誰も助けてくれない。自分がいいパフォーマンスをし、それが集まってチームになればいいという考えで、人をカバーする前に、まず自分。とにかく、自分を表現することが楽しみなんです」

紅白戦が大阪の決勝レベル

 当時のPLは、練習試合が極端に少なかった。そのころの人気は異常で、決して足の便がいいとはいえない大阪・富田林のグラウンドに、平日でさえ50人以上のファンが見学に来る。もし練習試合をすれば、さらにファンが殺到して混乱することが目に見えている。だから、練習試合は年間10試合にも満たない。

 逆転のPLと呼ばれた神がかり的な力は、試合経験を豊富に積むことでしか鍛えられないだろう。では、どうしていたのか。

「確かに練習試合は少ないんですが、秋の公式戦が終わってからは、毎日が紅白戦です。監督やコーチは指示を出さず、選手間でサインを出し、試合を進めていく。そして、負けたほうにはペナルティがあって、勝ったらグラウンド10周のランニングのところを、負けたら20周、コールドなら40周……。

 だからホントに、必死になるんです。相手が控えピッチャーでも、ほかの強豪では十分エース級ですから、そんなには打てません。戦術も考えるし、集中もするし。ふつうのチームと練習試合をするよりは、内容は格段に濃いと思います。もしかすると、大阪の決勝くらいのレベルだったかも……。だから公式戦になれば、存分に自分たちを表現できたんだと思います」

 さて、毎回得点の東海大山形戦。大量リードしたベンチは、「もう打つなや、はや終わらせようや」と口ではいいながら、打ちに打った。この試合でPLが残した大会記録は毎回得点のほかに、

・1試合 チーム最高打率・593

・     チーム最多安打 32

・     チーム最多得点 29

・     チーム最多打点 27

・     チーム最多塁打 45

・     個人最多安打 6 笹岡伸好

 がいまだに破られていない。

 さて、この勝利で大阪桐蔭は、県岐阜商を抜いて歴代9位の夏40勝、智弁和歌山を抜いて歴代9位の甲子園通算71勝。センバツでは記録ずくめだった大阪桐蔭打線が、この夏もなにかをやってくれるだろうか。むろん、3度目の春夏連覇なんてのは、破天荒すぎるが。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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