中年ボクサーに77万円の激励賞。ボクシングの新しい興行スタイルはなにが斬新なのか
事前から期待を集めた小興行
ボクシングファンなら誰もが満足して視聴を終えたのではないか。8月31日、新宿フェイスで開催され、動画配信サイト「A-Sign Boxing」で配信された「ファーストレートPresents A-Sign BOXING」を見て素直にそう感じられた。
メキシコ帰りの坂井祥紀(横浜光)がメインイベンターを務め、あとはまだ無名の選手たちがアンダーカードに名を連ねたこの日のイベント。新型コロナウイルスの脅威が残った中でも入場者数制限の上で敢然と行われた興行だが、ラインナップを一見すると、特徴のない単なる“クラブファイト”にも見えてくる。
ただ、実際にはこの興行をしばらく楽しみにしていたファンは多かったろう。横浜光ジムの石井一太郎会長、八王子中屋ジムの中屋一生会長という2人の若手プロモーターが仕掛け人となり、事前から様々なプロモーションを展開していたからだ。
クラウドファンディングによる選手への投げ銭、期間限定のオンラインサロンによる情報提供、公開スパーリングの生配信・・・・・etc。精力的なその様々な試みはすでに盛んに報道されており、ここで改めて記すことはないが、中でもYouTubeで選手のパーソナリティを掘り下げたドキュメンタリー動画が好評を博したのはご存知の通りだ。
特に4勝(2KO)11敗2分という戦績の35歳、山口拓也(ワールド日立)のユニークなライフスタイルに脚光を当てた動画が大ヒット。コンビニのバイトで家賃2万のアパートに住み、ヒキガエルを飼い、認知症を患った母親を支えようとする中年ボクサーのドキュメンタリーは再生回数36万を突破。山口の元にはなんと77万円以上の投げ銭が集まり、朝日新聞、日経といった一般紙の電子版に取り上げられるほどの話題になった。
アメリカではお馴染みの手法
山口だけではなく、メキシコ帰りの異色ボクサーとして売り出す坂井も投げ銭で約40万円をゲット。選手たちはもともとのファイトマネーとあわせて相場以上の額を手にすることにもなり、「チケット売り上げなしでも興行を成り立たせる」という主催者の目論みは見事に当たった。
アメリカのボクシングファンにとって、このように個人に焦点をあてたプロモーションフィルムは珍しいものではない。その発端となったのは、2007年のオスカー・デラホーヤ(アメリカ)対フロイド・メイウェザー(アメリカ)戦だった。
実は当初は大人気とは言えず、初PPVのアーツロ・ガッティ戦、初のメガファイトとなったデラホーヤ戦は“Bサイド”だったメイウェザー。そんな彼が超ドル箱になったのは、デラホーヤ戦の前にHBOがスタートさせたドキュメンタリーシリーズ「24/7」と最高のハマり具合をみせたことが大きかった。ここでド派手な私生活を曝け出したことが特に黒人層の興味を惹き、晴れて”マネー・メイウェザー”が誕生。以降のマネーメーカーぶりは歴史に刻まれている。
この成功後、ShowtimeもすぐにHBOを追随し、ビッグファイト前のミニシリーズは常套戦略になった。プレミアケーブル局はオリジナル番組にはしっかりと鍵をかけるのが恒例だが、こういったプロモーション映像はソーシャルメディア上にも積極的に流して露出させる。おかげでファンは選手により感情移入ができるようになり、一部のトップボクサーは抜群の知名度を確立させていったのだった(多くのファンはその選手の試合をPPVを買ってまでは見ないが、私生活は熟知しているという例も多く、少々いびつな構図でもあるが)。
もちろんこれらの映像作りにはコストがかかり、特に米のビッグファイトと日本の小興行では動くお金のケタが違い過ぎる。だとすれば、単純に比較など巡らせるのはもちろん適切ではない。ただ、非常にハイセンスなフィルム作りを得意とする「A-Sign Boxing」のスタッフが新たなシリーズを確立させ、日本でも一定の成果を出したことの意味は大きいのではないか。
選手のパーソナリティを前面に押し出したプロモーションは、今回の投げ銭に限らず、通常のチケット売り上げ促進にも十分に役立つ手法だ。「スポーツエンターテイメントはコピーキャット(模倣)ビジネス」などと呼ばれるが、ShowtimeがすぐにHBOを追随したように、似たようなことに挑むプロモーターが日本でも出てくるだろうか。この場合の模倣は決して恥ずかしいことではなく、今後の展開に期待したいところだ。
絶妙なマッチメイク
もちろん今回のイベントが盛り上がった要因は、主に動画を中心とするプロモーションがうまくいったからというだけではない。何より重要なのは、非常に熱のこもった好ファイトが多かったことに他ならない。
第1試合に登場した富岡浩介(REBOOT.IBA)はアマ歴のあるサウスポーらしいスキルを見せてくれたし、“この日のベストファイト”という声も多かった牛島龍吾(八王子中屋)対大保龍球(神奈川渥美)戦の小気味良い打ち合いは見応えたっぷりだった。
また、ファンを熱くするという意味で、ド派手なKO劇で魅せてくれた佐々木尽(八王子中屋)はほとんど理想的なセミファイナリストだった(セミでなくメインがあの早さで終わってしまうと批判もあるのだが)。そして、36戦のキャリアを持つメインの坂井は、今回のメンバーの中ではやはり毛色の違う技量を誇示してくれた。
結局、どんなに舞台を整えても、どれだけ宣伝に力を入れても、凡戦の連続では場内はしらけた雰囲気になっていたはずだ。そういった意味で、8月31日の鍵は優れたマッチメイク。おかげで約3時間の興行は引き締まった。岩佐亮佑(セレス)、伊藤雅雪(横浜光)という現元世界王者たちの解説が上質だったこともあって、YouTube生配信は無料の小興行としてはほぼ文句のないエンテーテイメントとして仕上がっていたといって良かっただろう。
大切なのはこれから
当日の最大同時視聴者数は4937人(メインイベント)、ユニーク視聴者数(観覧に来た人の総数)は2.7万人、クラウドファウンディングの総額は約360万円という数字も力強い。スポンサー2社がクラウドファウンディングから見つかったことも主催者には嬉しい結果だったようだ。総合的にみて、「ファーストレートPresents A-Sign BOXING」は“成功”と呼んで問題なかったはずである。
石井、中屋、両プロモーターにとって、もちろんこれがゴールではあるまい。ここで新しい興行スタイルを提示した形だが、まだあくまで道の途上。次回以降はノウハウこそ残るものの、目新しさはなくなり、“新スタイル”という意味での話題性は薄れる。そんな中で、今度はどんな斬新なアイデアを見つけ出してくれるか。
次は11月5日、前WBO世界スーパーフェザー級王者・伊藤とOPBFスーパーフェザー級王者・三代大訓(ワタナベ)という好カードを軸に据えた重要な興行(墨田区総合体育館/YouTube生配信)が待っている。
そこでは「“ボクシングの格”を伝えなければならない」と意気込む石井会長は、強豪対決の舞台と雰囲気が、今回と同じであるべきでないことはもちろん承知の上だろう。だとすれば、さらに期待は持てる。気鋭の若手プロモーターたちとスタッフが、今後は何を見せてくれるかが今から楽しみでならない。