富士山の初冠雪を取り消し 季節の進み方がちょっと変
富士山の初冠雪
令和3年(2021年)9月7日、甲府地方気象台は富士山の初冠雪(速報)を発表しました。
平年より25日早い観測です。
富士山周辺では9月6日から激しい雨が降りましたが、富士山頂の6日の最低気温は氷点下5.8度、平均気温でも氷点下0.3度ですから、富士山頂では雪が降ったと思われます。
初冠雪は、「山の一部が雪等の固形降水により白くなった状態が初めて見えたとき」ですが、この観測をしているのは、付近にある有人の測候所や気象台です。
しかし、全国で100か所以上も存在していた測候所は、機械による測定機能の向上や人員の削減等により、平成22年(2010年)10月までに北海道の帯広測候所と鹿児島県の名瀬測候所を除いて廃止され、特別地域気象観測所へ移行となっています。
このため、初冠雪の観測は、残った気象台等の約50か所からのものだけになっています。
富士山でいえば、ふもとの静岡県三島測候所や山梨県河口湖測候所からの観測がなくなり、甲府地方気象台からの観測のみとなりました。
甲府は、三島や河口湖に比べて遠く、途中の雲によって富士山が見えない可能性が高くなることから、富士山の初冠雪の日は遅れがちとなっています。
例えば、令和2年(2020年)9月28日に、甲府地方気象台は富士山の初冠雪を発表しましたが、一週間ほど前に富士山頂付近では雪が降り、ふもとからは冠雪を見ています。
しかし、甲府地方気象台からは富士山頂付近が冠雪した様子を確認することができなかったため、初冠雪(速報)の発表はありませんでした。
今年も、甲府地方気象台からの速報の発表は、9月7日でしたが、静岡県側からは9月6日にうっすらと雪化粧した姿を見ることができました。
なお、甲府地方気象台も、令和元年(2019年)2月から人による目視観測から自動観測に切り替わっていますが、終了するのは定時観測のみであり、天気予報や気象警報・注意報などのための目視監視は、今後も継続されます。
測候所の場合と違って、無人化ではありませんので、しばらくは甲府からの初冠雪の観測は継続と思われます。
気象庁では初冠雪の観測が終了した地点が多いのですが、自治体等で同様の観測を行っている所があります。
例えば、富士山には、山梨県富士吉田市の富士山課が独自に確認している「富士山初雪化粧日」があります。
これは、平成18年(2006年)から発表しているもので、令和2年(2020年)は9月21日と甲府地方気象の発表より7日早かったのですが、令和3年(2021年)は気象庁の速報と同じ9月7日でした。
気象庁の初冠雪とは定義が違いますので、取り消すことはないと思われます。
本当に初冠雪?
令和3年(2021年)9月7日の富士山の初冠雪については、疑問点があります。
富士山の山頂は、実に1年のうち300日以上も雪が積もっているという厳しい環境のため、どのタイミングを初雪とするか分かりづらい場所です。
気象庁のホームページでは、平成3年(1991年)から16年(2004年)までの平年値として、富士山の初雪を9月17日、終雪を6月5日としていますが、年によっては、初雪なのか終雪なのかわからないことがあります。
気象庁では、令和2年(2020年)3月に予報用語の定義を変更していますが、その中で「初雪」も変更しています。
現在の定義は、「8月1日から翌年の7月31日までに初めて降る雪。みぞれでもよい。」ですので、8月1日以降、最初に降る雪が初雪でまぎれがありません。
しかし、それまでの予報用語の定義では、次のような備考がついていました。
備考 富士山など高い山ではその年最高の日平均気温が出た日以後の雪を初雪とする。
富士山以外には高くて寒い山での観測は行われていませんので、この備考が該当するのは富士山だけです。
そして、その富士山での初雪観測がなくなったことから、備考が意味をなさなくなったかことによる削除です。
中央気象台が統計をはじめた昭和11年(1936年)以降で、もっとも早い初雪は、昭和38年(1963年)の7月31日です。
7月12日の日平均気温7.9度と、日平均気温の最高値を観測したためです。
また、それ以前は、山頂東安河原の臨時観測所で、昭和8年(1933年)7月8日に初雪を観測しています。
7月2日の日平均気温が8.6度と、日平均気温の年最高値を観測したためです。
これらの7月中の初雪の観測は、初雪の定義変更により、初雪ではなくなります。
ただ、令和2年(2020年)3月の予報用語の定義の変更では、初冠雪についての言及はありません。
令和3年(2021年)7月から9月の日平均気温の推移をみると、7月下旬から8月上旬に日平均気温の年最高値を観測していません(図)。
少なくとも、9月20日に10.3度という年最高値を観測していますので、9月6日頃の雪は、昔の定義でいえば初雪ではありません。
初雪の定義変更を準用すると、9月7日の冠雪の観測は初冠雪となりますが、冠雪の定義変更がありませんので、日平均気温の年最高値から、9月7日の冠雪は冬シーズンの遅い冠雪であって、初冠雪ではありません。
このため、気象庁では、9月22日に初冠雪の発表(速報)を取り消しました。
富士山についての初冠雪(確定値)は、もともと秋が深まってから確定するもので、梅雨入りや梅雨明けの確定値が9月に発表されることと似ています。
富士山頂での気象観測
今から126年前の、明治28年(1895年)8月30日に、気象学者である野中至が富士山頂に私費で測候所を開設しました。
中央気象台(現在の気象庁)も、明治22年(1889年)以降に、山頂や山麓の観測を行っていますが、いずれも夏季の30から50日の観測でした。
福岡生まれの野中至は、気象学のためには富士山頂に観測所を設置し、通年観測を行うことが必要であると思い立ち、明治22年(1889年)に大学予備門(現在の東京大学教養学部)を中退し、目標に向かって突き進みます。
中央気象台の協力をとりつけた野中至は、明治28年(1895年)2月16日に富士山冬季初登頂を果たし、富士山頂での越冬が可能であることを確信しています。
そして、同年夏に再び登頂して私財を投じて測候用の小屋、通称、野中小屋(約6坪)を富士山の剣ヶ峰に新設しました。
これが8月30日、富士山測候所記念日です。
中央気象台からは気圧計や温度計、風力計、雨量計などの観測器械に加え、沼津測候所と連絡用の廻光儀が貸与されました。
同年10月12日には、妻・千代子も合流し、二人で富士山頂の冬季観測に挑みますが、この計画は野中夫妻の高山病と栄養失調により失敗し、中央気象台の和田雄治技師らの救援で12月22日に夫妻とも下山しています。
しかし、野中夫妻の冒険は、翌年には落合直文の実録小説『高嶺の雪』に書かれるなど、世間の評判をよび、その後の、本格的な観測所の建設を目指した野中至の様々な活動を支えています。
そして、野中至の事業はのちに中央気象台に引き継がれています。
野中至が観測に最適と選んだ富士山頂の「剣が峰」に中央気象台の富士山測候所が建設されました。
富士山測候所は、平成14年(2004年)以降は無人化され、富士山特別地域気象観測所として自動気象観測装置による気温等の気象観測が行われています。
無人化ですので、人間の目視観測が必要な、雲の種類や初雪等の観測は、平成14年(2004年)をもって終了しています。
タイトル画像の出典:ウェザーマップ提供。
図の出典:気象庁ホームページをもとに筆者作成。