【プレミア12】韓国監督が故・加藤博一さん(元大洋)との写真を財布に忍ばせる理由
プレミア12で韓国代表を率いるキム・ギョンムン監督(61)には肌身離さず持ち歩いている写真がある。キム監督はズボンの左後ろのポケットから財布を出し、その一枚を見せてくれた。
キム監督の右に座るのは西鉄、阪神、横浜大洋でプレーし、大洋ではその俊足から「スーパーカートリオ」の一人として活躍した加藤博一さんだ。
バットを短く持ち、小さく構えた姿勢から野手の間を抜く打球を放ったプレーヤーとしての姿。そして当時では珍しく、シーズンオフのテレビ番組で自身のコーナーを持つという、明るくサービス精神旺盛なキャラクターで人気を集めた。
キム監督と加藤さんの出会いは、キム監督がOBベアーズ(現トゥサンベアーズ)の捕手だった29歳の時、1988年大洋の沖縄・宜野湾キャンプに同僚二人と参加したことに始まる。キム監督ともにキャンプに派遣され、プレミア12では韓国の投手コーチを務める山本一彦(58、チェ・イルオン)LGコーチはこう振り返る。
「キムさんは加藤さんたちと同じベテラン組で動いていて、加藤さんはよく面倒をみてくれたんです。キムさんはバットをたくさんもらったんじゃないかな。僕も加藤さんからハタケヤマのグラブをもらいました」
加藤さんとキム監督の縁は二人が現役を引退してからも途切れることはなかった。加藤さんは野球解説者当時、自費でキャンプ地取材に訪れるなど精力的に活動することで知られていたが、2004年にキム監督がトゥサンで初めて指揮を執った時も、加藤さんは大分県津久見市のキャンプに足を運んでいる。
加藤さんは7歳年下のキム監督のことを「ジャッキー」と呼んでかわいがった。大洋の遊撃手だった高橋雅裕さん(55=BC・群馬コーチ)はその呼び名の理由を「キム監督はジャッキー・チェンに似ていたからですよ」と話す。
若い頃のキム監督の写真を見ると、下がった目尻と丸い鼻が印象的な端正な顔立ち。確かに香港の人気スターを思わせる。加藤さんの着想は、タレント・出川哲朗さんが同級生の内村光良さんを「チェン」と呼ぶのと同じだ。
高橋さんにキム監督が今も加藤さんの写真を持っていることを話すと「僕も持ってますよ」と言って手帳を開いた。
「加藤さん、僕の仲人なんです。ツーショットは持ってないんですよね。これは遺影の写真です」
多くの後輩に慕われ続けた加藤さんは2008年1月21日、肺がんで亡くなった。56歳だった。
キム監督と加藤さんの写真には2007.11.19という日付が記されている。加藤さんが亡くなる約2か月前、当時、キム監督は代表監督として北京オリンピック(五輪)出場権をかけた戦いを前に、沖縄で代表合宿を行っていた。この二人の写真はキム監督が練習休日に神奈川県まで足を伸ばし、逗子市の加藤さんの自宅を訪れて撮ったものだ。
二人が顔を合わせたのはこの日が最後となった。
「兄さん(加藤さん)が亡くなったと聞いて、急いで飛行機に飛び乗って日本に行きました。兄さんからは野球に対する姿勢をたくさん学びました。北京五輪に向けて日本の選手の誰を警戒した方がいいといったアドバイスももらいましたよ」
キム監督は絞り出すように加藤さんとの思い出を話した。
加藤さんとキム監督の両方を知る高橋さんは二人の関係をこう推察する。
「キム監督は加藤さんの葬儀で親族や他の友人と一緒に棺を担いでいました。キム監督は最高の人間。だから加藤さんもキム監督のことを頑張って欲しいと、ずっとかわいがっていたんじゃないですかね」
「頑張れ!!北京」と記された加藤さんの文字。キム監督はその言葉を胸に北京五輪に臨み、韓国代表は2008年8月、9戦全勝で金メダルを手にした。
キム監督は今、プレミア12のスーパーラウンドを戦っている。韓国はこの大会を同じアジア・オセアニア地区の台湾、オーストラリアよりも上位で終えると東京五輪の出場権を手にする。12年前、加藤さんのもとを訪れた時とまったく同じ状況だ。
その戦いの場は日本。キム監督は今、代表監督として初めて日本で指揮を執っている。
「頑張れジャッキー!」
そう声援を送る加藤さんの姿がスタジアムのどこかにきっとある。
(関連項目)プレミア12 日程と結果 韓国代表選手一覧