『宇宙戦艦ヤマト』50周年の日に考えたい。なぜ254年も前の「戦艦大和」を宇宙船に改造したんだろう?
こんにちは、空想科学研究所の柳田理科雄です。
マンガやアニメのできごとを空想科学の視点から、楽しく考察しています。
『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ放送が始まったのは1974年10月6日だから、2024年でちょうど半世紀になる。
そこで、原点である「なぜ戦艦大和を宇宙船にしたの?」という問題を考えてみたい。
『ヤマト』の舞台は2199年だが、ガミラスの遊星爆弾による攻撃が始まったのは2190年代の初頭。
繰り返される攻撃で海は干上がり、地上には放射線が充満し、人類は地下都市で暮らすようになった。
そして頼みの地球防衛艦隊も壊滅寸前……というタイミングで、イスカンダル星のスターシャから「放射能除去装置を取りにこい」とのメッセージが届く。
スターシャは波動エンジンの設計図も送ってくれたので、地球防衛軍は建造中の宇宙船に、波動エンジンと波動砲を搭載して「宇宙戦艦ヤマト」とし、イスカンダルへ向かわせることにした――というのが、物語の冒頭だ。
このヤマトは本来、移住用の船であった。
地球が滅亡の危機に瀕したため、選ばれた人たちだけをよその星に移住させることが計画され、そのための宇宙船として作られていたのだという。
これがほぼ完成していたから、エンジンを取り替えて、波動砲の発射孔を設ける、というくらいの改造で、往復29万6千光年の旅に耐えられる宇宙艦ができたのだろう。
絶妙なタイミングであった。
すると気になるのは、移住用の船として、なぜ大和が選ばれたのか、という問題だ。
戦艦大和が沈んだのは1945年。物語の舞台から254年も前である。
いまから254年前というと、西暦1770年。日本は田沼意次が権勢を握って幕政改革を行った時代だ。
西洋では、ジェームズ・ワットが蒸気機関を開発したばかり。
また帆船の全盛期で、後のトラファルガー海戦(1805年)で旗艦となるイギリスのヴィクトリー号も完成している。
普通なら254年も前の船を宇宙船に改造しようとは思わないだろうが、ガミラスの攻撃に疲弊し切った地球は、そういったものを再利用するしかなかったのだろう。
ちなみに、ヴィクトリー号はいまもポーツマスの海軍博物館に展示されているから、われわれも技術とその気があれば、254年前の船を宇宙船に改造することは不可能ではない。
◆乗れる確率は3万6千分の1!
視点を「移住用の宇宙船」に戻せば、これはなかなか大変な話である。
移住用宇宙船の乗員が、戦艦大和のときと同じだとしたら、それは3333人。
2199年の日本の人口が、いまと同じ1億2千万人だった場合、3333人とは「3万6千人に1人」だ。
たとえば日本最大の日本大学は在学者数7万4千人だけど、そこからも2人しか選ばれない、という超狭き門。
実際にやったら、暴動が起こりそうだ。
そもそも、戦艦で移住することは正しい選択だったのか。
戦艦大和には3連装の主砲が3基あるが、砲塔1基の重量が2779tもあったという。
重さだけでシンプルに考えれば、1基外せば4万6700人が乗れることになる。
3基外せば14万人。
完全な輸送船に改造すれば、定員は一気に43倍増になる、ということだ。
地球防衛軍の人々は「敵に遭遇したら困るから、攻撃の手段は残しておこう」と考えたのかもしれないが、ガミラスは移住先を求めて地球を攻撃してきたのだから、地球人が逃げる分には問題なかったとも思われる。
だったら主砲を残したりせず、全部外してより多くの人を救う道を選んでもよかったような……。
などと筆者は考えてしまうのだが、実際には、主砲を残すという選択が地球を救うこととなった。
もし完全な輸送船に改造しちゃっていたら、たちまちガミラスとの戦いに敗れ、イスカンダルまでたどり着けなかったに違いない。
うーむ、人生は奥深いなあ。
などとアレコレ妄想を巡らせてしまう、『宇宙戦艦ヤマト』半世紀の秋である。楽しい。