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最大野党・国民の力の大統領候補に尹錫悦氏が選出、「疑惑」渦巻く韓国大統領選が本格スタート

徐台教ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長
最大野党・国民の力の大統領候補となった尹錫悦(ユン・ソギョル)氏。同党提供。

5日午後、最大野党・国民の力の次期大統領選候補に尹錫悦(ユン・ソギョル、60)氏が選出された。これで主要な候補が出揃ったことになる。尹氏の人物像と、来年3月9日投票となる大統領選の今後の見通しを整理した。

●党内支持で圧倒

国民の力の全党大会はこの日、ソウル市内にある白凡金九記念館で行われた。

党員投票50%、一般世論調査50%というルールで4人の最終候補が争った予備選の結果は、尹錫悦47.85%、洪準杓(ホン・ジュンピョ、67)41.50%、劉承旼(ユ・スンミン、63)7.47%、元喜龍(ウォン・ヒリョン、57)3.17%となり、尹候補が約6ポイント差で大統領候補に選出された。

1位の尹氏と2位の洪氏は接戦となっていた。5日の午前の段階でも「尹が勝った」、「洪が勝った」という噂が駆け巡るほどだった。だが、尹氏が洪氏よりも圧倒的に強い党内基盤を支えに押し切った形だ。

●検察総長・尹錫悦

尹錫悦氏は韓国ではここ10年余り、「検察の顔」の一人として知られてきた。

12年12月の大統領選で、時の保守政権が情報機関である国家情報院を使って世論操作を行っていた問題を捜査する過程で、検察上層部の意に逆らい捜査を進めたことで更迭された。この時、国政監査の場で発した「私は人に忠誠しない」という言葉は尹氏を「硬骨の検事」として印象付けた。

その後、16年11月に時の朴槿恵(パク・クネ)大統領が側近の崔順実(チェ・スンシル)の介入を許し、憲法違反という「国政ろう断」に問われた際には、特別検事チームの中心として活躍し華麗に復権した。

17年5月に文在寅政権が発足するや、花形のソウル中央地検長に大抜擢され、文政権の革新的なイメージを支える一人となる。続いて19年7月には検察トップの検察総長に就任し、名実ともに検察の顔、政権の顔となった。

しかしここから、文政権と激しい摩擦を引き起こす。同8月にリベラル派の著名大学教授である曺国(チョ・グク)氏が法務部長官候補に選ばれると、これに激しく反対し、検察の総力を上げるような厳しい捜査を行った。

この結果、曺氏夫妻は起訴され、今も裁判が続いているが、この過程で文政権の支持者からは「政権の敵」として裏切り者扱いされる一方、「敵に厳しく身内に甘い」文政権を批判する市民たちからは喝采を浴びた。

後に尹氏は当時の捜査を「曺国の捜査は正義でも政治でもない。これは常識だった」と「法治の確立」という見地から捉えていることを明かしている。

だが、対立の背景には曺氏が「世界一」とされる韓国の検察の力を削ぐ「改革の最先鋒」であったことが関係していたとする見方が一般的だ。根っからの検察である尹氏がこれに激しく対立したということだ。

このため尹氏は曺長官を辞任に追い込んだ後も、’検察改革’を進める文政権と正面から対決を続ける。しかし、その過程で2度にわたり捜査指揮権を剥奪され、20年11月には懲戒を受け2か月の職務停止を命じられた。

なお、当時は執行停止を求める仮処分申請が認められたが、今年10月、裁判所はこの時の懲戒が「正当」という判断を下している。

衝突がピークに達するや21年3月、尹錫悦氏は任期を4か月あまり残し検察総長を辞任した。

この時尹氏は「この国を支えてきた憲法精神と法治システムが破壊されている。その被害はすべて国民に返ってくるだろう。(中略)この社会が懸命に積み上げてきた正義と常識が倒れることをこれ以上見ていられない」と述べている。

そして6月29日、保守という立ち位置から大統領選挙に臨む出馬宣言を行った。検察一筋26年、高い捜査能力を買われてきた人物の転身だった。

19年7月25日、尹錫悦検察総長(右)を任命した直後の文大統領。青瓦台提供。
19年7月25日、尹錫悦検察総長(右)を任命した直後の文大統領。青瓦台提供。

●多弁で兄貴肌

1960年、尹錫悦候補は韓国風に表現すると「銀のスプーン」を咥えて生まれた。父は名門・延世大学の教授だった。母も大学教授で講義をするエリート家系だった。

1979年、尹氏は国立ソウル大学の法学部に入学する。学生時代には1980年5月に光州市民を弾圧した全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領に模擬裁判で無期懲役刑を下したことで一時、地方に逃れたという話が知られている。

1991年、司法試験に8浪の末、合格する。その後の過程は上記の通り、検事一筋であったが途中で一年、弁護士として活動していた。

性格は韓国メディアや関連書籍によると、人とよく交わり、酒も飲み、先輩後輩の慶弔事は欠かさず、義理堅い人物とされる。浪人中も司法試験を準備する後輩達と討論するなど「達弁で多弁」とされ、「兄貴肌」というイメージが一般的だ。そのため、検察内の人脈は特に強い。

また、検察でのキャリアから見てきたように思ったことを曲げない面がある。「パンチを避けるフロイド・メイウェザーと、愚直に殴られながらもKOを狙うマイク・タイソンとでは、どちらの政治スタイルを好むか」という問いに、「タイソン」と即答したとされるように、正面突破型の人物でもある。

なお、特定の信仰は持たない。52歳の時に40歳の女性と結婚している。夫人と義母ともに金銭に関する疑惑があり、捜査と裁判が続いている。

●承諾演説で「政権交替」を強調

当選が決まるや、尹錫悦候補は承諾演説を行った。

冒頭で「喜びよりも厳重な責任感と政権交替の重い使命感を感じる」と述べ、「初めての道、初めて行うことであるため、足りない部分も多かったが、政権交替を熱望する国民の大きな支持と激励でここまで来た」とした。

なお、筆者が「政権交替」という言葉を使っているが、本来「交代」は一度きり役割を受け継ぐことを、「交替」は入れ替わりで何度も役割を果たすことを指す。

韓国の場合、大統領は一度きりだが5年ごとに行われる大統領選を通じ、政権は常に入れ替わる可能性がある。このため、韓国語の表現を重視し「政権交替」を使うことにする。

尹候補はさらに、残る3人の候補の名前を挙げ「ワンチーム」を強調した。

有権者に対しては、「政治家たちの顔色をうかがわず、公正な基準で社会の隅々まで蔓延する特権と反則を正す」と決意を述べた。

そして「人に忠誠せず、国民にだけ忠誠する」と、同氏の代名詞となっているフレーズをもじり、支持を訴えた。

その上で「今回の大統領選はいつもの選挙とは異なり、国の存亡がかかった絶体絶命の選挙である」とし、「政権交替を成し遂げられない場合には、法治の蹂躙が続き非常識が常識になる民主党の逸脱はさらに進む」と意気込みを述べた。

5日、受諾演説を行う尹錫悦候補。国民の力提供。
5日、受諾演説を行う尹錫悦候補。国民の力提供。

●今後は接戦に

3月9日の投票日まで120日あまり。今後は、与党・共に民主党の李在明(イ・ジェミョン、57)候補と大統領の座を争う。

第二野党・正義党の沈相奵(シム・サンジョン、62)氏、さらに第三野党・国民の党の安哲秀(アン・チョルス、59)氏、そして新党を結成した金東兗(キム・ドンヨン、64)氏などの候補も出揃っている。

これまで一般的に、政権維持を狙う与党にとって尹錫悦氏はこの日2位となった洪準杓氏よりも、「楽な相手」と見られてきた。

理由は、▲ベテランの洪準杓候補と異なり尹氏の政治経験が全く無いため失言が目立つ点、▲夫人と義母の金銭スキャンダルの裁判を抱えていること、▲昨年の国会議員選挙に検察権力を介入させた疑いなど悪材料が多い点に加え、選挙の行く末を握ると見られる20代30代の支持が極端に低い点などがある。

若者の支持については今後、36歳と若い李俊錫(イ・ジュンソク)代表が乗り出し、二人三脚で選挙活動を行っていくものと見られる。

しかし李俊錫代表は20代30代の男性から大きな支持を受けている反面、女性からの人気は低い。李在明候補も20代30代女性からの人気が低いのは同様であるため、争点の一つとなる。

また国民の党には今後、過去に朴槿恵、文在寅という二人の「後の大統領」を支えた韓国の「キングメーカー」こと金鐘仁(キム・ジョンイン、80)氏が合流し、政権交替に向けた総力戦の構えを整えていくと予想される。

韓国の政治地形は、保守派3割、進歩派3割、中道(浮動層)3割と言われる。保守・進歩の両陣営がいかに中道層を取り込むのかで勝敗が分かれる。

国会議席6割を占める与党は、新型コロナ手当という現金配布や、国会運営といった制度面でのアドバンテージがある。一方で、政権交替を望む世論が50%を優に超えるという世論調査結果も次々と出ている。

このように複雑に状況が入り組んでいる上に、与党の李在明候補も、大庄洞(テジャンドン)開発における利益分配をめぐり、捜査線上にのぼる可能性が残っているなど、有力候補の「疑惑」には事欠かない大統領選となる。今後毎日「何か」が起きるであろうことは想像に難くなく、全く先が読めない。

現時点で3月9日の結果を予想することは、100年後の天気予報を行うようなものだ。とにかく今は「いよいよ始まった」という認識を持つにとどめるべきだろう。

ソウル在住ジャーナリスト。『コリア・フォーカス』編集長

群馬県生まれの在日コリアン3世。1999年からソウルに住み人権NGO代表や日本メディアの記者として朝鮮半島問題に関わる。2015年韓国に「永住帰国」すると同時に独立。16年10月から半年以上「ろうそくデモ」と朴槿恵大統領弾劾に伴う大統領選挙を密着取材。17年5月に韓国政治、南北関係など朝鮮半島情勢を扱う『コリアン・ポリティクス』を創刊。20年2月に朝鮮半島と日本の社会問題を解決するメディア『ニュースタンス』への転換を経て、23年9月から再び朝鮮半島情勢に焦点を当てる『コリア・フォーカス』にリニューアル。ソウル外国人特派員協会(SFCC)正会員。22年「第7回鶴峰賞言論部門優秀賞」受賞。

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