「全集中の呼吸」は、炭治郎たち鬼殺隊の人々を、どれほどパワーアップさせるのか?
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。マンガやアニメ、特撮番組などを、空想科学の視点から、楽しく考察しています。さて、今週の研究レポートは……。
『鬼滅の刃』劇場版映画が世界興収ランキング1位に! あの優しい世界観や、登場人物たちの魅力が、国や人種を超えて共感されていると思うと、しみじみ嬉しくなる。
そして、世界の人々にぜひ知っていただきたいのが、炭治郎や煉獄さんたちの強さと、その根幹を成す「呼吸法」だ。
彼らが立ち向かう鬼は、力もスピードも人間を圧倒的に上回り、再生能力もすごい。それに対して、鬼殺隊の人々は猛烈な訓練で剣技を磨くとともに、戦いに臨んでは「全集中の呼吸」で身体能力を増大させ、ダメージさえも回復する。
彼らの戦いを支える全集中の呼吸とは、いったいどういうものなのだろうか。
◆修業の山の標高は?
家族を鬼に殺され、唯一残った妹の禰豆子も鬼にされた炭治郎は、鬼殺隊入りをめざし、育手(そだて)の老人・鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)のもとで修業を始めた。
炭治郎は険しい山の上り下りを繰り返しながら、1年半にわたって修業を重ねるのだが、この山の空気は薄かった。このことが、彼の呼吸のトレーニングの第一歩となった。
空気が薄いのは、山の標高が高かったから……ではないだろうか。
人間は空気の濃さが80%を切ると、酸欠の症状が現れるが、その濃さになるのは海抜2300m。たとえば、福島県の尾瀬にある燧ヶ岳(ひうちがたけ)は、標高2356mで東北地方の最高峰。炭治郎が修業した山は、そのレベルの標高だったと思われる。
だが、人間の環境順応力はたいしたもので、実際に海抜5千mの高地に住んでいる人もいる。
それで平気なのは、毛細血管が発達し、血液量も、酸素を運ぶ赤血球も、赤血球のなかで酸素と結びつくヘモグロビンも、筋肉中に酸素を蓄えるミオグロビンも、細胞の呼吸を担当するミトコンドリアも増えているからだ。
スポーツの世界でも、これらの効果で心肺能力を高めるために、高地トレーニングが取り入れられている。
高地トレーニングは、1960年のローマオリンピックでエチオピア(首都アジスアベバは海抜2355m)のアベベ・ビキラ選手(64年の東京五輪でマラソン二連覇)が優勝したことを契機に広まったとされるが、『鬼滅の刃』は大正時代(1912~26年)の話である。育手の左近次は、それより断然早く取り入れていたわけで、さすが江戸時代から鬼狩りを続けてきた元・柱だ!
◆全集中の呼吸とは?
こうした修業を積んで、炭治郎は左近次から「全集中の呼吸」を学んだ。その原理については、かつて左近次の弟子だった真菰(まこも)が説明してくれた。
「“全集中の呼吸”はね、体中の血の巡りと心臓の鼓動を速くするの。そしたらすごく体温が上がって、人間のまま鬼のように強くなれるの。とにかく肺を大きくすること。血のなかにたくさんたくさん空気を取り込んで、血が吃驚(びっくり)したとき、骨と筋肉が慌てて熱くなって強くなるの」(句読点は筆者)。
なるほど~。この親切な説明を10文字でまとめると、その神髄は「心肺能力を大増強する」だろう。
人間の呼吸には「有酸素呼吸」と「無酸素呼吸」がある。
有酸素呼吸……ブドウ糖、脂肪 + 酸素 → 二酸化炭素 + 水 + エネルギー
無酸素呼吸……ブドウ糖 → 乳酸 + エネルギー
同じ重さの物質から得られるエネルギーの総量は、有酸素呼吸のほうが多い。
一方、無酸素呼吸は1秒あたりのエネルギーは有酸素呼吸より多いが、筋肉の収縮を妨げる物質が作られるため、短時間しか持たない(2分が限界)。
長く走るなど持久力を必要とするときには有酸素呼吸で、鬼との戦いなど短い時間で勝負する場合は無酸素呼吸でエネルギーを得ることになる。
さらに、筋肉に含まれる「クレアチンリン酸」からエネルギーを生み出す機構もあり、1秒間に生み出すエネルギーは無酸素呼吸を上回るが、クレアチンリン酸が尽きると終わりなので、最大8秒しか続かない。
鬼との戦いで一発逆転を決めるなど、瞬発力勝負のときは、この「ハイパワー運動」によってエネルギーを得るのだろう。
◆どれほど心肺機能を高めたのか?
全集中の呼吸は、少しのあいだ使うだけでも相当キツイという。これで心肺能力を高めることによって、鬼殺隊の人々はどのくらい運動能力を増強しているのだろうか?
たとえば、肺の大きさを3倍にできれば、血液中に取り入れられる酸素の量は3倍になる。それに合わせて心臓の拍出量も3倍になれば、発揮できるパワーも3倍になるはずだ。すると速度は1.44倍に、ジャンプできる高度は2.08倍になる。
これ、地味な増加に思えるかもしれないが、実際はすごいことだ。100mを10秒で走っていた人は、6秒94で走れる! 垂直跳びで80跳んでいた人は、1m66跳べる! どちらも人類最高峰!
ところがマンガを読むと、炭治郎の身体能力向上は、そんなレベルではないようだ。
全集中の呼吸には「炎」「水」「風」「岩」「雷」の5つの基本があり、左近次のもとで炭治郎が学んだのは「全集中・水の呼吸」。その一つ「陸(ろく)ノ型 ねじれ渦」の場合を見てみよう。
水中で、上半身と下半身を激しくねじって渦を発生させる。渦は鋭く大きな刃となり周囲を巻き込んで切り裂いていく! もちろん実際に水を噴き出すわけではないが、マンガの描写では、渦は弦巻バネのような形で、直径60cm前後の水流が、直径2mほどの螺旋を6段に巻いていた。渦巻く水の総量は推定10.7tである。
問題は速度だが、周囲を切り裂くというのだから、消防ポンプ車の放水の最高速度(至近距離では木造家屋を破壊する)と同じ時速130kmと考えよう。
上半身と下半身を0.1秒でねじったとすると、炭治郎が発揮したパワー(1秒あたりのエネルギー)は毎秒1万8千kcalだ。一般人のハイパワー運動は毎秒1kcalほどだから、なんと1万8千倍……!
オドロキである。全集中の呼吸は、人間の能力をここまで高めることができるのか!
その秘密は筆者にはとても解明できないが、ポイントが心肺機能の増強にある以上、訓練と実践の積み重ねが必要なことは間違いない。本当にすごい。鬼殺隊の人々には、心から敬服します。
※「全集中の呼吸」については、空想科学研究所のYouTubeでも解説しています。
https://www.youtube.com/watch?v=Lkg2ECZ9fio&t=6s