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サンウルブズ木津武士、南アフリカ代表戦は「勝つことはない」と思っていた?【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
激戦に挑む木津(右)。大学時代の同級生であるリーチ主将とともに。(写真:ロイター/アフロ)

世界最高クラスのリーグ戦であるスーパーラグビーに今季から参戦する日本のサンウルブズは、昨秋のワールドカップイングランド大会で日本代表だった選手を10名、擁している。歴史的な3勝の立役者たちだ。

その1人は木津武士。身長183センチ、体重114キロの27歳だ。巨躯同士がぶつかり合うスクラムで最前列中央に入る、フッカーというポジションを務める。

自身初出場となったワールドカップでは、全試合でリザーブ入り。過去優勝2回の南アフリカ代表を下した9月19日も、29―29の同点で迎えた後半29分からブライトンコミュニティースタジアムのピッチに登場した。ノーサイド直前、逆転トライのきっかけとなる敵陣ゴール前左のスクラムを組んだ。

出身の東大阪市の小阪中学校時代は、ラグビーと同時に相撲でも実績を残した。大阪や近畿の土俵を制し、15歳の頃には9つの相撲部屋、18の相撲強豪高校、11のラグビー強豪高校から声がかかっていた。

結局、東海大仰星高校でラグビーの道へ進んだが、その理由を「正直、遊びたかったから」と笑うなど、裏表のない性格で親しまれている。フッカーを始めた東海大学では、イングランド大会のジャパンでキャプテンだったリーチ マイケルと同級生だった。リーチは木津を「何でもストレートに言ってくれるし、面白い」と信頼し、相談を持ち掛けていた。

現在はサンウルブズの一員として身体を張る木津は、1月上旬、国内所属先である神戸製鋼のクラブハウスで単独取材に応じている。内容はおもにイングランド大会に関するものだが、飾らぬ言葉は「ラグビーブーム前夜」の実相を確かに伝え残す。

以下、一問一答(の一部)。

――ワールドカップを終え、日本ラグビー界を取り巻く環境は変わりました。木津選手もテレビに出演するなど…。

「いやいやいやいやいや、そんなもん、関東の人に比べたら全然ですよ。出してくださいよとは言うてるんですけどね。まぁ、大分、変わりましたよね」

――出国前はまさか…。

「ここまでになるとは思わなかったですね。それまで、日本代表はワールドカップで1勝しかしていなかった。2勝したら『ようやった』という感じで帰って来られるとは思ったんですけど、3勝もできた。まぁそれでも、ここまでドン、となるとは…。勝った相手がよかったのでしょうね。初戦で、南アフリカですから」

――その南アフリカ代表戦。正直、エディー・ジョーンズヘッドコーチは勝てると思っていたと感じますか。

「勝てんことはない、とは言っていましたね。ずっと。ただ実際に勝ったら、エディーも『まじで?』みたいになっていたような。僕らとしても、南アフリカ代表を相手にいい試合をして、次の試合以降に繋げよう、という感じでした。終わってから『俺は勝てると思っていた』という選手もいますけど、僕はカッコつけずに『勝つことはないと思っていた』と言います。もちろん、ホンマに勝てると思っていた人もいたと思いますが」

――いざ、キックオフ。ベンチから試合をどう観ましたか。

「前半が終わった時に、『あるかな』とは思いました。皆しっかりタックルに行ってるし、アタックもうまいこと行っていた。『通用してるやん』と思ったんですよ、ハーフタイムの時点で。試合に出ている選手の声を聞いても、『行ける』『どうせやったら勝ちに行こう』と」

――そんななか、木津選手も投入されます。フッカーの堀江翔太副キャプテンに代わっての登場です。

「同点の段階での投入で、もちろんプレッシャーはありました。責任、あるじゃないですか。エディーって普段、(ベンチワークを)手堅く行く。接戦ではメンバーを変えない。よく、ベンチで日和佐(篤、スクラムハーフ、この日リザーブ入り)と『今日、俺らは出られへんかな』と言い合ったりもするんです。フミさん(田中史朗、スクラムハーフ、この日先発)もなかなか交代させられない選手だったので。それなのに、この試合に関しては日和佐も早めに出たし(後半26分から出場)、僕もああいう状況で出してもらえた。リザーブには、チームを勢いづける役割がある。10分間、出し切ろう、と。でも、思ったよりは普通に入れました。プレーをしたら緊張は取れましたね」

――最後のスクラムについて伺います。ノーサイド直前、3点ビハインドの状況で相手が反則。ペナルティーゴールを選択し、決めれば同点。それでも日本代表は、スクラムから逆転トライ(決まれば5点)を狙います。チームメイトの山下裕史選手は、「最後のスクラムだけは悪かった」と話していますが…。

「最後のスクラムの映像、色んなとこで流れまくっているじゃないですか。その直前まで、(その地点でのスクラムで)3本、組み直しをしていたんですけど、(塊が全体的に)横へ移動しながらも前には出られていた。スクラムトライ、狙いに行ったんですよ。

で、最後のやつは、アーリーヒット(レフリーの相図より速めに組み込んできた。ルール上は反則)気味だった。レフリーがペナルティーを取ると思ったんです。でも、そうはならず、ボールも投入された。『これはやばい』と思って慌ててフッキング(足でボールを後ろへかき出す動き)した。そしたら向こうの3番(右プロップ)がぐわーっと内側(木津の懐あたり)に組んできて、スクラムは横流れ。何とか球は確保したんですけど。

あの状況、あの局面。向こうからしたら、ペナルティーは怖くないと思うんですよ。というのも、レフリーはあの場面で認定トライ(反則がなかったら間違いなくトライを決めていたであろう側に、トライと同等の得点を与える)にする勇気はない。もしそれでミスジャッジやったら、それこそ世界を敵に回すかもしれません。レフリーだって人間やし、僕が逆(南アフリカ代表)の立場であっても、そう思って反則を恐れずに仕掛けていく。南アフリカ代表がホンマにそう思っていたかは知らないですよ。ただ、そんな感じで、向こうはガンガン速く仕掛けてきた。それで最後の1本は、こっちが受けてしまったかなと」

――そんな反省点の残るスクラムを経て、ジャパンは逆転トライを奪います。劇的勝利。ジョーンズのもと、4年間の猛練習を耐えた続いた体制の最大の成果です。

「まぁ、世間の流れでは、『後半にバーッと点を取られて…』という展開も考えられた。でも、前半と同じ内容の試合を、後半もやり切れた。エディーの指導は、試合より練習がきついようになっていた。

それは、厳しい練習に耐えてきたからかな、と。そこまでの練習で80分間走り切るフィットネス、フィジカルを鍛えられていた。あまり認めたぁないけど、結果が出てしまった以上、練習が大事だと思ってしまいますよね!」

――練習、やはりハードだったのですね。大会前の4月から8月まで、宮崎で長期合宿を張っていました。

「何が一番きついって、自分の時間がないこと。気が休まるのは、午後の練習が終わってご飯を食べた後から寝るまでの2~3時間ぐらい。朝練があるじゃないですか。だから、テレビをつけることもなく、皆と喋って10、11時には布団に入って寝ようとしていました。おかしくなりそうになった時期もありましたよ。これで結果が出えへんかったら、もう…と」

――決して、平坦な道のりではありませんでした。7月にはスーパーラグビーでプレーしていた選手が合流します。

「6月が一番、『ザ合宿』と言う感じ。そこを経験した人間としていない人間の温度差は、ありましたよね。もちろんスーパーラグビー組は海外でチャレンジをしていたので、僕はそれに対して何も思わないですけど。僕の場合、何かもめた日があっても、次の日からはちゃんとしようという考えなんです。もめたことを次の日もずるすると引きずるなら問題ですけどね」

――たまにぶつかる日があった、というくらい。

「そうそうそう。で、意見を言い合ったりすることはあってもいいんですよ。ただ、引きずるなよ、という話です。よくインタビューとかで『あの時、何かあったんですか』みたいに聞かれる。でも、雰囲気がよくない瞬間はありましたけど、『あの時期はバラバラだった』みたいなのはないんです。

それより、宮崎合宿とスーパーラグビーの契約が同時進行だったことの方が…。時間もなかったのはわかりますけど、ワールドカップに向かって進んでいる時だったので。お互いに『皆で勝ちましょう!』と言っているところで、『お前、あっちには行く?』『行かん』みたいな話になってしまうわけで。…ワールドカップに影響が出なかったんで、よかったですけど」

――グラウンド外の雑事がグラウンド内に影響を及ぼさない。リーチキャプテンを中心とした選手のおかげでもあります。

「リーチは、大学同期というのもありますけど、普段でも一番仲がいい。自分で抱え込んでいたこともあるとは思うんですけど、色々、しょうもないことも含めて相談してきてくれました。『ちゃんと戦術を理解していない選手もいるんじゃないかな。念を押してもう1回、ミーティングをしたいんだけど、どう思う?』とか。僕は『それは時間を割いてでもやるべきなんと違う?』と返しました。そのプレーについて、少しでもわかってへん人がおったら、そのプレーは成功しない。理解度を上げるためにも、色んなミーティングをこまめにやっていましたね」

――軋轢をチームの輪で乗り越える。10月11日のアメリカ代表戦(グロスター・キングスホルムスタジアムで28―18と勝利)直前の練習でも、そんな出来事がありましたね。田中選手には事実関係を確認しましたが…。

「あれ、4年間イチの喧嘩とちゃいます? ナキ(アマナキ・レレイ・マフィ)がオフサイドのポジションからハーフのフミさんにプレッシャーをかけてきた。そんでエディーが『お互いプレッシャーをかけ合って、いい練習だった』と。そうしたらフミさんが『こんな規律を守らへん奴がおるのに、どこがいい練習や!』と怒ってしまった。ナキもナキで、『オフサイドとわかっている。でも、試合ではそういうこと(オフサイドが判定されずプレーが続くシーン)もある』と言い返すんです。その場では、フミさんだけがエディーに呼ばれて、グランドの真ん中で通訳の人(佐藤秀典さん)と3人で…。あれは…通訳する方が困る感じです。

そして、次の日にミーティング。『昨日はこんなことがあったけど、また頑張ろう』と、まるで小学生みたいな仲直りをしていました」

――その向こう側に、歴史的な3勝目がありました。

「今回、(練習量の)底辺をエディーが上げてしまったので、それを落としたらだめですよね。もちろん、もっとスマートにやれるとは思いますけど、まぁ、あれぐらい練習せんと世界には勝たれへん…という感じです」

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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