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[高校野球]来春のセンバツは青森、愛知、京都からアベック出場が確実。2校出場がない県は?

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 来春センバツの出場校選考に重要な資料となる、10地区の秋季大会が終わった。うち、東北大会は優勝が青森山田、準優勝が八戸学院光星。東海大会は優勝・豊川、準優勝・愛工大名電と、それぞれ青森、愛知の両県が1、2位を占めた。来春の第96回選抜高校野球大会では折りしも、東北と東海の一般選考枠が1増えて3となったから、青森・愛知からの2校出場はほぼ確実。これまでなら、地域性が加味されて準優勝校は当落線上だったかもしれない。ほかに一般枠が6の近畿では、京都から京都外大西と京都国際のアベック出場が有力だし、大阪桐蔭が優勝した大阪勢には、履正社にも可能性がある。

 原則として1県1代表の「全国高校野球選手権」、いわゆる夏の甲子園と違い、センバツでは例年のように、単一の都道府県から2校が出場する。2023年なら宮城から仙台育英と東北、栃木=作新学院・石橋(こちらは21世紀枠による選出だが)、東京=二松学舎大付・東海大菅生、福井=北陸・敦賀気比、大阪=大阪桐蔭・履正社、兵庫=報徳学園・社、香川=英明・高松商、長崎=長崎日大・海星……。出場36校中、半分近い16校がアベック出場に該当したわけだ。

 大正初期から隆盛する中学野球人気を受け、もう一つ全国大会を開催したらどうか……と、センバツの前身にあたる「全国選抜中等学校野球大会」が創設されたのは、1924年だ。ただ、全国大会をうたいつつ当初は招待試合の色が濃く、第1回大会に出場したのは全国から選ばれた強豪8校。当時は、夏の大会の優勝が近畿に偏るなど、地区によるレベルの差が大きかった。また代表枠が少なかったから、実力校の多い地区では、全国大会出場にふさわしい力があっても、基本的に一発勝負の地方大会で敗退してしまうこともある。そこで地域の枠にあまりとらわれず、真の実力があると見られるチームを選考委員が選ぶ、という形式だった。

 このとき、各チームの戦力の把握に関わったのが、大阪毎日新聞を母体とした大毎野球団という社会人チームだ。全国各地を転戦し、地元チームのコーチも行うなどする際に、目と耳で情報を集めたらしい。第1回大会に選抜されたのは、関東/早稲田実(東京) 横浜商(神奈川) 東海/愛知一中(現旭丘) 関西/立命館中(京都) 市岡中(大阪) 和歌山中(現桐蔭) 四国/高松商(香川) 松山商(愛媛)の8校。会場は、朝日新聞が主催する近畿以外という判断から名古屋市郊外の山本球場。主催の毎日新聞が東海版を新たに創設したから、その販売政策でもあったといわれる。優勝は高松商だった。

 このときは、8校とも異なる県からの出場だったが、第2回以降は同県から2校どころか、3校出場もザラで、1県から4校出場なんてこともある。たとえば33年には、出場32校のうち和歌山県から海南中、海草中(現向陽)、和歌山商、和歌山中(現桐蔭)、37年には20校のうち愛知県から中京商(現中京大中京)、享栄商(現享栄)、愛知商、東邦商(現東邦)の4校が出場した。

 対して、北海道から初めて出場したのが第15回大会、38年の北海中だったのはまだいいとして、東北からの初出場は戦後になった55年の一関一(岩手)。いまからは考えられない冷遇だが、当時はそれだけ、地域間の実力差が顕著だと見られていたわけだ。極端にいえば、草創期のセンバツは関東、東海、近畿、四国のチームで争われていたといっていい。

過去に5回ある決勝の同都府県対決

 17年のセンバツ決勝が、○大阪桐蔭5—2履正社という大阪勢の対決になったのは記憶に新しいだろう。同都府県が決勝で対戦したのはほかにも4回あって、

1938年 愛知 中京商1—0東邦商

1941年 愛知 東邦商5—2一宮中

1948年 京都 京都一商(現西京)1—0京都二商(のち西陣商、廃校)

1972年 東京 日大桜丘5—0日大三

 もし来センバツに大阪桐蔭と履正社が出場したら、再度決勝で対戦する可能性もゼロではないわけで、もし再戦が実現すれば91年、広陵(広島)対松商学園(長野)以来……というのはちょっと気が早いか。

 現在では、21世紀枠を除き、一般枠での選考は1県最大2校までという内規がある。18年のセンバツでは滋賀県から近江、彦根東が一般枠で選ばれたのに加え、21世紀枠の膳所を加えて3校が出場したが、これはきわめてレアケースだ。このときの滋賀は初めてのアベック出場で、ほかに先述のごとく、長崎は今年のセンバツで初めて2校が出場しているし、16年には青森山田と八戸学院光星が青森初のそろい踏みを果たした。いまだに2校同時出場を果たしていない県は、北からいくと山形、富山、鳥取、島根の4県のみだ。

 もっとも、21世紀枠での出場を除く一般選考での2校出場となると、未達成の県がいくつか増える。21世紀枠込みのアベック出場を列記すると(県名、出場年と出場校、○は21世紀枠)、

・岩手 2017 盛岡大付 ○不来方

・福島 2013 聖光学院 ○いわき海星

    2022 聖光学院 ○只見

・新潟 2011 日本文理 ○佐渡

 この3県から一般選考で2校選ばれるには、東北・北信越それぞれの秋季地区大会で優勝し、ベスト4に同一県からもう1校入るのがまずは目安だろう。ただ北信越なら石川、福井、東北なら宮城や青森などライバルが強力で、一般選考でのアベック出場となると、3県ともなかなかハードルは高い。前記4県も含め、いつかは一般枠でアベック出場という日がくるだろうか。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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