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経済幹部つるし上げで「こわもて」デビュー――金正恩氏“黒革コート”の最側近はエリート大学で物理学専攻

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
党経済担当の金頭日氏(右側起立の人物)を批判する趙甬元氏(左端)=労働新聞より

 北朝鮮の朝鮮労働党機関紙・労働新聞が、今月8~11日に開かれた党中央委員会総会に関連して興味深い写真を掲載した。総会の議場で金正恩(キム・ジョンウン)総書記が見つめるなか、神妙な表情で立ち尽くす金頭日(キム・ドゥイル)書記兼経済部長に向かって、趙甬元(チョ・ヨンウォン)書記が金総書記に代わって強い言葉を浴びせているような場面が写し出されていたのだ。

◇批判された経済担当は交代

 朝鮮語で「チョヨン」は「静寂」を意味する。その名の通り、チョ・ヨンウォン氏はそれまで金総書記の近くにいながらも目立たず、静かに微笑んでいるという印象が強かった。

 だが、趙甬元氏は年明け早々に開かれた党大会(1月5〜12日)で、職位が、党最高指導部メンバーである政治局常務委員に「飛び級昇格」し、職階も、党組織指導部などの核心部署を取り仕切る書記に大抜擢され、事実上、金総書記の「代理人」としての立場を確保した。

 党大会後に開かれた軍事パレードでは、金総書記と同じような黒革のロングコートに身を包み、総書記から強い信任を受けていることを印象づけた。

 今回の中央委総会で、その強力な地位がはっきりと示された場面があった。労働新聞は今月11日、総会第3日目(10日)にあった討論の様子を収めた写真を掲載した。そこには趙甬元氏が金頭日氏に向かって、強い言葉を浴びせかけているように見えるシーンがあった。

 実際、労働新聞記事では、趙甬元氏が「党の各部門が達成目標を低く設定したことを金総書記が批判した」ことに繰り返し言及したうえ、党・政府の責任者を辛辣に批判した点が強調されている。

 総会では新人事が発表され、趙甬元氏の批判を受けたかのように、書記兼経済部長のポストが金頭日氏から呉秀容(オ・スヨン)氏に移されたことが明らかにされている。

◇義父は軍要人か

 趙甬元氏は、金正恩氏の父、金正日(キム・ジョンイル)氏のころにはほとんど無名で、金正恩時代に入ってから露出が増えた。ただ、その人物像についてはベールに包まれたままだった。

 ところが韓国紙・中央日報が今月11日、韓国情報当局者の話として、趙甬元氏の経歴に関する情報を伝えた。

 趙甬元氏は1995年に北朝鮮の名門、金日成総合大の物理学科を卒業したという。1957年生まれのため、卒業時には既に38歳前後。軍に服務のうえ同大に進学し、博士院(大学院)に進んだり、他の大学にも通ったりしていた可能性がある。

 当時、趙甬元氏に限らず、物理学科の卒業生7~8人が党幹部候補として登用されたという。これは金正日氏が1980年代初頭、「理工系出身者を党幹部として育成せよ」と指示していたことが反映されたようだ。

 さらに中央日報は趙甬元氏の義父について「軍戦車教導指導局長を務めたウォン・ミョンギュン上将」と記している。

 北朝鮮の公式報道をみると、金正日時代の朝鮮人民軍総政治局に元明均(ウォン・ミョンギュン)副局長(上将)という名前を確認できる。当時の軍総政治局長は趙明録(チョ・ミョンロク)氏。金正日氏の特使として2000年に訪米して当時のクリントン大統領と会談したこともある重要人物だ。同じ「趙」姓であることから、趙甬元氏―趙明録氏間の血縁関係を想像できるが、現時点では関連情報はない。

 趙甬元氏は大学卒業後、江原道(カンウォンド)党委員会に組織部指導員として配置され、その後、平壌に戻って組織指導部に入り、順調に出世を重ねたようだ。金正日氏の側近で党の実力者だった李済剛(リ・ジェガン)氏=2010年6月交通事故死=が組織指導部第1副部長だったころ、趙甬元氏は組織指導部副部長に指名され、金正恩時代に入った2011年以後、着実に力をつけたようだ。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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