障害者にとって最大の障害は?DET(障害平等研修)のファシリテーター、石川悧々さんがいま伝えたいこと
東京都大田区にある、バリアフリー社会人サークル・colorsを500日間にわたって撮影したドキュメンタリー映画「ラプソディ オブ colors」。
障がいのあるないにかかわらず、さまざまな人が集い、言いたいことを言い合い、表現するユニークな場所になっているこの場を撮影し続けた本作について、佐藤隆之監督(前編・後編)に続き、「colors」の発起人、石川悧々さんに訊くインタビュー(前編)の後編へ。
施術ミスで車いす生活に。
こんなことで身体が一生動かないなんてことはないだろうと思い込んでいた
ここからは、石川自身のこれまでのこと、「colors」の今後、自身のこの先についてきいた。
これは作品内でも明かしていることだが、石川さんが車いす生活になったのは、通っていた整骨院の施術ミス。この現実を前にしたとき、どういうことを考えたのだろうか?
「当時、私は治ると思ってたんです。こんなことで身体が一生動かないなんていうことはないだろうと思い込んでいました。だから、そんなに落ち込まなかったんです。
その整骨院にすごくうまい方がいて、毎週のように通っていたんですけど、その日はたまたま新人の方にお願いして。そういうことになってしまった。
それで、新人さんが可哀想という気持ちのほうが先にあったところがあります。
でも、正直なことを言うと、あまりよく当時のことを覚えてないんですよ。オムツをして寝たきりのような状態にまでなったので、前後2~3カ月ぐらいの記憶が飛んじゃってて。
周囲からは『裁判しろ』とか言われたんですけど、自分の具合が悪くてそんな気になれなかったりして。だから、『もう起きてしまったことは仕方ない』といった感じでしたね」
「colors」をはじめる前に、子ども版「colors」ともいう場所を作っていた
頸椎損傷で車いす生活になる前は、ブティックを経営していたという。
「父が『ブティックをやりたい』と言って、蒲田の駅ビルにお店をオープンしたんです。
そこをずっと手伝っていて、父がリタイアしてからは、わたしが切り盛りしていました。25年ぐらいやっていたかな、確か。
蒲田に住んでもいたので、かつての『colors』があったところも地元と言えば地元で。土地勘はありました」
実は、「colors」をはじめる前に、子ども版「colors」ともいう場所を作っていたと明かす。
「障がい児も健常児も一緒に遊べる場所を作りたいというNPOと知り合い、私がやることになりました。
いろいろな自治体によって違いはあると思うんですけど、当時、健常児は放課後は児童館で遊ぶけど、障がいのある子は、児童館に断られちゃったりするんですよ。
発達障がいの子とかだと、ずっと座って入れなかったりして、児童館としては対応しかねるところがあると。いまはかなり変わってきていると思うんですけど。
そういう現実を前にしたとき、わたしとしてはそういう線引きはどうなのかなと思って。健常者に基準を置くんじゃなくて、そういう子もいられる環境を作っていくべきじゃないかと思ったんです。
小学校に上がる時に、それまで一緒に遊んでいた障がい児と健常児を『○○ちゃんは普通ではなくて特別だから』と、特別支援学校・学級へ行かせ、他の子どもたちは普通校・普通級と分けられる。そこで分断されると一緒に遊んだり学んだりという『共に育つ機会』が奪われて、障がい者が違う世界に住む人間のような感覚になってしまう。
そうなると大人になり社会に出てから急に『障がい者を理解するように。共に生きるように』と言われても、戸惑いますよね。そもそも接点がそれまでなかったわけですから。
だから、相互交流できるような障がい児も健常児も一緒に遊べる場所を作ったんです」
「障害」って、社会や心無い人たちが作っているものではないか
そういったことを考えていたときにDET(障害平等研修)に出合った。
「国連障害者権利条約ができて以降世界では、『障害者に障害があるのではなく、社会の中に「障害」という問題がある』とする『障害の社会モデル』の考え方が主流になってきている。風雷社中の中村さんや周りの人が『だから障がい者を責めたり訓練させたりすることを考えるのではなく、社会環境を平等に整える方が正しい。それをすべての人にわかりやすく伝えられるのが、海外でたくさん実施されている障害平等研修(DET)だ』と聞きました。
それを聞いたときにわたしも素直に同意できたんですよね。
『障害』って、社会や心無い人たちが作っているものではないかと。
障がい者に対する無理解、無関心、偏見、差別は、障がい者が作っているのではなく、社会の側が作っている。
だから、『障害』は社会の側にあるという考えを広めていかないといけない。その通りだと思いました。
これは障がい者に限った話ではない。いわゆるマイノリティーと称される人たちが、差別を受けたり、偏見を持たれるのか?同じ人間として見られないのか?
そのとき、障がい者に問題があるのではなく、『社会に問題がある、それが「障害」である』という考えに立つと、『ああ、障がい者はかわいそうね』と思う前に『かわいそうな存在にしているのは、自分たちがちゃんと理解し、配慮をしていないことこそが「障害・障壁」ではないか』ということに気づく。
この『障害』を生み出しているのは障がい者ではなく、社会の側にあるという考え方が、もし広まったら、すごく社会が変わるんじゃないかと思いました。
そして、マイノリティーだって言われる人たちが、それによって悩むこととかなくなるんじゃないかなと。
だから、『障害者差別解消法も制定されるから日本でもやらないとダメだよね』と思って。
DET(障害平等研修)を世界で進めていたのが日本人の久野研二さんで、大田区の有志で彼にお会いして、日本でスタートさせる準備を始めました。
それで、久野さんが帰ってきてNPO法人を作って、わたしも勉強をきちんとしてファシリテーターになりました。
2016年の障害者差別解消法の制定の前にたちあげようとしたので、たしか2015年にスタートさせたと思います。
『colors』を始めたのが2014年ですから、その翌年ですね」
自分の出来ることをするようになる。
それは、きっと社会変革に参加していくことにつながっていく
現在に至るまで、DET(障害平等研修)のファシリテーターとして奔走する日々が続いている。
「映画の中では、世界宗教者平和会議での研修が映し出されていますけど、実際は、行政職員や企業の研修としてというのが多いです。
あと大学で授業でやったりですとか、小中高の授業で人権教育で呼ばれることもあります。
ほんとうに、頼まれたらどこでも行ってやっています(笑)。
実際に研修を受けてもらうと、みなさん劇的に意識が変わるんですよね。
最後のまとめで『じゃあ、みなさん、この研修を経て、明日から障がいをなくすためにどんなことをしますか?』というのを書いてもらうんです。
すると、たとえば、『私は毎朝、点字ブロックの上の自転車をどけます』とか返ってくる。
みなさん、自分で自分の明日からの行動を書いて終了しますが、書いたことが心のどこかに引っかかって、小さいことのひとつかふたつ、自分の出来ることをするようになるんです。
それは、きっと社会変革に参加していくことにつながっていく。
そういうことが積み重なってちょっとずつ社会から障害がなくなっていくと信じています。
あと、子どもたちには、障がいというよりも本人たちの立場に置き換えて考えてもらうというか。
同じクラスの中でも、一人一人が違う考えがあって、その人それぞれに得手不得手がある。
だから、そこだけ『できないから』といってバカにしたり、いじめるのではなく、『自分だってできないことはあるんだから『助けたり、助けられたりするものだ』と思うようにといった方向にもっていく。
そうすると、子どもたちの意識が変わる。いい意味で、助けることも、助けられることも恥かしいことではないような考えになって、それより助け合ってわかりあって喜びをわかちあうような意識に気づかせる。
だから、DETの研修をやると、いじめがすごい減るんです」
『障がい者=かわいそう』というイメージから
『社会からかわいそうな存在にさせられている』という構図
障がい者に対する社会のイメージをさらに変えていきたいという。
「研修のとき、最初に書いてもらうんです。『「障害」って何ですか』という問いに対する答えを。
そうすると、『個性』と書く人がいまはすごく多い。『障害とは個性だ』と。
そこで『じゃあ、わたし、車いすに乗ってるから個性的なんですかね?』とか聞くと、みんな『あれ?』となって、いろいろと考えを巡らせる。
『「障害」って何?どこにあるのか?』をファシリテーターである私のような障がい者がどんどん質問して掘り下げていくと、『いや、「障害」は社会にある』ということに気づく。
そうすると、『障がい者=かわいそう』というイメージから『社会からかわいそうな存在にさせられている』という構図になっていることに気づく。
まだまだ先は長いと思うんですけど、こういうことを積み重ねていって、障がい者差別とは具体的にどういうことで何が原因なのか?差別される側では無く、無意識に差別をしている側に気づいてもらうことで、社会変革をしたいと思っています」
障がいに関する本や法律を学ぶより、一緒に遊んだほうがよっぽど
相互理解が深まって対等なれる
先で触れたように石川さんのもうひとつの顔は、社会人サークル「colors」の代表。「colors」という場をいまはどうとらえているのだろうか?
「研修の話をずっとしてきていうのもなんなんですけど(苦笑)、障がい者やLGBTQといったいわゆるマイノリティーと呼ばれる人たちと、いわゆる健常者とされる人たちが互いを尊重して理解し合うための1番てっとり早い方法って、一緒にのんだり遊ぶことだと思うんです。
いっしょにご飯食べたり飲んだり、遊びにいくと、たとえば『ああ、目の見えない人はこういうこと困るんだ』とかもう直接わかる。
障がいに関する本や法律を学ぶより、一緒に遊んだほうがよっぽど相互理解が深まって対等になれるところがある。
『colors』はそういう場になれたのではないかなと。
ある意味、自分の理想とする社会の縮図を実現できたのではないかと思っています」
「colors」は「障がい者を助けるために健常者がいる」
という構造の場所では無い
そういう場になった理由のひとつをこう明かす。
「ひとつ言えるのは、『colors』には、障がい者と仲良くしてあげよう、手伝ってあげようとかいう人はほとんど来てないんですよね。
イベントに参加したくて自分自身が楽しむためにやってくる。そのイベント目当てでやってくる。ふつうのコンサートとかと同じです。
だから、さっきの話に戻りますけど、障がい者=かわいそうで、『可哀想な障がい者のために私が何かしてやろう』ということが目的の人だとびっくりするんです。障がいがあろうとなかろうと、手伝いあったり、言いたいこと言い合ったり平等に対等に付き合ってますから。
障がい者=守るべき人のイメージが崩れ去ってしまう。だから、ある種、居心地の悪さを感じてしまう。
よく私も障がい者なので連絡いただくんですよ。見ず知らずの方から『私があなたを助けます』と。
ただ、特段困っていることもないから、『大丈夫です』と支援を断ったりすると、『こっちは優しい気持ちで助けてやろうとしてるのに』とか、すごく怒る人いるんです。
そういう人が『colors 』に来ても、1回来たら、来なくなる。障がい者を助けるために健常者がいる、という構造の場所では無いからです。その関係が居心地良くて集まってくる人が多い。
変な上下関係もなければ偏見もない、ほんとうにこういう場所を求めていた人が集まったのが大きいのかなと思います」
障がい者となったことをいまは後悔していないという。
「DET(障害平等研修)のファシリテーターには障がい者にしかなれないんです。この仕事に巡り合えたのも、障がい者になったから。
『colors』も障がいの当事者でなければ始めていなかった。
また、始めたとしても、わたしが当事者でなければこれだけいろいろな人が集まってこなかったと思うんです。
集まってこなかったら、わたしはみなさんと出会うこともなかった。
障がい者ならではの仕事が今できてて、それがすごく面白い。好きなことが仕事にできる人生は最高に幸せだと思う。
いま、趣味は障害平等研修なので(笑)、良かったなと思ってます。
障害を負ったことで成長できているかなと思っています」
映画「ラプソディ オブ colors」
監督・撮影・編集:佐藤隆之
出演:石川悧々 中村和利 新井寿明 上田繁 Mayumi ほか
全国順次公開中
公式サイト:https://www.rhapsody-movie.com/
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