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市長と行政を訴える「怒り」の受動喫煙「裁判」神奈川で

石田雅彦科学ジャーナリスト
大和市にある中央林間駅の喫煙所:撮影:筆者

 タバコや受動喫煙に対する裁判では、タバコ会社や職場を相手取って訴える事例が多い。今回、市長と行政に対し、市が設置した喫煙所の近くを通勤する男性が訴えを起こした。始まったばかりで裁判の結果がどうなるかまだわからないが、全国で同じような訴訟が起きる可能性がある。

まだ受動喫煙に苦しむ人が

 国が健康増進法を改正し、受動喫煙防止に動き出した。東京都や千葉市など、全国の各自治体でも国より厳しい独自の受動喫煙防止条例が誕生し始めてもいる。先日、コンビニエンスストア・チェーンのセブン-イレブンが都内限定(加盟店判断)だが、店頭に置かれている灰皿を全廃するとの各社報道が出て話題になった。

 このように、他人の発生させるタバコ煙に悩む人にとって、少しは過ごしやすい環境になりつつあるようだ。しかし、街角には依然として喫煙所が存在し、そこから漂ってくるタバコ煙に苦しめられる人も多い。

 喫煙者は自分が発生させるタバコ煙についてあまり気にしないが、タバコを吸わない人間にとってタバコ煙はときに凶悪な毒ガスに感じることもある。これは大げさな表現ではなく、加熱式タバコを含むタバコ煙で呼吸が困難になったり喘息などを発症する人もいるのだ。

 都内に住む小森(42歳、仮名)さんもその一人だ。鎌倉市の電気通信事業者に勤務する小森さんは、東急田園都市線で中央林間駅まで行き、その後、小田急江ノ島線に乗り換える。

 東急中央林間駅から小田急中央林間駅までの間はアーケード商店街になっていて、雨に濡れずに改札間を往き来できるが、高架になっている小田急線のホーム下にある喫煙所の脇を通らなければならない。

 小森さんは生後6カ月頃から気管支喘息に苦しんできたが、その原因は同居していた祖父が吸っていたタバコだったという。祖父が亡くなって喫煙者と同居しなくなったら喘息の発作がほぼなくなったからだ。

 だが、中学生の頃、職員室へ行くとタバコ臭く、学校やタバコ煙のあるところでは喘息が悪化した。

 タバコ煙に敏感な小森さんは、中央林間駅の喫煙所に限らず、喫煙者の近くを通るたびに息が苦しくなって呼吸が困難な状態になる。これはアイコス(IQOS)などの加熱式タバコでも同様だという。

通路に面したタバコ煙漂う喫煙所

 小森さんが通勤時に中央林間駅の喫煙所近くを通過する時間は約20秒間だ。その間、息を止めて我慢し続けてきたが、風向きによっては喫煙所から離れた場所にもタバコ煙が漂ってくる。

 堪忍袋の緒が切れた小森さんが調べてみると、喫煙所と設置された灰皿などは2009年1月頃に日本たばこ産業(JT)が大和市に寄贈したもので、管理は市が行っていることがわかった。

 大和市の大木哲市長に対し、喫煙所の撤去を要望したのが2018年7月、同年9月に同市より撤去はできないとの回答がきたという。小森さんは、歯科医師でもある大木市長の10万人の通過者に対する受動喫煙防止への後ろ向きの態度に訴えを起こす決意をし、再度、9月に内容証明で訴訟することを同市へ伝えたが同じような回答しかこなかった。

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神奈川県大和市の中央林間駅にある喫煙所。植栽の内側が喫煙エリアだが、そこから出てタバコを吸う人の姿も。撮影:筆者

 この喫煙所、現地で確認するとアーケードに直面してはいないものの、アーケードと直交する通路を半分ほど占拠して設置されている。小森さんが小田急に確認したところ、タバコ煙に対する苦情はかなり以前から寄せられ、小田急も喫煙所の撤去を市に依頼し続けてきたのだという。

 アーケードからの距離は10メートルほどだが、乗降客が多い乗換駅でもあり、喫煙者が多いため、かなり強いタバコ煙が発生している。また、通路はアーケードを横断するようになっているので子ども連れも多く通行し、彼らはタバコ煙をまともに浴びているような状況だ。また、喫煙所から出てタバコを吸う喫煙者も散見された。

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喫煙所の横は子どもを乗せた自転車も頻繁に通行する。撮影:筆者

 小森さんと大和市はその後も喫煙所の撤去をめぐって折衝を続けたが埒があかず、2018年10月に小森さんは藤沢簡易裁判所へ大和市と大和市長を相手取った少額訴訟を起こす。請求は同喫煙所からの副流煙による健康被害をこうむった慰謝料としての30万円だが、大和市の管理する全ての喫煙所の廃止・撤去が和解条件にもなっている。

同じような事例は後に続くか

 藤沢簡易裁判所はいったん少額訴訟として同訴状を受けたが、専門性の高い審理が必要でもあるということで横浜地裁の通常裁判に移行した。小森さんは代理人弁護士を立てず、自ら訴状を作成し、準備書面を用意して裁判に臨んでいるが、2018年12月21日に第1回の審理が横浜地裁第606号法廷で行われている。

 大和市の生活環境保全課に確認したところ、訴えがあったことを確認し、被告代理人弁護士が提出した答弁書以外についてはノーコメントとのことだった。答弁書によれば、喫煙所の設置と管理について大和市に落ち度はなく、そのため喫煙所からの副流煙による健康被害に対する慰謝料について否認ないし争うとなっている。

 裁判は始まったばかりだが、小森さんはけっして金銭目的の訴訟ではなく、喫煙所が撤去されればそれでいいのだという。もちろん喘息が引き起こされたことが直接の動機だが、法律に詳しくない理系技術者が社会勉強の1つであり自分の子どもへの教育の一環と考え、自ら調べて訴状と準備書面を作成した。

 2010年にも都内で同様の訴訟がなされ、公園の灰皿が撤去されたことがある。小森さんの場合も代理人弁護士には依頼せず、少額訴訟のため、印紙代と郵送費を合わせても1万円弱しかかかっていない。

 そして、野放しになっている喫煙所からのタバコ煙に悩む人も個別に行政に対し、後に続いて同じような裁判を起こしたらいいのでは、と主張する。

 公衆喫煙所は、大和市のように日本たばこ産業が無償で提供設置したものが多い。同社は設置はするが、撤去には責任を持たない。撤去する費用は行政持ち、つまり税金が使用されるのだ。

 大和市の生活環境保全課によると、2018年12月21日というまさに小森さんが横浜地裁で裁判を起こした日に、中央林間駅の喫煙所を2019年2月1日に閉鎖するというアナウンスを同喫煙所に掲示した。同課によれば、今回の措置と小森さんによる訴訟に直接の関係はないとし、同市が管理する他の喫煙所に対してどうするかという回答は保留した。

 大和市といえば、十数年前に当時の土屋侯保市長が職員採用にあたって合格ライン上に複数の受験者が並んだ場合、タバコを吸わない人を優先して採る方針を打ち出して話題になった。現在も路上喫煙に対して積極的な対策を採っている市でもあるが、中央林間駅の現状はかなり遅れているといわざるを得ない。

 屋外喫煙所を設置する場合、施設にタバコ煙が漏れ出さない設備をつけなければ、受動喫煙を防ぐことができないのは当然だ。中央林間駅の喫煙所には壁もなく、単なる植栽の囲いだけで通路と区切られている。

 タバコ煙は少なくとも十数メートルの距離に到達し、複数の喫煙者がいれば当然その距離も伸びる。中央林間駅は東急・小田急ともに1日の利用者が約10万人の乗換駅だ。通行者が通行するアーケードと喫煙所の距離は10メートルでしかなく、これらの人たちが喫煙所からのタバコ煙を浴びていることになる。

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小森さんが裁判を起こした日に掲示された喫煙所の閉鎖アナウンス。撮影:西條瑞季

 過去のタバコ裁判、受動喫煙被害裁判の判決をみると、司法はタバコによる健康被害の認定に消極的で、タバコ会社が提出した資料を中心に審理を進める傾向にある。タバコに関する裁判に限らず、この国の司法は個人や市民、従業員よりも企業や行政、大組織のほうへ肩入れしているのではないかと残念な疑いを抱くことも少なくない。

 今回の小森さんの裁判の争点は、健康被害による慰謝料請求だが、すでに当該喫煙所の閉鎖措置が予定され、行政の側が実質的な譲歩をした形にみえる。次回の審理は2019年2月だが、その時に中央林間駅の喫煙所はすでに存在しないだろう。

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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