今年の東京国際映画祭で注目された1人の青年と1匹の犬『ブラック・ドッグ』の衝撃度
11月6日に幕を閉じた第37回東京国際映画祭では、吉田大八監督の『敵』(1月17日公開)が最高賞の東京グランプリをはじめ3冠を達成。日本映画としては第18回の『雪に願うこと』以来9年ぶりのグランプリ獲得となった。他にも、観客賞を受賞した中国映画の『小さな私』や、”センターピース作品”として特別招待された『グラディエーターⅡ英雄を呼ぶ声』(11月15日公開)の記者会見に、主演のポール・メスカルや11年ぶりの来日となったデンゼル・ワシントンが登場するなど、幾つか忘れ難いトピックがあった。
筆者は、東京の日比谷、有楽町を起点に日々行われたプレススクリーニングで、何作か鑑賞したが、その中でも特に印象深かったのが、”ガラ・セクション”の中の1作として上映された中国映画の『ブラック・ドッグ』だ。今年のカンヌ国際映画祭の”ある視点”部門で最優秀作品賞に輝いた同作は、文化革命の経験がなく、改革開放の中国で成長し、国家の変化を身を以て感じてきた”第6世代”に属するグァン・フー監督の最新作だ。同作はカンヌ映画祭だけでなく、中国国内外で様々な賞を受賞、またはノミネートを勝ち取っている話題作。それを東京でいち早く観られたことは一映画ファンとしてラッキーだった。
とは言え、これを観る気になったのは作品の評価以上に、灰色の荒野を青年がバイクのサイドカーに1匹の犬を乗せて走るキービジュアルに惹かれたからだ。そして、映画は最初のイメージそのままに、美しくて痛々しい荒野が延々と広がる衝撃的な仕上がりだった。
物語は、2008年の北京オリンピック開幕直前。
ゴビ砂漠の端にある故郷の街に、刑務所から出所してきた青年、ラングが帰ってくるところから始まる。ラングはかつて街では人気のスタントバイク乗りでミュージシャンでもあったが、10年前に起こした過失致死の罪で服役していたのだ。しかし、10年ぶりに見た故郷は、多くの住民が去り、彼らが残していった野良犬たちで溢れ返り、ラングの父親は生業にしていた動物園を廃業し、アルコール中毒による健康問題に苦しんでいた。ラングの妹はそんな街を捨てて他で暮らしている。
やがて、ラングは野良犬の駆除によって街全体を改装するという大規模な事業に協力することになり、懸賞金がかかった黒い犬をたまたま捕獲したことから、密かに犬と友情を紡ぐことになる。
観客は、このあたりから国の変化に取り残された青年と1匹の犬に、強いシンパシーを感じ始める。特に、それまでは明らかに敵対していた青年に対して、犬が体を預けるようになる瞬間は犬好きでなくても涙が出る。上映後のトークセッションで壇上に上がったプロデューサーの1人、ジャスティン・オー氏によると、シャオ・シンと名付けられたこの犬には優秀なドッグトレーナーが数名ついていて、ラングを演じる俳優のエディ・ポンも犬好きだったことから、1人と1匹の間には演技とは思えない深い関係が育まれたのだとか。
ちなみに、シャオ・シンはカンヌで栄えある”パルム・ドッグ賞” を受賞。昨年の同映画祭で『落下の解剖学』のメッシが受賞した恒例の犬対象の演技賞だ。そして、シャオ・シンは現在、エディ・ポンの自宅で一緒に暮らしているという。
『ブラック・ドッグ』の最大の見どころは、ゴビ砂漠から吹いてくる風が住民の絶望をさらに深くする、凍えるようなブルーの映像と、北京オリンピックに向けて変わりゆく祖国に置いてけぼりを食らった人々の焦燥感だ。”第6世代”を代表するグァン・フー監督の鋭い視点が際立つ部分でもある。
劇中、一言のセリフもないラングを、細く、引き締まった肉体と端正な表情だけで表現しているエディ・ポンは、台湾生まれ、カナダ在住の現在42歳。映画の公開は2025年でまだ正式にはFIXされていないが、バイクに跨るエディ・ポンとサイドカーから首を出したシャオ・シンの画像を見かけたら、是非チェックして欲しい。
『ブラック・ドッグ』2025年・全国ロードショー
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