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0トップの元祖ロナルト・クーマンとメッシの親和性

杉山茂樹スポーツライター
(写真:Action Images/アフロ)

 リオネル・メッシがバルセロナに残留する。メッシは移籍の意志を固めていたが、そのためには7億ユーロ(約878億円)という莫大な違約金の支払いが不可避という事実が判明すると一転、残留に方向転換した。

 一方で、来季以降、移籍にその違約金が伴わないこともハッキリした。メッシがバルサでプレーするのはあと1年。2020-21が最後のシーズンとなるメッシと、どう向き合うか。サッカーのやり方はメッシがいる、いないで大きく変わる。バルサは1年後、大きな作戦変更の必要性に迫られる。

 そうした事態が見通せるにもかかわらず、いまからそれに備えておくことができない。メッシありきで戦わなければならない。一度、移籍の意思を表明したメッシをどう使いこなすか。中途半端なタイミングで監督の座に就くことになったロナルト・クーマン新監督に同情したくなる。この条件下で、2年続けて好成績を収めること、さらには、よいサッカーを追究することは簡単ではない。

 クーマンは1998-2000の2シーズン、バルサでアシスタントコーチを務めた経験がある。時の監督はルイス・ファンハールだったが、筆者はその時、クーマンに話を聞いている。「気は優しくて力持ち」という表現がしっくりくる桃太郎というか、金太郎というか、監督のファンハールとは対照的な、極めて穏やかな人柄だった。

 続いてクーマンはフィテッセの監督に就任。そして翌2001-02シーズン、古巣であるアヤックスの新監督に就任した。チャンピオンズリーグ(CL)の舞台を踏んだのは、翌2002-03シーズン。39歳の時だった。

 面白かったのは、記者会見でひな壇に座るクーマンと、彼をアヤックスに入りたての頃から取材してきたという長老記者とのやりとりだった。クーマンに対し、記者は圧倒的優位な立場に立っていた。野村克也監督と記者が入れ替わったような関係だった。長老の説教臭い話を、監督クーマンは頭を垂れながら耳を傾けていた。この監督と記者の関係に、成熟したサッカー業界の姿を見た気がするが、それはともかく、そんな当初、少々頼りなく見えたクーマンが、CLでこちらを驚かせる名采配を見せたのはその4シーズン後。PSVアイントホーフェンの監督として臨んだ06-07シーズンだった。

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スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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