"断らない救急"の現場に密着したドキュメンタリー映画が今、我々に訴えかけてくるもの
またも東海テレビが傑作ドキュメンタリー映画を作った
テレビの劣化が叫ばれる今、ドキュメンタリー映画で高評価を獲得しているのが愛知県名古屋市に本社を構える東海テレビだ。同局はこれまでも、暴力団対策法施行以降の暴力団と人権に着目した『ヤクザと憲法』(‘15年)、郊外のニュータウンで50年間暮らす老夫婦の日常を描いた『人生フルーツ』(‘16年)、テレビが凋落した原因を探った『さよならテレビ』(’19)と、傑作ドキュメンタリーを数多く製作し、全国民に送り届けてきた。そして、”東海テレビドキャメンタリー劇場・第15弾”として今週公開されるのが『その鼓動に耳をあてよ』だ。
プロデューサーに訊く"断らない救急"の自然な有り様
今回、スタッフがカメラを持ち込んだのは、名古屋港から北へ3km地点にある名古屋掖済会病院のER(救命救急センター)。脚に釘が刺さった大工職人や自死を図った人、そして、コロナ患者まで、救急車で運ばれてくる人々を絶対に”断らない救急”を目指し、寝る間も惜しんで献身を捧げる医療スタッフたちの素顔が、深い部分まで詳らかにされていく。なぜ、こんな取材が可能だったのか?そこで、『ヤクザと憲法』と『さよならテレビ』を監督し、本作にはプロデューサーとして関わった東海テレビ報道部の圡方宏史プロデューサーに、製作の経緯や動機について訊いた。
――そもそも名古屋掖済会病院のERに着目したきっかけは何だったのですか?
圡方(以下、敬称省略) 偶然ですね。10年前に夕方のニュース番組『NEWS ONE』で特集したのがきっかけです。”救命病棟24時”みたいな企画はないかと思いまして。ニュースは視聴率をとらなくてはいけないので。そういう俗な理由で1回放送したんですよ。なぜ、掖済会だったかは覚えてないんですよ。
そんな偶然から始まった作品が、その後、ニュース番組内での特集コーナーからドキュメンタリー番組へとアップデートされる。本作は文化庁芸術祭優秀賞に輝いたドキュメンタリー番組『はだかのER』(‘22年)を再編集したものだ。監督を任されたのは同局報道部の足立拓朗だ。
――なぜ、今回は圡方さんご本人ではなく足立さんにメガホンを託されたのですか?
圡方 彼は裸ん坊になれる人間なのです。僕はどうしてもテレビの癖がついていて、観察だけしていいところだけを盗み取るタイプでして。足立はテレビに染まってない。取材の対象が物凄くセンシティブな医療関係者ではありましたが、患者さんも含めて、そんな足立の前でありのままを出してくれたのだと思います。だから、足立で大成功でした。
――長く続くコロナ禍では、断りたくなくても断らざるを得なかった病院が全国各地に存在し、我々もその実情は様々な映像を介して見ることになりました。
圡方 断らないというのも最初はポイントではなかったのです。足立と話していて、ERは夜勤もあり過酷で、僕らが身を置くテレビの現場と似ているのに、あの人たちは楽しそうなのはなぜなのだろう、名古屋掖済会病院のERの離職率が低いのはなぜなのだろう、と。そこに興味を持って、自分たちが仕事をする上で何かヒントになることがあるかもしれないと感じました。
ーー重要な取材対象者の1人がERの精鋭である蜂矢医師です。終わりのない激務を飄々とこなし、時には冗談で転職をちらつかせ、オフではサーフィンを楽しむERなんて、ちょっとかっこ良過ぎはしませんか?
圡方 それは病院の土壌が自由だからかもしれません。他の病院だとこういう人は浮いてしまいますよね。足立も最初は蜂矢医師ではなく、もっと真面目なドクターを追いかけていたのですが、やはりこの病院を表すのは蜂矢医師だろうということになりました。完成後、病院に挨拶に行ったらたくさん取材をしても主役にしなかったドクターから怒られましたよ。『あれは蜂矢の映画じゃないか』って。今では笑い話ですけれど。
ーー夜勤明けの蜂矢医師が言います。『この地域から掖済会がなくなっても、第2の掖済会ができるのではないですか?』と。この言葉には逆説的な危機感が表れているのですが、撮影されていてどう感じましたか?
圡方 取材をした足立監督によると、10年ほど前までは、行き場のない患者を積極的に受け入れる病院が、掖済会以外にも多くあったそうです。それが今は激減している。掖済会は理屈として救急を断らないと決めているわけではなく、ぶつぶつ文句を言いながらも、当たり前に、ごく自然に職業倫理が染み付いている。そこが、僕らから見ると眩しいというか、いいなあと思うんです。
ERには歴史も派閥も医局もない
――一方で、病院内で”何でも屋”と言われるERは他の専門医から下に見られているという理不尽な実態も紹介されます。
圡方 ERはまず歴史がないし、医局もないため派閥としても弱い根なし草みたいな存在ですから出世も見込めない。でも、なぜかドラマでは主役ですよね。内科のドクターが主役のドラマなんてあまり見かけない。しかし中に入ってみると、シビアな環境に失望し、現実を選択する医師が多いといいます。そんな中で、2023年、北川センター長がER出身の医師としては名古屋掖済会病院初の医院長になったことは大きな意味があります。それにより”断らない救急”という病院の姿勢がより徹底されたわけですから。北川さんは行政から依頼されて愛知県のコロナ対策のトップにも就任されました。
ーー蜂矢医師、北川センター長と並ぶ3人目のキーパーソンが、研修医としてERにやってくる櫻木医師です。蜂矢医師と苦楽を共にした櫻木医師が、研修期間を終えた時にどの科を希望するのか?そこが見どころでもあります。
圡方 櫻木医師の選択が異なれば、このドキュメンタリーは異なる結論に辿り着いたことでしょう。また、北川センター長がもし医院長にならなかったら、彼は今65歳なので、65歳までに病院を去らなければならず、これもまた、異なる結果になったと思います。
テレビマンがERに憧れる本当の理由
――先程、ERとテレビ業界は似ているとおっしゃいました。テレビにはまだ希望がありますか?
圡方 難しいかもしれません。なぜこの仕事をやっているのかを忘れていることが時折あります。僕たちの仕事は一般の人たちがなかなか行けない場所に代わりに行って、こんな面白いものがあった、こんな許せないことがあったということをまとめて、映像として世の中に出すというのが本来の役割のはずです。今回、ERの在り方に接して、自分もこうありたいと感じました。今のテレビは掖済会のように、数字(利益)だけではないのだとは言い切れない環境ですから。
――では、ドキュメンタリー映画の制作者として、テレビマンとしてどこに喜びを見出しますか?
圡方 作品を観ていただいた方たちから、直接感想を伺えるのが何より嬉しいです。視聴率しかない世界にいるとどうしても疲弊してきますが、この瞬間は生きているという実感があります。
圡方宏史(ひじかた・こうじ)
1976年生まれ、上智大学英文科卒業後、’98年、東海テレビに入社。制作部で情報番組やバラエティ番組のAD、ディレクターを経験した後、’09年、報道部に移動。『ホームレス理事長 退学球児再生計画』(‘13年)でドキュメンタリー映画を初監督。このほか劇場公開作に『ヤクザと憲法』('14年)、『さよならテレビ』('19年)を監督。
『その鼓動に耳をあてよ』
2024年1月27日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー
(C) 東海テレビ放送