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洋楽の誤解史と同じ?! 「クラスター」ほか、カタカナ語連発する日本政府の軽薄さの起源とは?

伝記映画版『ランナウェイズ』(2010年)より(写真:Splash/アフロ)

なぜにカタカナ語なのか?

 ついに河野太郎防衛大臣にまで言われてしまった。まあ彼は英語ができるから、これまでは堪え難きを堪えていたのだが、ついに「我慢できずに」言ってしまった――のだと推察する。だって、いくらなんでも、おかしすぎたから。

 河野大臣の指摘は、こうだった。

 常識的な人だったら、ほぼ全員が同じことを思っていたはずだ(河野大臣のつね日ごろの言動がいかほど常識的かについては、ここではあえて触れない)。

 だって、例の「クラスター」から始まって、このコロナ禍の真っ最中に、一体なんの理由や必然性があって、次から次へと政府から「カタカナ語」の数々が「公布」されねばならないのか? しかもそれらは、一般的に見慣れない新語であるか、もしくは「なにやら新しい(&妙な)使いかた」をしているカタカナ語ばかり、なのだ。ゆえに新聞記事などでは、記事中に「新語」の説明や注釈やらがつくことになる。

 でも、だったら……「注釈のなかにある、漢語由来の単語そのまま」で、いいじゃないか?と思うのが人情というものだ。「それだけで」十二分に説明が可能なのだから。「クラスター」は「感染者小集団」でいいじゃないか?(文字数だって近い)。言いたくないのか? 「より正確な意味が伝わる」はずの、日本伝来の「漢語的表現」では??

 一体全体、この非常時に、なんでそんな「新語」を垂れ流す必要があるのか?――というごく普通の疑問にかんして、脊髄反射的にスパッと述べてしまったのが、前述の河野大臣のツイートだったのだろう。

 そして、だからこそ彼のツイートでは「政府公式」の語義の取り違いが起きている。「クラスター」が「集団感染」となっているからだ。

だからやっぱり間違える

 だがしかし、「わざわざ」こんな言葉を次から次へと投射するからには、政府サイドには、当然にして「そうしたい理由があるから」と考えるべきだ。

 たとえば「漢語的に表記するよりも」目に馴染みのないカタカナ語のほうが、印象がマイルドになるから、とか? 「感染者小集団」よりも「クラスター」のほうが、清潔感がある(?)とか……いや僕はふざけているのではなく、本当に出どころはその程度なのだろうと想像しているのだ。

 しかしこの「軽薄さ」は――もし上記の僕の推測が当たっているとするならば――非常に危険だ。きわめて甚大な弊害を生じる、可能性が高い。言うまでもなく、いまはとにかく「危急を要する非常時」の真っ最中なのだから。

 たとえばこんな弊害だ。「意味がよくわからずに」使用されるため、語義の混乱が起こり、広い意味での誤用を誘発しがちとなる。たとえば、以下の記事のように。

 3月5日付の産経WESTの記事「クラスター連鎖の可能性 大阪のライブハウスで何が起きたのか」のなかで、この「クラスター」の語が、2種類の違う意味で使用されてしまっている。正しい(とされている)用法と、明らかなる誤用の、ふたつだ。河野大臣の間違いと似ている後者のほうを、記事中より抜き出してみる。

「そのArcでクラスターの可能性が強まったのは」

「クラスターの連鎖を封じ込めるには」

 ここの「クラスター」に「小規模な感染集団」を当てるのは、日本語的に無理だ。明らかに「小規模な感染集団の『発生』」という意味で、記者は書いている。とはいえ、文中では「正しい」ほうの用法もあったから、つまりは「混乱していた」ということだ。英語ですらない「慣れぬカタカナ語」などを、使わされてしまったから。

 そもそも(あらためて説明すると、あまりにも馬鹿馬鹿しいが)「クラスター」という語は、英語の「Cluster」であり、名詞としてのそれには、元来いくつもの意味がある。が、ここで注意しなければならないのは、「感染」という意味は「この単語のなかには、まったくない」ということ。「感染者小集団」にしたいなら「Disease Cluster」と書くしかない。

なぜにそれほど「元来の英語の語義」をすり替えたがる?

 一般的に Cluster という語からまず連想するのは、小さな塊や、日本語の「小集団」といった言葉だ。だからかなり前から、ネットなどでは「クラスタ」という表記で流通しているのだが、この用法は基本的に正しかった。たとえば、ロック・ファンという大集団のなかの「ハードコアパンク・クラスタ」といった具合になるわけだから。

 であるから、単なる「小集団」の意味ならともかく、「クラスター」を「感染者小集団」と置き換えるのは、そもそもが曲芸的で不自然きわまりない。ゆえに、必然的に次のことが起こる。

「その集団が『疫病に感染している』という部分の意味が、『かぎりなく小さく』なる」

 たぶんこの効果を期待して、「クラスター」が術語として「採用」されたのだろう。まるで悪趣味な広告代理店のような詐術的な動機が、その奥にはあったのではないか。これを率先して「広めれば」、なんかいい脱臭効果みたいなのがあるかなあ?とか……しかし、もしそんな動機があったのなら、根本的に履き違えていたとしか言いようがない。河野大臣や産経WESTの例のような「意味のズレ」が、いたるところで起こり得るからだ。

 こうした駄目な先例は世に多い。「インバウンド」「スタートアップ」「ローンチ」――これらすべて、べつに特段新しい概念というわけではなく、すでに日本語のなかにあったのに「あたかも違うものである」かのようにすり替えたかった、だけのカタカナ語だ。なにかの理由で「訪日客」「新興企業(or 起業)」「設立」というふうには「言いたくない」人が逃げを打つときの用語として使い、そのまま定着した。

 一番ひどい例が投資資金などといった意味でのカタカナ語「マネー」の用法か。「Money」という語を、ここまで狭い使用法「限定」で使っているのは、地球上でさすがに日本人の一部だけだと僕は思う(のだが、どうか?)。

「ボンバー」だって、本当は「ない」のだ

 さてところで、こうした「カナカナ語」の軽薄使用ということになると、「舶来の」映画や音楽周辺に一日の長がある。「軽くやっちゃった」がために、本来の意味からずれていったものの例が、いくらでもある。大正時代ぐらいから、脈々と。

 映画なら、日本独特の「ロードショー」の用法がまず代表例だろう(元来は地方巡業公演などを指す)。音楽ならば……ここで僕は「ボンブ」を推したい。そう、紅白にも出た人気エアバンド「ゴールデンボンバー」の、あの「ボンブ」のことだ。

 言うまでもなく、こんな音の英語はない。爆弾という意味の「Bomb」の発音は「ボンブ」ではない。まったく、ない。最後のbは発音しない。こちらで発音記号を確認していただきたい。カタカナ起こしすると「ボム」が近い。爆撃手や爆弾魔といった意味の「Bomber」はボンバーではなく「ボマー」だ。「ユナ・ボマー」のボマーだ。

 だから米軍爆撃機乗務員用上着は、ファッション用語のカタカナ語として「ボマー・ジャケット」と表記されることが多い(が、ときに「ボンバー」表記もあるにはあるのだが……)。とまれ、正しい発音はこちらの動画で確認してほしい。

 ではこの「最後のbを『ブ』と発音する」「途中のmを『ン』と発音する」という日本人の誤解は、どこから生じたのか? 英単語をローマ字調に読んでしまった失敗が原因だと僕は推測するのだが、ではそもそもの「最初の例」とは? 米プロレス界のスーパースター、ハルク・ホーガンの必殺技を「アックス・ボンバー」なんて日本人が呼んでしまったところから? いやいや、僕はこれが起源だと確信する。「チェリー・ボンブ」だ!

日本盤7インチ・シングルがこれだ(筆者私物)
日本盤7インチ・シングルがこれだ(筆者私物)

 70年代後半、篠山紀信に「激写」されるなどして、男性誌的な世界でも人気を博した米国発の「オール・フィメール」ロック・バンド、ザ・ランナウェイズ。彼女たちが77年に放ったヒット曲が「Cherry Bomb」だったのだが……これが思いっきり「ボンブ」とカタカナ表記される悲劇があった。サビのところでは、(当たり前だが)きちんと「チェチェチェチェチェチェチェ、チェリー・ボーム!」と歌われている、のに……。

悪夢のなかにとらわれて……

 というわけで、ここ日本でだけ(?)は「ボム」派と「ボンブ」派が異なる次元にて併存したまま、今日の今日まで歴史を重ねてくることにもなった。まあ芸能業界では、きっと「ボンバー」派が強いのだろう。洋楽業界では、そうではないことを祈りたいのだが。

 しかしそれにしても、僕は謎なのだ。なぜにこんな「ボム」と「ボンブ」みたいな、おポンチ企画みたいなネタと、「同レベル」の軽薄な言葉づかいが、国家のシリアスな一大事の渦中に日々連発されているのか、ということが。

 あまりにも悪夢的すぎて、冗談しか言えないような気分に僕はなる。多くの国民の生き死にがかかっているのに、祈るような思いで支えてきた日常がいま根本的に破壊されようとしているのに、そんなときに、なにが悲しくて「カタカナ語」の新語なのか。しかも転用に誤用を重ねた、なんだかよくわからない内容の。

 70年代に名を馳せた、ジャーマン・ロックの雄も「クラスター」という名だった。ロック・ファンなら、そっちをまず思い出してしまったはずだ。もちろんここに「感染」なんて意味は、あるはずもない。

作家。小説執筆および米英のポップ/ロック音楽に連動する文化やライフスタイルを研究。近著に長篇小説『素浪人刑事 東京のふたつの城』、音楽書『教養としてのパンク・ロック』など。88年、ロック雑誌〈ロッキング・オン〉にてデビュー。93年、インディー・マガジン〈米国音楽〉を創刊。レコード・プロデュース作品も多数。2010年より、ビームスが発行する文芸誌〈インザシティ〉に参加。そのほかの著書に長篇小説『東京フールズゴールド』、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』、教養シリーズ『ロック名盤ベスト100』『名曲ベスト100』、『日本のロック名盤ベスト100』など。

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