3度目のトライアウトへ―。元阪神タイガース・西村憲投手が不屈の精神で挑む
■NPB復帰を目指し、3度目の挑戦
今年も12球団合同トライアウトが開催される。新天地を求め、受験する選手たち。その中に3度目の挑戦をする選手がいる。元阪神タイガースの西村憲投手だ。
2012年10月に右肘の手術をし、その回復途上の2014年、タテジマのユニフォームを脱ぐことになった。その年に1度目のトライアウトを受験したが、本来の球質が戻っておらず、NPBの他球団から声がかかることはなかった。
NPB復帰を決意し、「投げる場所」を探してたどり着いたのが独立リーグ・ルートインBCリーグの石川ミリオンスターズだった。(関連記事参照⇒*西村憲・前編*、*西村憲・後編*、*完全復活した西村憲*、*防御率0.00の西村憲、トライアウトへ*)
昨年はクローザーとして防御率0.00という驚異的な数字を記録した。その自信を引っさげ2度目のトライアウトに臨んだが、吉報が届くことはなかった。
29歳の誕生日を目前に控え、進む道に迷いも生じるのではないかと思われた。が、西村投手の決意には一点の曇りもなかった。ただただ「NPB復帰」―それしか念頭になかった。
■奮起させてくれたのはプロ野球中継
何が彼をそこまでNPB復帰に向かわせるのか。「魅力的じゃないですか。あんな大歓声の中で野球ができるのは。特に甲子園で投げていたときのことを思い返すと…。ピッチャーとしてあんなに幸せなことはないって思います。そういう記憶がまだあるから」。再び“陽のあたる場所”で投げたい。その一心なのだという。
「せっかく(親から)もらった体があるんで、もうダメだ、もう投げられないという状態になるまでは腕振って、仕事していきたいなというのはあります。目標を失ったら何のためにやっているかわからないですし、まだまだ投げたかったという気持ちが残っているんで」とトライアウトを前に心境を語る西村投手。
それでもやはり、気持ちがブレたり心が折れることもあっただろう。「ブレることはないと言ったらウソになるかもしれないですけど、そうなりかけたときは『上に戻るんだ』という気持ちを思い出して、自分を奮い立たせてきました」。
最も気持ちを掻き立ててくれたのはNPBの試合だ。「プロ野球中継を録画して見たり、プロ野球ニュースとかでリプレーを見たり。今、携帯でも見れるじゃないですか。YouTubeで見たりね」。BS放送で中継されるタイガースの試合はほぼ全部見たという。「見ながら、すごく悔しい気持ちになるんですよね。でも、それがなくなったら辞めるときかなと思うんで」。
映像を見て奮起するだけではない。その中からいくつもの「ヒント」を見出す。「やっぱりまだ上手くなりたい、まだ球が速くなりたいというのがあるんで、そういう視点で見てはいましたね」。得たヒントは課題としてグラウンドに持ち込む。そして試行錯誤する。それを繰り返す日々だった。
■球速を追求
NPBに戻りたいからと、ただ闇雲に受験するわけではもちろんない。戦力になる自信は十二分にある。その根拠は昨年からの“上積み”だ。
これまでの西村投手のウリといえば、タイガースに入団当初から本人も口にしてきたように「キレとコントロール」だった。とはいえ、右ヒジの手術をする前は最速149キロを計時している。ただ、手術後は140キロ前後で、よりキレとコントロールを重視してきた。
「自分の発言に悔しくなってきたんですよね。ボクはスピードじゃないんだ、自分の持ち味はキレとコントロールなんだ、っていうのが。周りから求められるのもそうだったし。そういうことを言っている自分にも腹が立ってきたっていうか…」。自身の中で変化が生じた。
きっかけは昨年のトライアウトだった。「もう少しスピードがなぁ…」。そんな声を耳にした。「そういうことを言われ続けてきて悔しい部分もあったし、それをかわしている自分も嫌だったし、自分との戦いじゃないじゃないですけど、そういうことを言われなくていいように頑張ろうと思うようになった」と語る。
「(球速の)数字じゃない」を言い訳にしたくないと、昨年のトライアウト後、球速アップに取り組んできたのだ。速い球、強い球を繰り出せる体を冬場に作り上げ、春を迎えた。しかし順調だと思った矢先、腰を痛めてしまった。
開幕から出遅れ、公式戦での今季初登板は5月20日までずれ込んでしまった。それでもそこからセットアッパーとして10試合を防御率1.80と安定したピッチングで石川ミリオンスターズの前期優勝に貢献した。
しかし夏頃また、離脱せねばならなくなった。左脇腹の故障だ。せっかく冬場、一生懸命に仕上げてきたのに開幕に間に合わなかった。さらにチームにも迷惑をかけてしまった。
「取り返したいっていう焦りがあったんじゃないかと思う。取り戻そう、取り戻そうとして…」と省みるように、出だしの躓きを挽回しようとするあまり、体に負担をかけてしまったのだ。
幸い肉離れまではいかなかったが、「ボク、じっとしていられないんで。休むのが下手っていうか。で、動いちゃって、長引いちゃいました」。生来の生真面目さに焦りが加わり、実に1ヶ月強、戦列を離れた。
「投げられなくて、気持ちと体が一致せずにもどかしい時期でした。一日でも早く投げたい、早く投げたい、なんで野球できないんだろうっていう悔しい毎日でした。しんどかったですね」。苦しかった胸の内を明かした。
けれど、ただでは転ばない。その離脱している時間が今に繋がった。いや、その時間を無駄にせず、有効に使ったのだ。
「数字として出たんで…スピードが!!」
なんと復帰後、故障前より球速が上がったという。「投げられない間、いろんな映像を見て、じっくり勉強することができた。もっとこうしたらという理想のフォームを頭の中で作り上げて、復帰したときにちゃんと投げられるようにっていう準備はできたんで」。
いったいフォームの何が変わったのか。「感覚的なことなんですけど、投球フォームの中で理想のタイミングというか、タイミングがしっくりきたって感じです」。
もちろん頭の中だけでなく、「細かく下半身のトレーニングができたことも大きかった」と、フィジカル面でのプラスがあったからこそと明かす。
望まざるケガではあったが、その間のトレーニングのお陰で下半身の大事さが再認識できた。「力んで下半身の力を伝えられていなかった。基本に戻ったって感じですね。忘れていた部分を見直せたんです」。
それによって、故障前は140キロ出るかどうかだったという球速は144キロまで上がり、「まだ自分でももうちょっと振れるなぁっていうのがありますね」と、自分自身にさらなる期待をかける。
■懐かしい甲子園のマウンドが後押し
故障箇所はすべて完治し、今は万全の状態だ。現在、石川でグラウンドを借りての練習や後輩と公園でキャッチボール、また近所でのランニングに汗を流し、トライアウトの日に向けて準備をしている。
「野球で緊張したことない」という西村投手だが、トライアウトの場は「独特の雰囲気はありますね。一発勝負に賭けている人が集まっているんで、ピリピリしていたりね」と、試合とは違った緊迫感の中でのピッチングとなる。
しかし今の西村投手には「昨年と比べても今年の方が断然、状態はいい」という確かな手応えがある。投げていてしっくりくる。そしてどこにも痛みがない。
何よりトライアウトの開催場所が、慣れ親しんだ甲子園球場だ。甲子園での登板は2014年6月4日のカープ戦で1回を無安打無失点で終えて以来となる。ただしこれはファームの試合で、1軍での甲子園の登板となると2013年8月1日のドラゴンズ戦まで遡る。
「甲子園で投げるの、久しぶりだなぁ~」。晴れ晴れとした笑顔には、自分のボールに対する自信が漲っている。「腕がちぎれてもいいくらいの気持ちでいって、アピールしたい」。思う存分、“今の自分”をぶつけてくるつもりだ。
「三度目の正直」となるか。吉報を待ちたい。