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沸騰する「監督ライセンス議論」。なぜ町田の黒田剛監督は結果を叩き出しているのか?

小宮良之スポーツライター・小説家
(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

沸騰する監督ライセンス問題

 日本サッカーの監督ラインセンスについて、その議論の渦が大きくなりつつある。Jリーグのクラブでコーチなどをやりながらだと、トップチームを率いることができるS級ライセンス取得には10年はかかるケースが一般的。引退後を考えると、かなりハードルが高い。

「現行のシステムでも、学ぶことは足りない」

「そもそも、ライセンスは必要なのか」

 前者の賛成派、後者の否定派。現在の監督ライセンスの在り方に関しては、極端な意見がぶつかり合う。

「ライセンスは任意にすべき」

 そう主張する本田圭佑などは、どちらかと言えば後者だろう。

 メディアは、両者の言い分に海外の例を持ち込み、議論をさらに複雑化させている。

「イングランドやドイツでは、日本以上にライセンス取得は厳しい」

「スペインや南米は1,2年と手軽で、その分、門戸を広げている」

 海外の例を引き合いに出しても、一概には語れないのが現実だろう。それぞれの国事情も違う。絶対的な正解がない。

 苦労してライセンスを取得した人は、「それだけ価値がある」と悪様に言うことはない。それは自分が勝ち取ったものを否定することにもつながるからだろう。講習前は不満を抱えていても、取得後は「やっぱり必要なこと」という意見に転じる(そしてライセンスを与える側はより、その傾向が強くなる。それで生計を立てているからだ)。

 一方、ライセンスを取得していない人にとっては、「気が遠くなるような時間をかけ、自分よりキャリアの劣る人間に何を教えてもらう」となる。ライセンス取得というビジネスのようにも感じられる一方、トップリーグでFKやCKで得点を演出していた元選手がセットプレー講習を受けるのは、控え目に言って、へんてこだ。

「画一的に教わった戦い方に意味があるのか」

 講習自体の内容を否定する声も少なくない。

 この議論で言えば、若干、後者が有力だろうか。

 なぜなら、現状のシステムで有力な若手監督を育てられていない現状がある。日本サッカーは今や100人近く、欧州に有力選手を送り出している。にもかかわらず、四十代の有力な若手監督は一人もいないし、Jリーグでも知った顔が持ち回りの状況だ。

何かがおかしい

 何かがおかしい。

 その論拠に立つべきだろう。

 現在のJリーグ、「新鋭」と次世代の名将の称号を託せるような人物がいない。サガン鳥栖の川井健太監督が唯一、その匂いをさせていたが、今シーズンは成績不振で解任。若い指導者が頭角を表す気配がない状況は憂慮すべきだ。

 J1の四十代監督では、ヴィッセル神戸の吉田孝行監督、セレッソ大阪の小菊昭雄監督、湘南ベルマーレの山口智監督、サガン鳥栖の木谷公亮監督、鹿島アントラーズの中後雅喜監督の5人がいる。人数は少なくはない。ただ、小菊監督は49歳で退任が決まり、吉田監督は成績こそ際立つが評価は難しく、木谷監督は途中就任で降格と力不足を露呈、中後監督はコーチから“昇格”したばかりで、評価を下す段階ではない。

 日本サッカーの根本的問題は、未だに監督とコーチが同列で語られていることにあるかもしれない。その二つは、同じ指導者でも仕事内容は全く違う。にもかかわらず、日本ではコーチ業を丁稚奉公のように積み上げ、監督になることが一般的である。たとえ何年コーチの経験を積んでも、それは監督の力量につながらないのだが…。

 監督は、大きく言えば「統率」と「決断」が仕事である。そのマネジメントはコーチでも学ぶ点はあるが、結局は監督としての人間性、もしくはパーソナリティがものをいう。同じ言葉でも発信する人物次第で重みは変わる。つまり、教えられてなる性質のポストではない。方法論を学ぶことは悪くないが、結局は人間性で、ひいてはその理念、プレーコンセプトに集約される。

「監督は頑迷であってはならないが、頑固でなければいけない」

 それは一つの真理である。意見を聞いても、そこに着地点を見つけるのではない。自分の理念や概念に、周りを近づける「求心力」の方が問われる。それを理論やメソッドで補強できる監督はいるが…。

 一方、コーチはあくまで監督に忠誠を尽くすポジションである。監督に反旗を翻すなどもってのほか、主従関係に近い。監督にたくさんの材料を与え、サポートするのが仕事である。それ故、生涯、実務を学び続ける必要があるが…。

 今の監督ライセンスのシステムは、良いコーチを生み出しても、監督を生み出さないのではないか。

スペインで若い名将が出てきている理由

 多くの場合、監督は監督として、その力を身につける。下部リーグでも、ユース年代でも、監督は監督。そこでリーダーとして出した結果や内容が、監督の実力となる。

 昨今、スペインは名将の産地になっているが、その多くが三十代から四十代前半で台頭できている理由は、彼らが純粋に監督として鍛えられているからだろう。ジョゼップ・グアルディオラ(マンチェスター・シティ)に始まり、ウナイ・エメリ(アストン・ビラ)、シャビ・エルナンデス、アンドニ・イラオラ(ボーンマス)、シャビ・アロンソ(レバークーゼン)など国際的な活躍をする指揮官は、コーチをしたことはない。

「コーチで学ぶことは多い」

 それは正論である。しかし、コーチを長くやったら、コーチになってしまう。監督にはなれない。例えば三十代で引退後、3年前後、自分が師事するプレースタイルの監督のもとにつけるなら、それは一つの有力な選択かもしれない。例えば、アーセナルのミケル・アルテタ監督もグアルディオラという名将の下で3年学び、飛躍を遂げた。

 しかし、それは「グアルディオラやカルロ・アンチェロッティのような天下の名将の下で学ぶ価値がある」というだけの話でもある。

 例えばイングランドは世界的にもライセンス取得の門戸が狭く、「学ぶことの質は高い」と言われる。しかし、どれだけの名将を生んでいるのか? 欧州でも突出して。有力な監督が乏しい。プレミアリーグが世界最高峰で、監督の経験を積む場所が制限されていることもあるのか。

黒田監督が町田で成功している理由

「監督は結局、本人のパーソナリティだよ」

 レアル・ソシエダのセカンドチームで監督を始めたばかりのシャビ・アロンソにインタビューした時、彼はすでに一つの結論に辿り着いていた。

「どのように感じ、どのようなサッカーをしたいのか。監督はそれが自分のなかにないといけない。私は子どもの頃から、『もっとサッカーを理解するには?』って、いつも自分に問うてきた。90分プレーして、勝ち負けで終わり、なんてことはあり得ない。どこで何をすればもっと向上できるのか、そのためには何が必要なのか、ずっと考えてきた」

 彼は引退後、1年でライセンスを取得し、1年、ユース年代を率いて実行化した。以来、わずか数年で名将だ。

 引退後に監督の準備をしても、すでに遅い。一人のリーダーとして、自らどれだけ自らを鍛錬してきたか。10年間かけて教えられても、その厚みには太刀打ちできない。

 チームの戦いは、監督のパーソナリティ同士のぶつかり合いと言える。少なくとも、戦術的な知識や解説ではない。だからこそ、優秀な解説者が監督としては凡庸なのだ。

「サッカーを知っている」

 それは監督の才覚に直結しない。

 だからこそ、ライセンスを与えるのが難しいのである。教えることに限界はあるからだ。

 FC町田ゼルビアの黒田剛監督が一つの成績を叩き出しているのは、たとえ高校年代であっても、一人の監督として無頼に生きてきたからだろう。勝利のためには、なりふり構わない。どれだけ批判されても、どれだけ嫌われても、どれだけ蔑まれても、修羅場を生き抜いてきた人間としての強度があるのだ。

 プロの世界でずっと生きてきた監督たちが歯が立たない、というのは情けない話だが…。

 監督ライセンスの議論は続けるべきだ。

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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