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B1制覇まであと2勝 宇都宮ブレックスを勝利に導く“執着心”はなぜ生まれるのか?

大島和人スポーツライター
ボールに飛び込む比江島慎選手 写真=B.LEAGUE

“際”の強さでファイナルへ

2020-21シーズンのBリーグ王者を決めるチャンピオンシップのファイナル(決勝)が、5月29日から2勝先取方式で始まる。宇都宮ブレックス、千葉ジェッツとも素晴らしいチームだが、戴冠の最短距離にいるのはやはりブレックスだろう。彼らはレギュラーシーズンを49勝11敗とB1最高勝率で終え、ポストシーズンに入っても好調を維持。サンロッカーズ渋谷と川崎ブレイブサンダースをいずれも2勝0敗で退けて最終決戦に勝ち上がっている。

川崎の佐藤賢次ヘッドコーチ(HC)はセミファイナル(準決勝)第2戦の試合後にこう述べていた。

「今日のゲームは完敗だと思います。前半は食らいつきながら、後半は一個のルーズボール、弾いたボール、フィフティ・フィフティのボールを取り切られた。スリーポイントでもやられて、なかなか流れが来なかった」

ブレックスの強みはシンプルだ。リバウンドやルーズボール、そして“執着心”といった二語三語でそれを言い表せる。どちらに転ぶか分からないボールをモノにする際の強さ、鋭さ、たゆまぬ継続性こそが彼らのアイデンティティ。川崎もフィジカルの強さ、プレーの激しさを持つチームだが、大一番でブレックスに後手を踏んだ。

「勝ちたい意識がそうさせる」

2017-18シーズンの途中から指揮を執る安齋竜三HCも、同じ試合後にこう説明していた。

「普段からウチはリバウンドが強いほうだと思うし、意識も高いほうだと思います。(セミファイナルで)レギュラーシーズンはやらなかったビッグラインアップを急に出しました。特にあのビッグマン4人、(竹内)公輔を含めてジェフ(ギブス)、ジョシュ(スコット)、ライアン(ロシター)の強さは僕が外から見ていてもすごいなと感じるくらいです。本人のセンスもあるんですけど絶対に勝ちたい、チームのために働きたいという意識が彼らをそうさせるのではないかと思います」

チーム全体についても、誇らしそうな様子でこう述べる。

「『チームワークとは犠牲心と、それを評価できる組織』という話を(インタビューで)させてもらったんですけれど、このセミファイナル、クォーターファイナルはそれが出たゲームでした。自分で言うのもなんですけど、今このチームはめちゃくちゃいいチームだと思います」

強力メンバーが泥臭く

比江島慎は日本代表のシューティングガードで、細かいステップやハンドリングを持つクリエイティブな選手だ。彼も2018-19シーズンの途中に宇都宮へ加入し、泥臭さや戦う姿勢を持ち合わせたプレイヤーに進化しつつある。

比江島はチームにアジャストした過程をこう振り返る。

「ディフェンス、リバウンドを全員で戦うところは少し時間を要してしまったんですけれど、その中で自分の持ちを出すところが今はできている。ブレックスに来て『コートの中にいるときは120%のエネルギーを出す』『控えの選手を信じて疲れたら変わればいい』という考えでやれている。そこがいいプレーにつながっていると思います」

普段はあまり強気なコメントを口にするタイプでない比江島だが、今はチームの充実ぶりを力強く言い切る。

「去年からコアなメンバーは変わらず、そこにLJ(ピーク)やジョシュ(スコット)が入ってくれて弱点を埋めてくれた。これだけのメンバーが揃っている中で泥臭いプレー、DFを徹底すれば、それは強いチームになる。今はどこが相手だろうと勝てるイメージを持てている」

ベテランが示すお手本

なぜ選手に勝利へのこだわり、執着心、自己犠牲の精神を植え付けられるのか?そう問われた安齋HCはこう説明していた。

「教え方は僕もわからないです。とりあえず『飛び込め』としか言わないです。飛び込まなかったら映像は見せますけど、正直(言葉では)教えていません。でもウチはずっとそれをやっているし、(田臥)勇太を筆頭に、長くウチにいるベテランがそれを率先してやってくれる。新しく入ってきた選手、例えばLJ(ピーク)も今年入ってそれをやっている。元々(ブレックス加入前にプレーしていた)ヨーロッパの試合を見ていてLJがダイブをしているシーンは見たことがありません。周りがそれをやって勝っているから、引っ張られているんだと思います」

田臥勇太選手(左)と安齋竜三HC(右)写真=B.LEAGUE
田臥勇太選手(左)と安齋竜三HC(右)写真=B.LEAGUE

キーマンは在籍13年目の田臥

宇都宮が96-78と快勝したセミファイナルの第2戦で、ブレックスアリーナが最も沸いた場面は残り38秒のプレーだった。その直前、18点リードでほぼ勝利が決している時間帯から登場した田臥勇太が、3ポイントシュートを決めたシーンだ。

田臥は現在40歳で、安齋HCと同学年。2016-17シーズンは正ポイントガードとしてB1制覇に貢献したものの、2018-19シーズンから負傷に苦しみ、今季の出場時間も1試合平均3分強にとどまっている。しかしブレックスのファンは、彼の今に至る貢献をよく知っている。

日本人初のNBAプレイヤーである田臥は2008年夏に帰国して、JBL参入初年度を迎える新興プロチーム・リンク栃木ブレックス(当時)と契約。在籍2季目の2009-10シーズンにはチームをJBL(当時)制覇に導いた。そして今季までのべ13シーズンに渡って練習からチームを引っ張り、勝者の文化を広めてきた。今さら言うまでもなく、田臥は「ブレックスメンタリティ」を築いたキーマンだ。

「赤字も覚悟していました」

加入当時の社長だった山谷拓志(現茨城ロボッツ社長)はこう振り返る。

「日本一になるためにはどういう戦力が必要か、そのためにはどれだけ稼がなければいけないか、どれだけお客さんを呼ばなければいけないか……というところから考えました。日本一をまず掲げて逆算して、そのために田臥を獲りました」

とはいっても当時のブレックスは創設直後で、年間予算も現在の3分の1以下となる4億円弱。その経営体力でリーグ最高給となる選手を獲得し、数千万円を投じるのだから、間違いなくリスクの大きな投資だった。

山谷は当時の計算をこう明かす。

「脂が乗っている頃ですから、戦力としての評価はもちろんあります。加えて彼が来ることによる肖像としての価値、お客さんを呼び込む価値を狙っての投資ですね。ただ田臥が来たときってシーズンの編成はもう終わっていた時期なんです。9月後半に開幕する中で、8月に田臥を取るという話が回ってきた。来ることなんて想定していないし、予算もない。(田臥加入による)収入増というある程度のそろばんはありましたけれど、赤字も覚悟していました。銀行から万が一のときにお金を借りられるかとか、その確認をした記憶はあります」

チームの基礎を作った投資

2008年はJBL、bjリーグと男子バスケのトップリーグが二つに分立し、日本バスケが膠着していた時期。大企業に支援された実業団チームが潤沢な予算を持ち、プロチームは強化どころか存続に汲々としていた時代でもある。しかしブレックスは2010年の優勝もあって栃木に根付き、強化や資金力で日本のトップへと成長していく。立ち上げ期の挑戦が、今の隆盛につながっている。

山谷は振り返る。

「充分に元が取れましたし、彼が関わってくれたことで、ブレックスというブランドが確立しています。鹿島アントラーズに最初ジーコが来たように、クラブの創成期に象徴的な選手が来ることで、その先が規定されます。ブレックスが田臥を呼び、Bリーグの初代王者になったことで、価値の基礎を作れている。チーム作りにおいても彼のメンタリティ、勝ちへのこだわりは当時も今も大きいと思います」

執着心を引き出すカルチャー

人材はお金で揃えられても、チームの文化はお金で買えない。努力の積み重ねと時間があって初めて、勝者のマインドは全体に根付く。田臥はもちろん能力の高いプレイヤーだったが、加えてその真摯な姿勢で「チーム全体を引っ張るリーダー」だった。英語が堪能な彼は外国出身選手も含めたチームメイトにいい影響を与え、それがブレックスメンタリティを生み出した。

田臥やチームを応援するためにチケットを買い、アリーナで彼らを支えたファンの存在も当然ながら大きい。田臥の人気は単なるブームでなく、それから13年に渡って栃木を盛り上げ、地域に根ざす息の長い現象を巻き起こした。

ブレックスはB1屈指のビッグクラブとなり、今季はジョシュ・スコットやLJピークといった強力な外国籍選手を獲得。日本代表の比江島や竹内公輔がセカンドユニットに回るほど、隙のないロースターを誇っている。能力の高い選手が集まり、ブレックスの「出し切る文化」に染まる――。その結果が今シーズンの成績だ。

選手たちはなぜ身体を張ってボールに飛び込めるのか?勝利やボールへの執着心を発揮できるのか。それは「そうさせる文化」がチーム、アリーナにあるからだ。

田臥に加えてライアン・ロシター、ジェフ・ギブス、遠藤祐亮といったコアメンバーが勝者のメンタリティをチームに根付かせた。経営と現場、チームとファンがいい関係を築き、時間をかけてよきカルチャーを昇華させてきた。だからこそ、ブレックスは強いのだろう。

スポーツライター

Kazuto Oshima 1976年11月生まれ。出身地は神奈川、三重、和歌山、埼玉と諸説あり。大学在学中はテレビ局のリサーチャーとして世界中のスポーツを観察。早稲田大学を卒業後は外資系損保、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を始めた。サッカー、バスケット、野球、ラグビーなどの現場にも半ば中毒的に足を運んでいる。未知の選手との遭遇、新たな才能の発見を無上の喜びとし、育成年代の試合は大好物。日本をアメリカ、スペイン、ブラジルのような“球技大国”にすることを一生の夢にしている。21年1月14日には『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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