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「侍ジャパン」を苦しめた「地球の裏側からやって来たサムライ」。ラファエル・フェルナンデスの挑戦

阿佐智ベースボールジャーナリスト
試合で力投する元ヤクルトのラファエル・フェルナンデス(BCリーグ・茨城)

「チャンスが来たからと言った方がいいですね」

 「現役復帰」の言葉はあえて使わなかった。5年ぶりにプロのユニフォームに袖を通したラファエル・フェルナンデスは、その理由をこう述べた。

 2013年春に開催された第3回WBC。予選が初めて採用されたこの大会で、中南米の強豪ひしめくパナマでの予選大会を勝ち抜いたのは、出場4か国の中で唯一自国にプロリーグのないブラジルだった。

この国において、野球は日系人のスポーツ。この時のメンバーの多くは、日本でプレーしていた日系人選手で、大会当局は、本戦に際して、当初の予定を変更して、ブラジル代表を日本に送ることにした。しかし、大方の予想は、福岡で開催されるA組で、ブラジルは勝利を挙げることはできないのはもちろん、日本、キューバという優勝候補相手には大敗を喫するだろうというものだった。

 しかし、蓋を開けてみれば、ブラジルは全敗に終わったものの、3試合すべてを3点差以内に収め、初戦では、侍ジャパン相手に7回までリードを保ち、日本の野球ファンを冷や冷やさせた。

 その立役者と言っていいのが、日本戦の先発投手として3イニングを1失点に抑えたフェルナンデスだった。高校卒業後、日本に渡り白鴎大学から育成選手として2009年にヤクルト入りした後、翌年に支配下登録されながらも、通算わずか1勝しか挙げていなかった「二軍投手」が演じた侍ジャパン相手の好投は、彼の野球人生のハイライトであったことは間違いない。

 しかし、この好投もシーズンに入って続くことはなく、2013年シーズンを一軍登板なしに終わったフェルナンデスは、自由契約を言い渡される。一旦、母国に帰ってアマチュアチームでプレーした彼は、2015年に独立リーグ・四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに入団、プロ(NPB)への復帰を模索するが、ここでも勝ち星を挙げることができず、その後もオーストラリアのウィンターリーグや日本のクラブチームでプレーし、ブラジル代表のメンバーとして、第4回のWBC予選のメンバーにも名を連ねた。しかし、ニューヨークでの予選が終わり、妻の待つ日本に帰ったものの、彼のプレーの場は用意されていなかった。フェルナンデスは、工場勤めで糊口をしのいだ。

ホームゲームでインタビューに応じたフェルナンデス(茨城・高萩はぎまろ球場)
ホームゲームでインタビューに応じたフェルナンデス(茨城・高萩はぎまろ球場)

 

 2017年のシーズンを迎えようとするときになって、日本ハムファイターズから声がかかった。

「通訳をやってくれないか」

 日本ハム球団は、母語のポルトガル語と同系統のスペイン語も流暢に操るフェルナンデスに当時在籍していたラテン系選手の世話をさせるべく、フェルナンデスにオファーをかけた。これを受けることにしたフェルナンデスだったが、一つだけ条件をつけた。

「トレーニングはさせてください」

 単身北海道に乗り込んだフェルナンデスは、仕事の合間にトレーニングを積んだ。しかし、身分はあくまで球団職員。選手のための練習施設を大っぴらに使うわけにはいかない。それでも、本来の仕事に支障をきたさない程度ならば、球団も施設の使用を黙認してくれた。ひとりネットに向かってボールを投げ続けるフェルナンデスの姿に、いつも世話になっているからと、外国人選手たちは、キャッチボールのパートナーを務めてくれた。

「いいんだよ、僕の練習の手伝いなんだから」

 この年のオフ、ブラジル代表のユニフォームに身を包んだフェルナンデスの姿がNPB合同トライアウトにあった。打者4人をきっちり抑えるも、31歳になる彼を獲得することはなかった。

この時期の彼を知るある独立リーグの指導者はこう語っていた。

 「もうある程度、実力はわかっていますから。仮に独立リーグレベルでいい成績を残したとしても、NPB復帰は難しいでしょうね」

 球団職員として3シーズンを送った。それでもトレーニングは欠かすことはなかった。そして、今年の3月、フェルナンデスは球団に暇乞いを申し出た。2021年開催予定の第5回WBCを控え、アリゾナで予選大会が行われることになったのだ。ブラジル野球連盟は、フェルナンデスに召集をかけた。

「WBCがいいタイミングだったというだけです。自分の中では現役を辞めたという意識はありませんでしたから」

 日本でプレーする同胞とともにフェルナンデスはアメリカに渡り、アリゾナでの予選に臨んだが、世界中を席巻する新型コロナを前に、大会は中止となった。久々の同胞たちとの再会に胸躍らせていたところに突然舞い込んだ大会中止の通告に、落胆はしたが、大学生チームとの練習試合で踏んだひさかたぶりの実戦マウンドに、フェルナンデスは確かな手ごたえを得た。

 大会中止後、フェルナンデスは「帰国」した。もちろん「帰国」先は日本だ。日本人の妻を娶った彼にとって帰るべき家は日本にある。ブラジルにはもう5年ほど帰っていない。

「連絡はとっていますけど、コロナに関してあまり話さないですね。自分の家族がかからないように祈るだけです。自分からできることもないですし」

 現役復帰を目指しての日本ハムを退団だったが、帰国後のあてはなかった。フェルナンデスは、国外球団を含めて複数の球団に売り込みをかけたものの、コロナ禍の中、国外の球団から声がかかるはずもなく、独立リーグもほぼ陣容は固まっており、色よい返事はもらえなかった。ただ一つ、ルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツから入団の打診があった。妻とともに茨城県内に住むフェルナンデスにとってある意味最良の球団が偶然にもオファーをかけてきた。3月末、フェルナンデスは茨城と契約を結んだ。

 最後にチームの一員としてプレーしたのは4年前。クラブチームでのことだった。プロとしては、さらにその1年前、独立リーグの愛媛マンダリンパイレーツでのことだった。その当時から年齢も重ねている。34歳という年齢は、十分にベテランと言っていい。その年齢で、NPBを目指す若い選手に混じって練習するのはかなりきついはずだ。それでも、フェルナンデスは、「それはない」と疲れを否定する。

「投手ランニングには、最初の1週間はついていけなかったですけどね(笑)。まあ、久しぶりの選手としてのプレーだったんで、張りは出ますよ。でも、まあ普通の張りですよ。確かに5年間くらいブランクがあって、その間、ちゃんと練習はできていないんで、球速はもちろん落ちています。でもそこは徐々に戻していきますから」

 かつて140キロ台半ばに迫っていたストレートは5キロほど落ちていたという。しかし、それも考えようによっては、ブランクがあるベテランとしては、「それだけしか落ちていない」ということだ。

 「球速が落ちているのは、当たり前です。あれだけブランクがあって、逆に球が速くなったってことはないでしょう(笑)。また上げていけばいいことです」

久々の「現役復帰」でまだまだ調子は上がっていないが、WBC予選、そしてNPB復帰に目標に奮闘している
久々の「現役復帰」でまだまだ調子は上がっていないが、WBC予選、そしてNPB復帰に目標に奮闘している

 プロの舞台に戻ることを目指していたフェルナンデスの姿を見てきた古巣、日本ハムのスタッフたちからは、エールが送られた。大学時代、出身大学の教壇に立っていた監督の栗山英樹からは、「自分が選んだ道なんだから、とことん頑張れ」との言葉をもらった。

 現役復帰のきっかけとなったWBCだが、現在のところ、本大会の開催は2022年に延期された。つまりは、フェルナンデスの母国、ブラジルが戦う予選大会は、来年の開催ということだ。当面のフェルナンデスの目標はこの予選ということになる。しかし、彼の夢はそこでは終わらない。

「もちろんWBCは目標です。でもそこだけじゃないです」

 独立リーグで奮闘するラファエル・フェルナンデスの目線の先にあるのは、無論プロの舞台への復帰である。

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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