復帰した名古屋ご当地タレント・宮地佑紀生インタビュー!「ファンと粘着質な関係をつくりたい」
宮地佑紀生氏があの事件から約2年ぶりに復帰!
名古屋で絶大な人気を誇りながら、ラジオ生放送中の暴行というショッキングな事件で表舞台から姿を消したタレントの宮地佑紀生(みやちゆきお)さん(69)。そのおよそ2年ぶりとなるレギュラー番組が10月1日(月)にスタートしました。本格復帰の舞台となったのはCBCラジオの『~ともだちラジオ~本音でゴメン!!』。かつて約20年にわたって冠番組を持っていた東海ラジオからライバル局へ移り、旧知の友である名古屋の大ベテランタレント、“はーさん”こと河原龍夫さんとのコンビでの再出発となりました。
このニュースの第一報は9月17日。Yahoo!ニュースをはじめ多くのネット媒体で取り上げられ、全国的にも注目を集めました。この時にはユーザーからのコメントはクレームが目立ち、タレントの不祥事に対する世間の目の厳しさもあらためて感じさせられました。とはいえ、こうした反応は当事者もある程度予想し、覚悟していたはず。それでも宮地さんが芸能活動を再開することになった裏には、本人や関係者のどんな思いがあったのでしょうか?
※昨年12月のつボイノリオさんのイベント出演に関しては当サイト記事『消えたご当地タレント・宮地佑紀生“復帰舞台”の意外な反応』参照
Yahoo!の第一報では炎上状態となったが…
「私にとっては、他人への気づかいとかいろんなことを教えてくれた人。何十年もの間に培われてきた、独特の庶民感覚をともなった話術には得難い価値がある。そういう宮地さんが積み上げてきたものがこのままなかったものになってしまうのはあまりにももったいない、と思っていました」
こう語るのは宮地さんとは何十年の付き合いという番組スタッフ。そして、担当プロデューサーの長谷川達也さんは、リスナーの反応について次のように話します。
「復帰を最初に報じたYahoo!ニュースのコメント欄は批判的な内容がほとんどでした。一方で、翌18日に宮地さんがCBCラジオの『聞けば聞くほど』に生出演して新番組出演を報告した際には、リスナーからたくさんのメールが寄せられ、その多くは復帰を温かく迎えるものでした」
SNSなどネットのコメントを見ると、宮地さんの番組を聴いたことがないであろう人からのもの、そして誤解に基づいたものが少なからず見受けられます。当事者との距離が遠いほど、自分には直接かかわりがないにもかかわらず(かかわりがないからこそ)、批判的になり、排除しようという主張が強くなるのです。
「怖くない?」と心配されたアシスタントのサプライズ起用
「『大丈夫?』『怖くない?』とお友達から心配されちゃいました」と苦笑いするのは番組アシスタントの小倉理恵さん。彼女もまた、学生時代に宮地さんの番組のADを4年間務めたという旧知の間柄。ただし、番組のメインパーソナリティーが宮地さんであることは直前まで知らされず、事務所はネットの報道で初めて知ったとまたまた苦笑します。
「事前には、曜日と時間しか知らされていなかったんです。びっくりしましたけど、すごくありがたいと思いました。宮地さんは仕事中はやさしいし、オフの時はやさしい上に物静か。その印象は昔と変わらない…というか、以前よりさらに穏やかになった気がします」と宮地さんの人間性を評し、「番組を聴いているうちにそれがリスナーにも伝わるといいな、と思っています」と語ります。
“宮地世代”の事務所社長は「感謝しかない」
「本人や我々事務所の人間がいくら“またやらせてほしい”と思っても、周囲の方たちの思いがなければ扉は開かなかった。感謝しかありません」というのは所属事務所・サンデーフォークプロモーションの代表取締役、伊神悟さん。
伊神さんは、高校生の頃に宮地さんらの『ミッドナイト東海』(東海ラジオ)を聴いて思春期を過ごした深夜放送世代。番組で同社初の社員募集の告知を聞いて入社したという新卒一期生だけあって、宮地さんへの思い入れも人一倍です。
「当社にとっては功労者というべき存在。ファンの皆様におわびする機会もないまま、パーソナリティー人生が幕引きとなってしまうのはしのびなかった。これからは、反省の気持ちはずっと持ち続けた上で、復帰を後押ししてくれた方たちや何よりファンの皆様に放送を通してご恩返ししていきたいと思っています」
放送第1回で語られたファンと世間へのアンサー
第1回の放送の冒頭で、宮地さんは番組タイトルに込められた想いをこんなふうに語りました。
「人は1人では生きられない。そんな中で自分らしく生きていくための4つのキーワードがあります。『ありがとう』『ごめんなさい』『ゆるしてください』『愛してる』。いつも根底にはこの言葉が流れております。いろいろご意見もあろうかと思いますが、心機一転がんばります。ひとつよろしくお願いします」
多くのリスナーが気になっている事件に関する具体的な言及はありませんでしたが、これは当事者間で円満解決となった際にかわされた約束事なのでしょう。しかし、先の言葉の中に、あらゆる意見に対する回答が含まれていると感じました。
宮地佑紀生さん・河原龍夫さん、両パーソナリティー インタビュー
宮地さん、河原さん、2人のパーソナリティーにも、番組、そしてリスナーに対する思いを語ってもらいました。
- おふたりは数十年来の友人同士、勝手知ったる仲ですね。
宮地 「そうなんです。でも、一緒にラジオ番組やるのは初めてなんですよ」
河原 「昔、テレビでちょっと共演して(中京テレビ『ラジオDEごめん』)、その後にしばらくライブを一緒にやってました。ライブでは、2時間の間に演奏するのは5、6曲であとはず~っと2人でしゃべっとったんです。だから宮地さんが次に何をしゃべりたいかは大体分かるつもりなんだけど、今は50%くらいかな。話が脱線したまま何を話しとったか忘れることもあるし、まぁそれも宮地さんらしさではあるんですけど、まさかこんなに苦労するとは思わなかった(笑)」
- 宮地さんにとっては実質的な本格復帰となるわけですが、率直な思いは?
宮地 「うれしいですね。それもはーさんと一緒にやれるなんて。まだ余力があるんですよ。誰かの番組、獲ったろかなといういらん計算がちらっちらっと浮かぶくらい」
- 1回目の放送では“自分らしく生きていくための4つのキーワード”が印象的でした。
宮地 「僕はしゃべりのベースが深夜放送。昔の深夜放送って、笑かせばいいんじゃなくて2~3割はまじめな話もしないとリスナーはついて来ないんです。あと3カ月で70歳で、勢いだけで済む歳じゃないんで、いつまでも(ピーッ★※$)や(ピーッ¥□#)で終わるわけにはいかんもんでね」
河原 「僕は照れくさくて使えないですけど、宮地さんはもともとああいう考え方を持ってる人なんですよ。本来のやさしさとか温かさが集約された言葉だと僕は受け止めました」
- 新番組での共演は、河原さんが盟友・宮地さんに救いの手を差し伸べた格好に見えます。
河原 「去年の暮れにつボイ(ノリオ)さんが自分のイベントに宮地さんを出演させて復帰への道筋をつけてくれて、僕はそのレールに乗ったくらいのもんです。やっぱりつボイさんと宮地さんは、2人で名古屋のラジオを引っ張ってきたよきライバルという間柄ですからね。それでもつボイさんとしては相当な覚悟がいったと思う。宮地さんはイベントのオファーがあった時、躊躇はなかったの?」
宮地 「ない。やる気しかなかった。(今回の新番組に対して)はーさんは?」
河原 「どえらいありましたよ(笑)。いや、それは冗談で、僕はずっと一番の友達だと思ってますから、宮地さんがやる気になってるのなら喜んでそれを受け止めるという気持ちでした」
- 宮地さんは、2年あまりの活動自粛期間中、どんな心境だったのでしょう?
宮地 「僕は商売の方で13軒店を潰して1億の借金抱えたことがあって、それがすごい重圧だったんです。借金を返すためにテレビとラジオのかけもちでレギュラー番組もって、ほとんど寝る間もないくらいの生活を何年も続けてました。病院に担ぎ込まれたこともあって、やっぱり無理があったんでしょうね。だんだん短気にもなっていたと思います。事件の直後もふらふらで、福井の温泉に療養に行って2週間くらいして家へ戻った時に“あぁ、番組なくなっちゃってさびしいなぁ”としみじみ思いました。ほんでも、今まで時間がなくて形にできんままだった絵を描いたりして、浪人生活というか、自分にとっては必要な時間だったんじゃないかと思います」
河原 「僕も含めて周りに迷惑をかけたことは反省してるでしょうね」
宮地 「当たり前だわ。反省はせなあかん」
- 『ともだちラジオ』はこれからどういう番組にしていきたいと考えていらっしゃいますか?
宮地 「ありがたいことに読み切れないくらいのメールやファックスをいただいていて、せっかくだからこれをもっと紹介したい。2時間じゃ全然足りんもんで、今後もっと時間が増えるかもしれません(笑)。読んであげんとファックスは来ないんです。逆に一回でも自分に向けられた言葉を聞くと、もうその番組から離れられんようになる。もうこれで(レギュラー番組は)最後だと思うんで、そういう粘着質の関係をまっぺんファンの人とつくりたいと思っとるんです」
河原 「今はネットで誰でもすぐに意見を発信できて、昔みたいに自分の名前を読んでもらえば満足できた時代とは違うと言われてる。でも、この時代もずっと続くわけじゃないと思ってるんです。面倒くさくてもメールやファックスで『宮地さん、お帰り』と書いてくれる人がいる。それが、1人から10人にでも増えるような番組になればいいし、宮地さんがまた先頭に立ってそういう時代にしてくれるといいなと思ってます」
宮地 「癖ですよね、生活って。それがない人はいないと思うんです。月曜の夕方6時になったらラジオつけてお便り書いて、という癖をたくさんの人につけられたらいいですね」
◆◆◆
『~ともだちラジオ~本音でゴメン!!』、筆者は2回目までの放送を聴きましたが、往年の深夜放送が持っていた、リスナーとパーソナリティーとのよき関係性を生み出すことができる番組だと感じました。2年前の宮地さんの番組打ち切り後、名古屋では全体のラジオ聴取率が下がったそうですが、そんなラジオから離れてしまったこの地域のリスナーが、再び戻ってくることも期待できるんじゃないでしょうか。
宮地さんの復帰に関しては否定的な意見がある反面、温かく迎え入れる声が少なくないのもまた事実です。どちらの立場をとるにしても、まずは番組を聴いた上で判断するのがフェアな態度だと思います。今はローカル番組でも、ラジコで全国どこからでも聴取できます。「名古屋でやらかしたおっさんがどんなことをしゃべっているのか?」、きっかけはそんな冷やかし気分でも構いません。何はともあれ一度耳を傾けてくれることを願ってやみません。
(写真はすべて筆者撮影)