小栗旬のドラマ『日本沈没』のサブタイトルはなぜ「希望のひと」だったのか その敵設定の見事さ
「希望のひと」というサブタイトル
TBSドラマ『日本沈没』には「希望のひと」というサブタイトルが付いている。
原作とかなり隔たっているからだろう。
小松左京の原作小説にかなり変更が加えられている。
また「希望のひと」には、別の意図も込められているようにおもう。
このドラマのテーマは「日本が沈没する」ことではない。
「希望」にある。
「希望」を貫こうとする物語になっている。
その貫く姿に心動かされてしまう。
原作小説はもっとSF物語であった
原作は1973年に発表されている。
SF作家である小松左京は、ひとつの「天体」として地球をとらえなおし、そこに「日本の国土だけが沈没する」という奇態な発想を放り込んで、小説に仕立てあげている。
原作では、科学的な説明部分がかなり長い。
また、沈没への前ぶれとして、日本各地で大地震が起こり、火山が爆発し、地殻の変動も起こり、多くの人が巻き込まれて、死んでいる。「東京大地震」で死者が一千万人を越え、死体は放置され、腐臭がすごい、という描写もある。
作品には「そこに住まいなす人たちを含めた日本列島そのもの」を描こうという意志が感じられる。
だから小説の主人公は狂言回しのような役割になっている。政府関係者ではなく、民間企業で働く若者が主人公である。彼は世界を変えられない。
物語は「市井の生活が壊れていくさま」を細かく描写していく。
日本国の中枢から描いたドラマ『日本沈没〜希望のひと〜』
ドラマは違う。
小松左京の作った「発想」だけを借りてきて、あらたに21世紀らしく「日本国側=日本政府側」からの視点で描いている。原作と同じ設定なのはほぼ「田所教授」だけだろう。これは彼が「小松左京の奇態な発想」のほとんどをになっているからである。
ドラマの主人公天海(小栗旬)は環境省の官僚で、官邸直属の「日本未来推進会議」の主要メンバーである。
彼は若いけれど、途中からはほぼ「日本政府」の中枢に立っている。
彼と、会議の同僚の常盤(松山ケンイチ)、それと総理(仲村トオル)&副総理(石橋蓮司)、後半はこの四人でいろんなことを決定していく。
それの中心にいるのは天海(小栗旬)である。
「日本をひとりで救おうとした男の物語」でもある。彼は世界を変えようとしていた。
官僚ながらもトップではない男が日本を動かしているのはちょっとすごい設定だとはおもうが、でも1930年代の日本陸軍を奇妙な方向へ突き動かしたのは、陸軍省のトップではなく、跳ねっ返りの若い将校だったことをおもえば、あながち荒唐無稽な設定とも言えない。
日曜劇場の「敵を打ちまかす」型を守ったドラマ
彼らの戦いを描いている。
逆境をはねのけ、巨大な敵をうちまかし、ときに仇を討つ、というのが「TBS日曜劇場」の型である。
今回は日本が沈没するのだから、沈没と戦えればいいのだけれど、それは地球と戦うことになるので、ちょっとむずかしい。
テーマは希望であり、その「希望の貫徹を邪魔だてする者」が敵となっている。
その敵と戦うドラマである。
なぜ「希望のひと」というサブタイトルなのか
ただ今回のその敵は、少しニュアンスが違う。
彼らもまた敵ながら、それぞれの事情で「日本沈没」に立ち向かおうとしている人たちである。
彼らは彼らの流儀があり、主人公と衝突する。
だから、純粋な敵ではない。「希望」の敵でしかない。
主人公は自分が正しいとおもうことを貫くためにがんばり、向こうも自分の正しいとおもってる別のことのためにがんばっていて、それで衝突する。
相手も完全な悪ではない、というところが今回の特徴である。
「希望のひと」というサブタイトルは、だから、それを邪魔する敵と戦うから、つけられているともいえる。
最初の敵は科学者であった
(以下、8話までのネタバレしています)。
物語の最初、第1話では、主人公たちは地球環境のために働いていて、そこで「関東沈没説」を唱える田所教授(香川照之)が、軽く「敵」のように登場した。
でも彼の唱えていたことは真実である。つまり本当の敵ではない。
主人公(小栗旬)一人だけが、博士の言うこともきちんと聞こうとするので、未来推進会議のメンバーたちと対立する。
中でもそんなことはあり得ないと完全に否定したのが世良教授(國村隼)である。
彼がまず最初の「希望」の敵となった。
主人公は一人動きまわって、教授のデータ改竄を見つけ出し、彼を会議から追い出す。
1話から2話で、最初の敵(関東沈没説を否定する学者)を取り除いた。
副総理の不気味な存在感
総理(仲村トオル)はだいたい主人公側にいる。
それに対して、副総理(石橋蓮司)は経済のことを優先しようとして、たびたび主人公たちと対立する。ただ、このドラマのうまいところは、副総理がたびたび「敵」に見えるのだが、いつもべつのところに本当の敵がいた、という展開を見せるところにある。
二番目の敵は仲間だった
次の敵は、仲間だった。
「主人公以外の日本未来推進会議のメンバー及び総理」である。
本来、主人公に近い考えの人たちであり、善意の人たちである。
みんな関東沈没説を信じ、それに対処しようとして動く。
そのとき主人公は「関東が沈没することは、いますぐに発表したほうがいい」と主張する。ところが、彼以外みんな「それはまずい、せめて二カ月の準備期間を持つべきだ」と言い、多数決でそっちが採用される。
彼らは「敵」ではあるが悪気はない。
「拙速はいけない、丁寧な仕事をやるべきだ」という主張である。ときにとても正しい判断だろう。
でも災害対策としてはいい対処ではない。そう主人公は考える。
主人公の希望の敵となってしまった。
そこで週刊誌記者(杏)と手を組んだ主人公は、情報をリークし、新聞一面で「関東沈没の可能性」という記事をいきなり書いてもらう。
二カ月後を主張していた人たちも、急ぎ対処しなくてはならなくなった。
強引だが、何とか「敵」をしりぞけた。
でも彼は責任を取って、推進会議のメンバーからはずされる。
哀しい「敵」が7話に登場
4話5話は、追い出された主人公とその周辺の家族の話が展開する。
ただ予想より早く関東沈没が起こり、情報リークがあったから人命が守れたと認識され、再び彼は政府中枢近くへ戻る。
そして日本列島全体の沈没が近いということがわかる。
そのとき、田所教授が私利私欲で動いていたという偽情報が流れ、教授は逮捕された。
それは政府内の人物の企みであった。
犯人は官房長官(杉本哲太)。
彼は、自分と家族だけが海外に逃げようとしており、そのためのインサイダー取引を行おうとしていた。
自分の保身のことだけを考えた、哀しい敵である。
彼は地検に連行され、7話で表舞台から消える。
最終状況では「判断ミス」が敵となる
このあと明確な敵は出ない。
沈没が現実化していくので、そっちの比重が大きくなる。
ただ、「国土を失くす民」日本人をどの国に受け入れてもらうかという交渉が進むなか、アメリカと中国を天秤にかけ、その最終判断を総理がミスしてしまう。
中国を怒らせてしまい、まだ秘密であった「日本全土が沈没する」という情報を中国政府に発表されてしまったのだ。
これはいわば「総理の判断ミス」が敵だったと言えるが、まあ、ミスなので敵対行為ではない。そして総理はその身を狙われるというところまでで最終話前である。
原作には描かれていない政府中枢の対立
原作小説ではこういう部分が描かれていない。
小説のテーマは日本全体なので、政府中枢とはいえ、人間の些細な対立については描かれていない。それはあまり小松左京的なテーマではないからだろう。
ただ、もし仔細に政権中枢を描けば、これに似たような展開が描かれていたかもしれない。そういう点では原作世界を大きく変えているわけでもない。
うまく「希望」というテーマに乗せて、「日本の沈没」を日曜9時ドラマらしいスリリングな展開で見せてくれている。
最後の最後は地殻変動が起こってしまい、その大きな敵には呑み込まれていくだろう。
小栗旬ならではの主人公
それでも最後まで人間模様を描いて、見せてくれるはずである。
「日本列島が全部沈む」という壮大なテーマのくせに、それをうまく「人間関係の小さな対立」をからめて見せてくれた。これはこれで日曜劇場らしい仕上がりである。
さほど溌剌としていない「希望のひと」を演じて小栗旬がよかった。
仕事をしていないときの彼はなんだか冴えていなかった。いつも失意に満ちているように見えたのだ。
それでいて前を向いている。
小栗旬ならではの役であった。
とても2021年らしい『日本沈没』だったとおもう。
(最終話前に書いて公開された原稿です)。