韓国の21歳右腕が急逝 彼に「新世界」を見せたDeNAトレーナーが別れを惜しむ
先月23日、韓国KBOリーグ・ハンファイーグルスのキム・ソンフン投手(以下、敬称略)が帰らぬ人となった。21歳という若さだった。
警察によると秋季キャンプを終え、両親が暮らすクァンジュへ帰宅したキム・ソンフンは同地で友人たちと酒を飲み、明け方に酔った状態で9階建ての建物の屋上に上がった。そこで足を滑らせて7階のテラスに転落。救急搬送されるも息を引き取った。酩酊による転落死で事件性はないという。
プロ3年目のキム・ソンフンは、今季開幕直後に先発起用されたチームの有望株。また父がKIAのキム・ミンホコーチということでも注目されていた。将来を嘱望されていたキム・ソンフン。彼にはさらに希望を与えた日本人トレーナーの存在があった。
2014年に韓国に渡った藤尾佳史トレーナー(33)はトゥサンベアーズでトレーニングコーチを務め、昨年はキム・ソンフンが所属したハンファに在籍。現在は横浜DeNAベイスターズでアスレチックトレーナーを務めている。
藤尾トレーナーはキム・ソンフンと出会った頃をこう振り返った。
「僕が1軍のリリーフ投手の担当をしていた時、キム・ソンフンは7月に2軍から上がってきました。いつも1人で遅くまで黙々とトレーニングをする選手で、発達したいい筋肉をしていると思いました。ただ投球動作では肩がスムーズに回って出てこない印象があったので、治療する機会が増えていきました」
身長186cm、体重83kgの恵まれた体格。力強いフォームからのストレートはスピンが利いて球速以上の威力を感じさせたが、腕を柔らかく使って投げるタイプの投手ではなかった。
そこで藤尾トレーナーがキム・ソンフンに着手したのは硬かった首の後ろから肩、背中に広がる僧帽筋(そうぼうきん)を緩めることだった。
「肩甲骨にへばりついた筋肉を“剥がす”というか、動きやすくなるように誘導してあげました」
キム・ソンフンは藤尾トレーナーの治療を受けた直後、右腕を上げると、自身の右肩が以前よりも自然に動くようになったことに驚き、目を丸くしてこういったという。
「新世界です!」
「キム・ソンフンは表情が豊かで、良し悪しがはっきりわかる性格だったので、“新世界です”と言われた時は、本当に効果を実感したのだと思いました」
キム・ソンフンはプロ2年目だったその年の7月、先発投手としてプロ初登板。以後、先発、中継ぎで起用され10試合0勝2敗、防御率3.58でシーズンを終えた。
シーズン終了後の11月、宮崎での教育リーグ・フェニックスリーグにキム・ソンフンはチームの指定強化選手として参加した。それに帯同した藤尾トレーナーは首脳陣からキム・ソンフンをメインで見るようにと指示を受ける。期待の大きさの表れだった。
「キム・ソンフンは僕に、“他の選手にも新世界を見せてあげてください”と言っていました」
強い信頼関係で結ばれたキム・ソンフンと藤尾トレーナー。しかし藤尾トレーナーはそのフェニックスリーグを最後にハンファを離れ、活動の場を以前から望んでいた日本の球団へと移した。いわばキャリアアップだ。
だが藤尾トレーナーは日本に戻ってからもキム・ソンフンとSNSを通して交流を続けた。
「(キム・ソンフンは)人懐っこい性格でしたし、ハンファを離れてからも頑張ってくれと思っていました」
そして今年11月、キム・ソンフンと藤尾トレーナーはフェニックスリーグで久々に再会し、食事を共にした。
キム・ソンフンは酒が入ると何度も同じ言葉を繰り返したという。
「また藤尾コーチ(トレーナー)に治療して欲しいです。早く韓国に帰ってきてください」
今季のキム・ソンフンは15試合に登板し0勝1敗、防御率4.84。プロ3年間で勝ち星はない。自身の飛躍には藤尾トレーナーの力が必要だと思っていたのだろうか。
酔いが回ったキム・ソンフン、そして藤尾トレーナーは「来年、キャンプで会おう」と言葉を交わし、それが最後の別れとなった。
藤尾トレーナーは現在、台湾で行われているアジアウインターベースボールリーグでNPB WHITEチームに帯同中。訃報も台湾で知った。
「ネットのニュースで見てもそれが本当なのか信じられないし、そして台湾ではこのことを話せる人もいません。キム・ソンフンのことはハン・ヨンドク監督(ハンファ)も期待していたので残念でしょうがないです。無念です」
あまりにも短い生涯を閉じたキム・ソンフン。藤尾トレーナーの手には今も彼の筋肉の感触が残っている。