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金正恩氏が手塩にかけた「日本ルーツ」肥料工場の、晴れない“軍事転用”の噂

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
朝鮮中央テレビの映像では一部にぼかしが入れられている(赤枠は筆者)

 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が健在ぶりを誇示する舞台となった順川リン酸肥料工場(平安南道)は、日本が植民地支配時代に建てた肥料工場の跡地にできたものだ。前身の施設をめぐっては、化学兵器の原料が製造されていたとの情報があり、新しい施設でもその疑念がくすぶっている。

◇日本の施設があった場所

 日本は植民地支配のころ、朝鮮半島北部の豊富な資源を利用するため、現在の北朝鮮地域に多くの重工業施設をつくった。その一つ「三菱化成順川工場」は主にカーバイドと石灰窒素を製造していた。北朝鮮が建国された後、工場は「順川石灰窒素肥料工場」として継承された。2016~17年、この工場が解体され、跡地に建設されたのが、今回の順川リン酸肥料工場だ。17年7月16日の着工式では「多くの肥料を生産し、農業の生産を増やす」という目的が強調されていた。

 北朝鮮は食糧問題を解決するカギとなる肥料を自前でまかなえず、中国などの輸入に頼ってきた。国連制裁が解けないなか、国内の資源を使い、自前の技術によって現代農業に不可欠のリン肥料を生産する、という方針が打ち立てられた。

 農業生産量を増やすことができれば、金委員長が掲げる「正面突破戦」(自立経済を打ち立てて制裁を克服すること)の成果にできる――との掛け声のもと、莫大な予算・労働力を動員して新たな工場はつくられ、国営朝鮮中央通信はこれを「正面突破戦」と大々的にアピールした。

 一方、米政府系の自由アジア放送(RFA)は「金委員長が出席する竣工式の5月1日開催が決まっていたため、製造工程が完成していない状態で、急いで竣工式を開いた」と伝えている。北朝鮮当局が今年4月から工場の試運転を本格化させ、化学系大学の卒業生を動員して準備を進めてきたという。

 卒業生はその後も現場技術者として配属され、「順川地域に埋蔵されたリン鉱石と無煙炭を利用して高濃度リン肥料を大量生産せよ」という金委員長の指示を貫徹するよう求められている。RFAは「電力が正常に供給されるかが最大の問題」と指摘している。

◇映像にぼかし……兵器の原料に?

 リン鉱石には少量のウラン分が含まれるため、日本では1950年代を中心にリン鉱石からウランを抽出する研究が進められていた。順川リン酸肥料工場でも理論上、ウランを抽出して核物質に転換することが可能なため、一部に「北朝鮮は新たな工場を軍事利用するのではないか」という懸念が出ている。

 この点について、RFAは「北朝鮮は既に十分な量のウランを保有しているとみられ、順川リン酸肥料工場でのウラン抽出は実益が低い」と指摘している。

 またRFAは、米国の核安全保障の専門家である米シンクタンク「科学国際安全保障研究所」(ISIS)のオルブライト所長が「(ウラン濃縮が)北朝鮮の核プログラムにおいて重要な場所を占めているわけではない」との見解を示している、とも伝えている。

 米シンクタンク「グローバル・セキュリティー」によると、順川は亀城(平安北道)や平山(黄海北道)と同様、ウラン鉱山のある地区で、順川や平山の近郊では1960年代から天然ウランが処理されてきたという場所でもある。

 一方、グローバル・セキュリティーは、北朝鮮には化学薬品を生産できる施設が少なくとも8カ所あり、中でも順川石灰窒素肥料工場で化学兵器の基礎となる物質(サリン、タブン、ホスゲン、青酸、マスタードガスなど)が生産されてきた可能性があるとみている。こうした経緯からも、新設の順川リン酸肥料工場でも生産物が軍事転用されないか、という懸念があるのだ。

 北朝鮮国営朝鮮中央テレビは5月2日、金委員長の工場視察を伝える映像のなかで、金委員長の背後に映っていた「製造工程の説明図」とみられる立て看板にぼかしを入れて見えないようにしている。ウォッチャーの間では「肥料工場であれば隠す理由はない」「何か秘密が記されているのでは」という憶測が上がっている。

ぼかしが入った箇所が別の場面では露出している(朝鮮中央テレビの映像を筆者キャプチャー)
ぼかしが入った箇所が別の場面では露出している(朝鮮中央テレビの映像を筆者キャプチャー)

 ただ、ある場面でぼかしが入っていた箇所が、別の場面では露出しており、ぼかしの意図がはっきりしないという状況もある。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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