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朝ドラ『あまちゃん』は、「2011年3月11日」をいかに描いたか

碓井広義メディア文化評論家
三陸鉄道リアス線(写真:イメージマート)

朝ドラ『あまちゃん』が放送されたのは、10年前の2013年度上半期です。

ヒロインの天野アキを演じたのは、能年玲奈(現在のん)さん。

その放送開始直後から注目されていたことの1つに、「東日本大震災をどう描くのか」がありました。

ドラマの中の時間設定は、2008年から12年まで。

震災が起きた「2011年3月11日」は避けて通れないものだったからです。

『あまちゃん』が放送されるまでに、震災から2年が経っていました。

しかし、その時点までに、日本のドラマは正面から東日本大震災を描けていませんでした。

たとえば、2013年の1月ドラマで話題となった作品に『最高の離婚』(フジテレビ系)があります。

この作品は、震災をきっかけに結婚した夫婦の物語でしたが、舞台はあくまでも東京でした。

その意味で、『あまちゃん』は“日本初の本格的震災ドラマ”だったのです。

多くの視聴者が「一体どうやって見せるのだろう」と注目していた震災と津波の場面が放送されたのは、2013年9月2日(月)の第133回でした。

冒頭は、東京へと向う、アキの親友・ユイ(橋本愛)が乗っている、三陸鉄道の列車内。

そこに、母・春子(小泉今日子)の「それは突然やってきました」というナレーションが流れます。

そして突然、祖母・夏(宮本信子)の携帯電話が緊急警報を告げました。

結果的に、脚本の宮藤官九郎さんと制作陣は、津波の実写映像を視聴者に見せることをしませんでした。

その代わり、主に2つの表現によってこの惨事を伝えたのです。

1つは観光協会に置かれていた北三陸の「ジオラマ」。その破壊された無残な姿です。

地震で壊れた北三陸の模型で、どこでどんな被害があったのかを語っていました。

もう1つが、列車が止まったトンネルを徒歩で抜けて、外の風景を見た瞬間のユイと駅長の大吉(杉本哲太)の「表情」です。

2人の絶望とも驚きとも取れるような表情を見た多くの視聴者は、それぞれに震災当時を思い浮かべたことでしょう。

さらに、津波が運んできたと思われる、線路の周囲に散乱した瓦礫を短い時間で見せていました。敢えてそれだけにとどめたのです。

この描き方は見事でした。

本物の映像は多くの視聴者の目に焼きついていました。

何より、被災地の皆さんもこのドラマを見ているのです。

あの日の出来事を思い起こさせるには必要かつ十分、しかも表現として優れたものでした。

では、何が優れていたのか。

このドラマのように、「現実性」と「物語性」の入り混じった表現をする場合、作り手側は見る側がどう感じるのかを想像する力を持っていなくてはなりません。

なぜなら、視聴者の中には被災地に住む人も、実際に被災した人もいるわけです。

流す映像やストーリーが、そうした「当事者」の特に精神面に、どんな影響を与えるかを考慮する必要があるからです。

それがまさに制作側の「想像力」です。

さらに、「想像力」による当事者への配慮があった上で、表現として成立させなくてはならない。

このドラマで言えば、被災地以外の場所に住む視聴者をも納得させ得る表現になっていることです。

精一杯の「創造力」を発揮しなくてはなりません。

つまり、「想像力」と「創造力」という2点において、このドラマでの震災の表現は優れていたのです。

今日は、震災から12年となる「3月11日」。

合掌。

メディア文化評論家

1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年間、ドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶大助教授などを経て、2020年まで上智大学文学部新聞学科教授(メディア文化論)。著書『脚本力』(幻冬舎)、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮社)ほか。毎日新聞、日刊ゲンダイ等で放送時評やコラム、週刊新潮で書評の連載中。文化庁「芸術祭賞」審査委員(22年度)、「芸術選奨」選考審査員(18年度~20年度)。

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