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久保建英のラビア。スペインでの”復讐戦”に挑む。

小宮良之スポーツライター・小説家
スペイン戦後の久保建英(写真:森田直樹/アフロスポーツ)

ラビア

 8月3日、東京五輪男子サッカー準決勝。久保建英(20歳、レアル・マドリード)はスペインに敗れた後、ベンチで終了のホイッスルを聞いた。体育座りで視線だけは投げているが、目には何も映っていないだろう。感情が見えない。それほど、複雑な思いが入り混じっているのだ。

「Rabia」(ラビア)

 スペイン語で「激怒、反発」を意味するが、それは一流選手になる条件と言われる。反骨心と訳しても大きく外れないが、負けを憎む衝動というのが正しいか。ラビアは心に棲む魔物のようなもので、負けを忌み嫌い、それを回避するためには鬼にも蛇にもなるという戦いの衝動だ。

 久保はスペイン、バルセロナで10歳から過ごした。18歳でレアル・マドリードと契約し、今やプロ選手としてスペインで活躍する。対戦相手にはチームメイトもいた。負けられない戦いだった。

「(負けてしまって)何もないです。やれることをやって負けました」

 久保は白旗を上げた言葉とは裏腹に、どこか怒気を含ませて言った。体内で蠢くラビアを抑え込むように。

スペイン戦のプラン

 スペインを相手に日本が互角に戦ったか?

 答えはイエスだろう。

 もっとも、「まだ差がある」と承知しての戦いでもあった。

「いい守備がいい攻撃を作る」

 日本はこのコンセプトを徹底していた。まずは守備でいいポジションを取って相手の自由を制限し、守りでリズムを作り出す。ディフェンスラインにオーバーエイジの吉田麻也、酒井宏樹を入れたことでも明白なように、その堅牢さをストロングポイントにしていた。

 当然、守りに回る時間が長くなった。各選手がまずは持ち場を守ることを求められた。例えば遠藤航、田中碧はスペインのインサイドハーフ、ペドリ、ミケル・メリーノをつかみながら防衛線を張って、サイドアタッカーはサイドバックをケア。守備ありきの戦い方だった。

 その点で、日本は自分たちのペースで試合を動かしていた。攻められはしたものの、前半など決定機と言えるのは、ラファ・ミルが抜け出した1回だけ。それもGK谷晃生が素晴らしい出足で防いでいた。

 一方で攻撃の選手にとっては、もどかしさがあったはずだ。

久保の役目

 とりわけ、久保はジレンマを抱えていただろう。

 試合を決める得点を求められる一方で、前線のディフェンスとしての役割を託されていた。スペインのボール回しはアンカーのマルティン・スビメンディを経由し、スピードアップする。それを鋭敏に感じ取って、ディフェンスラインとスビメンディの分断に精力を注がざるを得なかった。

 必然的に、久保がボールを受けられる回数は限られた。

 しかし久保は試合が進むにつれ、攻撃にもフィットしていった。前半の半ばから、左右から仕掛けている。左サイドを抜け出し、右足でシュート。立て続けに左サイドをドリブルで奥深く破り、マイナスのクロスも誰も走り込まず。前半終了間際には、堂安とのコンビネーションから右サイドをドリブルで持ち込み、絶好球をニアに入れたが、味方に合わなかった。

 久保はボールを受け、動かし、運ぶ力が群を抜く。堂安と近づくことによって、その連係でスペインに打撃を加えられる。後半30分過ぎには堂安のパスから左を攻め上がり、1対1になったヘスス・バジェホを翻弄。レアル・マドリードの下部組織出身のエリートDFを物ともせず抜き去って、クロスかシュートの選択肢の中で後者を選んだが、惜しくもGKの正面だった。

 ただチームコンセプトの中、その力を発揮しつつあるように見えた。

 ところが、延長が始まる前に交代を命じられてしまったのだ。

勝利のシナリオ

 延長後半、交代出場していたマルコ・アセンシオは左足一発で決着をつけている。

 久保にとってはマドリードの先輩選手だけに、「差を見せつけられた」という表現も見受けられる。しかしアセンシオは攻撃の切り札として、攻撃に集中することができていた。比較は成立するものではない。

 そもそも、スペインは後半途中から攻撃の勢いを増していた。VARで取り消されたPKのシーンにしても、吉田の奇跡的なタックルに遭ったが、ほぼ攻め崩している。そしてハビ・プアド、ミル、オジャルサバルなどが次々に決定機を作っていた。

 久保、堂安の下がった日本は、専守防衛の色を強めてしまった。堅牢さはそのままだったが、攻められ続けたことで失点の可能性は自然に高まっていた。カウンターで脅かす場面があるだけで、相手を警戒させて攻撃を弱められていたのだが…。

 率直に言って、選手交代をするたび、日本は劣勢になっていった。

「選手層」

 そこに差を見出すことは簡単だが、それは試合前から分かり切っていた。

 日本の勝利のシナリオはあったはずだ。

 一つのプランとして、日本はどこかで勝負に出るべきだった。全体的にラインを上げ、前から人とボールをつかみ、高い位置で奪い返し、波状攻撃を仕掛ける。そこで勝負を引き込むゴールを決める。守り続けてカウンター一本でのゴールの可能性はあまりに低く、時間帯によって勝負をかけるアプローチが欲しかった。

 久保は、そこで水を得た魚になれたはずだ。

久保の復讐戦

 準決勝敗退で、世界では日本の躍進は記憶に残らないだろう。久保はそれを肌で知っている。それほどサッカーの世界は残酷で、勝者のみが生き残る。

 敗戦後、久保の表情にはのたうち回るラビアが見えた。どうしようもない衝動。それは自分に対する怒りだろう。

「涙も出ない」

 彼はそう言ったが、敗れて涙を流すタイプではない。たとえわずかな望みであっても、自分が得点できなかった。その憤りが波のように押し返してくるのだ。

 受け止めきれない敗戦を受け止めた時、久保は次の変身を始めるのだろう。怒りをため込んだ巨大なラビアが彼を内側から突き破る。敵にとって、それは魔物そのものだ。

 久保はマドリードに籍を置くが、新シーズンも期限付き移籍で新天地を求めることになるだろう。マドリードでプレーするためには、どこかで力を見せつける必要がある。それは復讐戦にも似ている。

 一つの戦いの終わりは、始まりでしかない。

 まずは、メダルを懸けたメキシコとの3位決定戦だ。

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【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

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スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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