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【戦国こぼれ話】「戦国の傾奇者」伊達政宗の独特の感性と美学とは

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
伊達政宗といえば、「傾奇者」「伊達者」として有名である。(提供:アフロ)

 伊達政宗が眠る瑞鳳殿(宮城県仙台市)では、すす払いが行われた。

 政宗といえば、「傾奇者」「伊達者」として知られ、独特の感性と美学で有名である。そのあたりを解説することにしよう。

■「傾奇者」「伊達者」

 伊達政宗は「傾奇(かぶき)者」「伊達者」という言葉に象徴されるように、優れた美的感覚の持主であった。それは、残された数々の遺品からもうかがえる。

 テレビや映画に登場する政宗は、必ず目立つ衣装に身を包んでいるので、われわれには「派手」という印象が強く脳裏に焼き付いている。

 「傾奇者」の意味は「派手な身なりで異風を好み、常識を逸脱した行動に走る者」であり、「伊達者」は「よく目立つ、しゃれた身なりの人で、粋でおしゃれな男性」ということになろう。

 何よりも政宗は、「鄙(ひな)の華人(田舎の都人)」と称されており、数々の文芸(和歌など)にも秀でていたことが知られている。

 では、政宗の美意識を支えたものとは何だったのだろうか。それは、伊達家の文化的な背景と素養に求められると考えられる。

■政宗の文化的な素養

 天正12年(1584)12月、政宗は18歳で伊達家の家督を相続すると、翌年には正月の恒例行事である「年始御儀式」に臨んでいる。

 そこでは、和歌、連歌、茶、書、乱舞(狂言、能楽)などが必須であった。

 特に連歌の興行では、都から猪苗代兼純(かねずみ)を招くなど、そのレベルは決して都の人々に劣るものではなかった。

 むろん、そうした数々の行事をこなすには、優れた教養と洗練された美意識が必要であった。それは、一朝一夕に醸成されるものではない。

 政宗のみならず、家臣たちも「年始御儀式」に参加しているので、伊達家では伝統的に豊かな文化的な背景を持っていたのは明らかだ。

■伝統文化への深い造詣

 政宗は絵画にも強い関心を持っており、牧渓(もっけい)や月舟といった著名な画家の作品が家に伝来していたという。

 また、師でもある虎哉宗乙(こさい そういつ)は、茶や詩歌を政宗に指導していた。そこでは、禅に基づく独特の世界観が享受されたことであろう。

 政宗は伝統的な文化を尊重しながらも、上洛以後は安土・桃山の絢爛豪華な文化を享受している。それは日本古来の美に止まらず、当時、隆盛を極めた南蛮文化を摂取したものであった。

 加えて、豊臣秀吉は「黄金の茶室」を設けるなどし、派手好きでは政宗に勝るほどだったので、その影響も受けたに違いない。

 政宗独特の美的センスは、古来からの伝統的な教養を背景にした美意識に基づきながら、安土・桃山文化の斬新な美的感覚を取り入れ、形成されたのである。

■まとめ

 政宗が過ごしたのは、粗野な東北地方だった。とはいえ、名門の伊達家は文化的な素養があり、政宗も幼い頃から享受していた。

 同時に政宗といえば、「傾奇者」「伊達者」ということになるが、それはあくまで伝統的文化を受け継ぎ、独自にアレンジしたものだったのである。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『大坂の陣全史 1598-1616』草思社、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書、『関ヶ原合戦全史 1582-1615』草思社など多数。

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