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レバノン:イスラエルがヒズブッラーの無人機3機を撃墜

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
ヒズブッラーの施設に展示されている無人機の一部(筆者撮影)

 2022年7月2日、イスラエル軍は東地中海のカーリーシュ・ガス田付近でヒズブッラーの無人機3機を撃墜したと発表した。ヒズブッラーは、イスラエルやアメリカ、両国に与するアラブ諸国から見ればイランの手先のテロ組織であるが、2000年5月までレバノンの広域を占領していたイスラエルに対する武装抵抗運動を担って名声を博するとともに、閣僚や国会議員を輩出したり、福祉・教育・建設などの社会事業も営んだりする包括的な団体である。ヒズブッラーは本件について、「2022年7月2日土曜午後、“2人の殉教者ジャミール・サカーフとマフディー・ヤーギー集団”が様々な大きさの非武装の無人機3機を発進させた。発進先はカーリーシュ・ガス田の係争地域である。任務は偵察である。必要な任務は達成された。同様に、メッセージは届いた。」との声明を発表した

 ヒズブッラーとイスラエルとは不倶戴天の敵対関係にあり、これまでも双方が爆撃や無人機を用いた工作・威嚇、その他の浸透工作を繰り返してきた。2006年夏のイスラエルによるレバノン攻撃は、ヒズブッラーによるイスラエル兵襲撃・捕獲に端を発する、双方の大規模交戦の例である。従って、今般の無人機も双方の敵対関係の中での日常茶飯事の様にも見えるが、ヒズブッラーの声明で言及されている「係争地」や「カーリーシュ・ガス田」、「メッセージ」などについてより知っておく必要があるだろう。レバノンとイスラエルとは公式には戦争状態にあり、双方の国境は画定していない。今般の事件の舞台となった海域では、5月からイスラエルが海底ガス田の開発を進めるための採掘施設の設置を図っていた。施設はレバノンが自国の経済水域とみなす場所に張り出しており、施設設置にはヒズブッラーが行動に訴える旨警告し続けていた。つまり、ヒズブッラーが言うところの「メッセージ」とは、イスラエルが係争海域での資源開発を続けることが軍事的な衝突に発展しうるという示威・脅迫である。

 レバノンでは過去数年来の政治・経済危機が進行し、本来同国の治安や領域を守る任務を果たすべきレバノン軍は、カタルをはじめとする諸外国からの援助によって辛うじて維持されている始末である。当然ながら、(そしてこれまでずっとそうだったように)レバノン軍には今般の事件の舞台となった係争海域での資源開発を含むイスラエルによる侵害行為に立ち向かう力はない。また、レバノンでは5月に実施された国会議員選挙の結果を踏まえた組閣協議が進行中であり、こちらもかねてからの政治空白に対処するための体制が近日中に構築されるとも思われない。とりわけ、今般の事件のようなヒズブッラーによる軍事行動もレバノン政局における争点の一つであることから、これが原因で組閣協議がさらに紛糾する恐れもある。レバノンとイスラエルとは、アメリカを介して海上境界を画定するための関節交渉を行ってはいるものの、こちらも直ちに双方の合意に達することは見込めない。

 また、イスラエルとアメリカは、常にヒズブッラーの活動の背後にシリア・レバノン方面へのイランの勢力拡大を意識しているため、ヒズブッラーの行動を口実にシリア領への爆撃をはじめとする軍事行動がさらに増す恐れもある。実際、7月2日にはシリアの地中海沿岸に位置するタルトゥース県に対するイスラエルに攻撃が行われた模様で、一部報道機関は攻撃対象をヒズブッラーの武器庫と報じている。つまり、レバノンとイスラエルとの係争海域での軍事的な緊張の高まりと実際の衝突は、レバノンとイスラエルだけの問題にとどまらず、シリア、イラン、アメリカ、近隣のアラブ諸国をも当事者とする地域・国際的紛争に発展する可能性をはらむものなのだ。ヒズブッラーとイスラエルは長年の仇敵であるため、双方は対立の中で相手方の意図や利害関係を「それなりに」理解した上で戦いを続けている。ヒズブッラーが声明で「メッセージが届いた」と称するのも、そのあたりの機微を踏まえたものだ。それでも、当事者の一部なり全部なりが相手の意図を見誤ったり、相手の反応を過小評価して何か事を起こしたり、行動によって生じうる損害を度外視したりすれば2006年の戦闘のような事態につながりかねない。レバノンとイスラエルとの間に沢山ある様々な係争事案と、それにまつわる地名や固有名詞について、予習・復習しておく価値はあるだろう。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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