ロジャヴァ支配地域に対するトルコ軍の「オリーブの枝」作戦に参加する「自由シリア軍」とは何者か?
シリア国内での軍事攻勢を分析するサイト「ノールス研究センター」(Nors for Studies)は1月30日、トルコ軍が20日に開始を宣言した「オリーブの枝」作戦に参加する反体制武装集団の構成を紹介するインフォグラフィア(http://norsforstudies.org/2018/01/5949/)を公開した。
それによると、作戦に参加しているのは、以下の28組織で、四つの軍団に編成されているという。
- 第1軍団:サマルカンド旅団、北部旅団、ムウタスィム・ビッラー旅団、末裔軍、東部自由人、征服者ムハンマド旅団。
- 第2軍団:スルターン・ウスマーン旅団、特殊任務軍団、覚醒師団、スルターン・ムラード師団、ハムザ師団、ジャズィーラ革命家、第5連帯、第23師団、ムウタスィム旅団。
- 第3軍団:北部師団、ムスタファー連隊、イスラーム軍、「(命じられるまま)正しく進め」連合、シャーム戦線、第51旅団、シャームの鷹、シャーム自由人イスラーム運動。
- 第4軍団:第9師団、精鋭(エリート)軍、シャーム軍団、スルターン・スライマーン旅団、北部の鷹旅団。
トルコ軍との連携
自由シリア軍と総称される反体制武装集団のトルコ軍との連携はこれまでにも行われてきた。
もっとも有名なのは、2016年8月に、アレッポ県北東部のユーフラテス川右岸(西岸)のジャラーブルス市と、県北部のバーブ市、そして北西部のアアザーズ市を結ぶいわゆる「安全地帯」から、イスラーム国、そして米国の支援を受けるロジャヴァ(西クルディスタン移行期民政局)を駆逐することを目的とした「ユーフラテスの盾」作戦における共闘だ。
この時に設置された「ユーフラテスの盾」作戦司令室は、2015年3月頃に発足した「ハワール・キッリス作戦司令室」を母胎としており、シャーム軍団、スルターン・ムラード師団、シャーム自由人イスラーム運動、ヌールッディーン・ザンキー運動、シャーム戦線、ムウタスィム旅団、東部自由人などからなっていた。
「ユーフラテスの盾」作戦司令室はその後(2017年6月)、「アフル・ディヤール(家の者たち)」作戦司令室に発展解消し、「PKK(クルディスタン労働者党の)テロ行為に抗戦し、占領された領土を解放する」として、人民防衛部隊(YPG)主体のシリア民主軍と散発的に交戦するようになった。
また同年末、トルコのガジアンテップ市を拠点とするシリア国民連合傘下の暫定内閣と、アレッポ県北部の「解放区」(トルコが言うところの「安全地帯」)で「シリア国民軍」を結成することで基本合意した。
触れられたくない過去(そして現在)
「オリーブの枝」作戦に参加する「自由シリア軍」は、さしずめ「オリーブの枝」作戦司令部(所属組織)と呼称することができよう。だが、その構成組織には触れられたくない過去(そして現在)がある。
最大勢力と目されるのはシャーム軍団だ。この武装集団は「穏健なイスラーム主義」組織として知られるシリア・ムスリム同胞団系だが、2015年3月に、シリアのアル=カーイダであるシャームの民のヌスラ戦線、イスラーム国とつながりがあるジュンド・アクサー機構、中国新疆ウィグル自治区出身者からなるトルキスタン・イスラーム党などとともにファトフ軍を結成し、イドリブ県の制圧戦に参加した。
また、アレッポ県東部街区でのシリア軍に対する抗戦では、2016年5月には、ハワール・キッリス作戦司令室に参加した反体制武装集団とともに、アレッポ・ファトフ軍を結成、12月にはこれにヌスラ戦線が加わりアレッポ軍となった。さらに、2017年末から戦闘が激化しているイドリブ県南東部での戦闘でも、シャーム軍団は、ヌスラ戦線とともにシリア軍に対峙している。
シャーム軍団と並んで、有力と見られるのが、シャーム自由人イスラーム運動(通称アフラール・シャーム)だ。この武装集団は、シリアのアル=カーイダと結託してきた過去(そして現在)を共有している点で、シャーム軍団と変わらない。だが、アフガニスタンやイラクでの戦闘経験を持つアル=カーイダ・メンバーのアブー・ハーリド・スーリーや、サイドナーヤー刑務所(ダマスカス郊外県)での収監経験を持つハッサーン・アッブードらが2011年末に結成したという点で、アル=カーイダの系譜を汲んでいる。とりわけアブー・ハーリドは、アル=カーイダ総司令部のアイマン・ザワーヒリー指導者と親交があり、ヌスラ戦線とイスラーム国(当時の呼称はイラク・イスラーム国)の不和を解消するために仲介を試みたことで知られているが、2013年2月下旬にイスラーム国メンバーとされる刺客の自爆攻撃で暗殺された。
シャーム自由人イスラーム運動は、2015年に入って以降、アル=カーイダとの関係をことさら否定し、独裁打倒をめざす「自由シリア軍」だとアピールするようになった。この戦術は、その後、ヌスラ戦線にも採用され、同戦線は2016年7月にアル=カーイダとの関係を解消し、シャーム・ファトフ(征服)戦線に、そして2017年1月には米国の支援を受けてきた「穏健な反体制派」のヌールッディーン・ザンキー運動などと合併し、シャーム解放委員会に改称している(拙稿「「シリア革命」の戦士たちを取り持つアル=カーイダ」を参照)。彼らは、イドリブ県南東部、ハマー県北東部で、ヌスラ戦線との共闘を続ける一方、シリア軍による無差別攻撃が非難を浴びているダマスカス郊外県東グータ地方で、ヌスラ戦線やラフマーン軍団とともに「彼らが不正を働いた」作戦司令室を設置し共闘し、抵抗を続けている。
トルコと共闘しているのは彼らだけだろうか?
「自由シリア軍」のこうした混濁ぶりを見ていると、別の疑問が沸く。それは「オリーブの枝」作戦に参加している「自由シリア軍」は上にあげた組織だけだろうか?
その疑問に答えを与える事件が「オリーブの枝」作戦開始から10日を経た1月29日に発生している。
イドリブ県カフルカラミーン村に設置された仮設の国境通行所を経てアレッポ県西部のアイス丘の後背地(第4ポイント)に侵入(https://youtu.be/34Z2mUm5AGAを参照)したトルコ軍の車列が、シリア軍の砲撃を受けたのである。また翌30日には、装甲車を含む100輌あまりの車列が、親政権民兵と思われる武装集団によって仕掛けられた爆弾の爆発に巻き込まれ、車輌1台が炎上し、乗っていたトルコ軍兵士3人が死亡、車列はトルコ国境方面に撤退した。
事件は、トルコ軍の領土侵犯に対するシリア軍の単なる反撃ではなかった。シャーム解放委員会(ヌスラ戦線)の幹部のサウジアラビア人説教師アブドゥッラー・ムハイスィニーは31日、テレグラムの自身のアカウントを通じて、「一連の交渉と合意を経て、トルコ軍車列が進入、シャーム解放委員会の車列がこれに随行したが、この車列が爆弾攻撃の標的とされた」と暴露したからだ。
トルコ軍とシリアのアル=カーイダの関係は今に始まったことではない。最近では、2017年9月のアスタナ6会議でのロシア、イラン、そしてトルコの合意に基づき、トルコ軍部隊がアレッポ県北西部(ダーラ・イッザ市一帯)に監視所を設置した際、シャーム解放委員会の車列がこれをエスコートした。また、イドリブ県におけるシャーム解放委員会の最大の軍事拠点であるタフタナーズ航空基地にもトルコ軍は進駐しているという。
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領とロシアのヴラジミール・プーチン大統領は31日、電話会談を行い、この件について意見を交わしたという。その詳細は明らかにされていない。だが、内戦後のシリアにおけるパワーブローカーとなった両国にとっての「テロとの戦い」とは、字義通りのテロ撲滅などではなく、混濁した反体制武装集団を自らの利益のためどう利用、あるいは切り捨てるかという戦略なのである。