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「バスケ界の槙野」と本家も言及する男 富樫勇樹が明かすカタール戦の序盤に日本が苦しんだ意外な理由

大島和人スポーツライター
(C)FIBA.com

日本に生まれた躊躇

「アウェイの洗礼」という言葉がある。今よりファンが荒れていた1970年代、80年代のサッカー界では、観客や選手の安全を脅かす事態がよく起こった。「ホテルの外で騒ぐ」「選手の部屋に電話を入れる」というようなやり口もあったと聞く。

2月24日のドーハに、そんな雰囲気はなかった。敵意を感じる場面は皆無で、ブーイングやMCの「煽り」もほぼないアリーナだった。

日本はそんなのどかな会場で、勝てばバスケ男子ワールドカップ(W杯)の21年ぶり自力出場が決まる大一番を戦っていた。ただし相手のカタールは既に敗退が決まっており、ホーム戦で大勝もしていた相手。選手がそこまで力む必要はなかった。

ただ日本は試合のスタートで、攻撃のリズムを掴めず苦しむ。ディフェンス対応は見事で、攻撃の「回数」で大きく上回っていた。しかしそれを効率的にスコアへつなげられなかった。

司令塔、ポイントカードの富樫勇樹は振り返る。

「自分たちがオフェンス面で躊躇してしまった。外のウイング陣がいつも打っているシュートを打たず、第1クォーターは重い展開になってしまった」

空いているのだからシュートを狙えばいいのに、マーカーの逆を突いて抜こうとしたり、エクストラパスを狙って奪われたり……。そんな判断ミスが攻撃のリズムを奪っていた。フリオ・ラマスヘッドオーチの「打て」という指示や、シューター辻直人の起用により第2クォーター以降は流れが変わった。とはいえ96-48の快勝劇でも、第1クォーターは「煮え切らない」時間帯だった。

「雰囲気が難しかった」理由

富樫が「雰囲気が難しかった」というから、その意味を尋ねてみた。彼は少し意外な答えを返してきた。

「有難いことにBリーグも代表も満員の状態だし、イランのようなアウェイも何か鳴っている状態の試合が多かった。久しぶりに静かな体育館でやったので、ちょっと難しいところがあった」

ドーハの観客は筆者の目測で300人前後。プレー中は音楽がかからず、ダンサーも不在だ。日本から駆け付けたファンの熱心な応援を除くと、「盛り上げ要素」は皆無だった。

Bリーグの全クラブが常時満員ということではないが、富樫がプレーする千葉ジェッツはB1最高の人気クラブ。平均5千人という観客数で、若干の空席はあっても満員感が常に漂っている。富樫が「難しかった」とボヤくのは、Bリーグの盛り上がりに伴う嬉しい副作用だ。

富樫は新潟県出身だが、アメリカのモントローズ・クリスチャン高校に進学。高卒後は帰国してbjリーグの秋田ノーザンハピネッツでプロ生活を開始していた。当時の彼が持っていた野心は「海外挑戦」で、オフは実際に国外へ出ていた。しかし2015年9月に千葉ジェッツへ移籍した頃には、五輪の自国開催やBリーグ発足も決まっていた。彼のプライオリティは徐々に自身の海外挑戦から「代表」へと変わっていく。

アジアカップのリベンジを喜ぶ富樫

25歳の富樫は今やBリーグの最注目選手で、「バスケ界の代表」と見なされている。SNSなどで他競技の有力選手と絡む様子もよく見る。カタール戦の前には、サッカーの日本代表選手などから応援メッセージが入っていた。

カタール戦後の彼はこんなことを言っていた。

「イラン、カタールと自分たちが次にやると決まっていた中で、それが(アジアカップで日本代表の)準決勝と決勝の相手で、すごく特別なものを感じました。違う競技ですけど、カタールにリベンジできて嬉しく思うし、サッカー選手も見てくれたら嬉しい」

富樫が人を介して「激しくプレーしても髪型が崩れない理由」を尋ねた過去がある槙野智章(浦和レッドダイヤモンズ)も、富樫へ声援のメッセージを送っていた。

富樫は微笑みながらこう口にしていた。

「試合前にツイッターで連絡をくれていました。(富樫のことを)バスケ界の槙野って言っていましたね(笑)」

つい最近まで、バスケの男子日本代表はbjリーグの選手が現実的に目指す場ではなかった。しかし改革後の3年で、富樫が「自分のモノ」と感じる存在に変わっていた。

そしてこのカタール戦は、槙野選手も含めたバスケ界の外にいる人間が感情移入し、一般層から「日本の代表」として認知されるいい転機となった。東京オリンピックとその後に向けて、この流れは強まっていくはず――。垣根を越えてスポーツ選手が交流し、声援を送り合うカルチャーがなお高まることを願いたい。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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