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ウェイン・ヘンダーソン〜2001年インタビューによる回想

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家

「若い人にも興味をもってもらえる魅力がある

フュージョンをもっと世の中に送り出したいんだ」

クルセイダーズを率いて1970年代のフュージョン・シーンを牽引したトロンボーン奏者のウェイン・ヘンダーソンさんが4月に亡くなられたことは、すでにお伝えしたとおり。

[訃報]フュージョンを先駆けた”クルセイダーズ”の枢軸 ウェイン・ヘンダーソンさん逝去|富澤えいち

記事を書くために過去の資料を見返していたら、2001年1月24日に彼にインタビューしたときのものが出てきました。

内容がとても興味深いものだったので、追悼の意味を込めて改めて公開したいと思います。

『Wayne Henderson Collection』
『Wayne Henderson Collection』

プロデューサーの仕事は“新しい人間”を作ること

ウェイン・ヘンダーソン(以下:WH)キミはインタビュアー向きのルックスだね(笑)。

ーーありがとうございます(笑)。1月22日に短いステージを拝見しました。もっと観たかったんですが……。

WH:ありがとう。すばらしい時間だったよ。楽しかったしね。僕はよくわかっていなかったんだけれど、ジェットが「行け!」って言うから、ステージに出ていったんだ。それを喜んでもらえたなら、僕も嬉しいよ。

ーーあのバンドは、現在あなたが活動しているメンバーなんですか?

WH:いや、あれはジェット・エドワーズのバンドなんだ。わざわざ僕のサポートのために編成してくれた、スペシャル・バンドだったんだよ。そうそう、リハーサルはナシだったんだ。これは知っておいてほしいな(笑)。

ーー新しいレーベルで新しいプロジェクトをスタートさせるそうですね。

WH:フュージョンというのはとても“強烈”で“ポピュラー”な音楽だ。若い人たちに興味をもってもらえる魅力がある。多くの若者たちにもフュージョンのことは理解してもらえると思う。ジェット・エドワーズはWisdom Z 5.2.9を僕と一緒に作って、またすばらしいフュージョンを生み出していこうと言ってくれたんだ。僕は彼の申し出と彼のチームを気に入ったので、ぜひ一緒にやろうと承諾したんだ。このチームなら、フュージョンを知っている40〜50代から10〜20代の若年層に対してまで、ちゃんとした品質と内容を保証できるフュージョンを生み出していけると感じたんだ。

ーーWisdom Z 5.2.9というのはレーベルの名前ですか?

WH:そうだ。ジェット・エドワーズが始めて、僕が参加したレーベルなんだよ。

ーーウェイン・ヘンダーソンさんは昔からプロデュース活動も積極的にされてきましたが、今回のプロジェクトではどのようなポジションに立とうと思っているのですか?

WH:プロデューサーというのはとてもおもしろい仕事だと思っているんだ。僕のアイデアを出して、違う人間とそこから違うものを作り出していくわけだからね。新しいものを作るというのは、なにも新しい音楽を作るだけじゃないんだよ。いろいろなアイデアを出し合うことによって、一緒にやっている人たちの人間性がそこに加わって、人間関係の新たな輪も生まれてくるんだ。つまり、新しい音楽を追い求めようとすることは、新しい人間関係、すなわちお互いにこれまでもっていなかった考えがもてるようになる“新しい人間”を作ることでもあるんだよ。これって、すばらしいことだと思わないかい? こうした仕事ができると思って、僕はこのレヴェルの仕事を引き受けることにしたんだ。

ーー自分がプレイすることとプロデュースはどう違うんでしょうか。

WH:僕がプレイするということは、僕が心で感じたことを音にする、ということなんだよ。つまり、心が音になるという感覚だから、それはとても“自由”なフィーリングなんだ。すごくクリエイティヴな気持ちだしね。それに、幸せだと感じたら音にも幸せが、悲しいときには音にも悲しみが出るから、逆に感情をコントロールすることでサウンドの表情を豊かにすることもできるわけだ。こういうことができるミュージシャンという仕事は、とてもやりがいがあるし、おもしろいと思うよ。

一方、プロデュースというのは、自分の“考え”を他人に伝えるという作業なんだ。あるときは他人の気持ちや立場になって考えなければならないこともあるし、それにはとても時間が必要になる。じっくりと“誰々はなにを言いたいのか”を考え、そのうえで自分のアイデアを織り交ぜていくんだ。

クルセイダーズの発端は小学校の仲間たち

ーー『シーズンズ・フォー・ジャズ』は、1990年代前半のネクスト・クルセイド時代の音源なんですか?

WH:このアルバムには、4人のグレートなアーティスト、つまり僕にロニー・ロウズ、ウィルトン・フェルダー、ダン・モレッティの曲がコンピレーションされている。それぞれ2〜3曲ずつ提供してくれた。これはとてもおもしろいアイデアなんだよ。4人のアーティストから曲が提供されたから、それを季節になぞらえて“四季のジャズ”というタイトルにしたんだけど、ジャズってどの季節にもあてはまる普遍の音楽だよね? ジャズはタイムレスなんだよ。“いつでもジャズを”という意味を込めて、“シーズンズ・フォー・ジャズ”というタイトルにしたんだ。

ーーあなたが“クルセイダーズ”という名前で活動するときは、ウィルトン・フェルダーさんと一緒にプレイすることを意味しているんでしょうか?

WH:うーん、歴史的には、まず、ウィルトンとジョー・サンプル、スティックス・フーパーと僕の4人が最初のジャズ・クルセイダーズだったわけだけれど、僕自身はその期間もほかのバンドやプロデュース活動をしていたんだ。ただ、ウィルトンとはほんとに幼いころから一緒だったからね。いつも僕のサポートをしてくれるんだよ。彼が11歳、僕が12歳のころからの話だからね。僕の活動がジャズ・クルセイダーズからクルセイダーズ、そしてネクスト・クルセイドジャズ・クルセイダーズへと変わっても、彼はやっぱり僕と一緒にプレイしてくれていた、ということだけなんだよね。

僕としては、この関係を続けたいと思っていることだけは確かなことなんだ。つまり、ジャズ・クルセイダーズと名乗るからウィルトン・フェルダーを招いたということじゃなくて、僕とウィルトンが一緒にプレイしている状態がまずあって、そのトレード・マークとして“ジャズ・クルセイダーズ”という名前が存在している、ということなんだよ。

ーー小学生のころから一緒にバンドを組んでいたんですか?

WH:ちょうど音楽を習いだしたころなんだけど、あんまり出来のいい生徒じゃなかったんだよね(笑)。でも、練習は一所懸命やったよ。15歳ぐらいでもうプロをめざしていたんだ。学校のダンス・バンドの一員として活動を始めて、17〜18歳のころにはクラブに出演していたよ。

ーーどんな音楽を演奏していたんですか?

WH:僕らはジャズをプレイしたり、R&Bだったり、ポップ・ミュージックだったり、ブルースだったり……、いろんな音楽をプレイしていたよ。だって、ジャズだけプレイするなんて、どう考えても不自然じゃないか。それしか知らないなんてこと、ないんだからね。ナイトクラブでのライヴでは、ゴスペルだって演奏していたよ(笑)。

ーー初めからトロンボーンを演奏していたんですか?

WH:うん。僕は最初からトロンボーンだったんだ。トロンボーンっていうのは難しい楽器でね、演奏すること自体が子どもにとってはキツかったんだけれど、チャレンジしがいはあったんだ。なんたって、僕はチャレンジが好きだからね(笑)。うん、トロンボーンは僕にとっての最初で最後の楽器。死ぬときもトロンボーンと一緒さ(笑)。

あと、ユーフォニウムとB♭テナー、ベビー・チューバをプレイすることもあるよ。それから、フリューゲルホーンもちょっとやるけどね。そうそう、ドラムも叩くし、キーボード、ピアノ……、でもやっぱり、僕のメイン楽器はトロンボーンなんだよね。

ーー『Power of Our Music: The Endangered Species』という輸入盤を見つけましたが、このアルバムは?

WH:もう日本に入っているんだね。持っていてくれて嬉しいよ。これも日本でWisdom Z 5.2.9からリリースしようと思っているんだけど……。

ーーこれはいつのライヴですか?

WH:1999年12月に南アフリカでやったライヴなんだ。このジャケットはアメリカで出したのとはちょっと違うね。もっと緑のやつだったんだけどね。でも、これがいちばん新しいジャズ・クルセイダーズのアルバム(注:2001年当時)ということは間違いないよ。

このアルバムでは、スライ・ストーンやグラハム・ステーションなんかで歌っていたことがあるChoc Letという歌手が入っていたり、カイフェス・メニアという歌手に参加してもらったりしているんだけど、歌手をプロデュースしてみたいと思っているんだ。実はまだ決まっていないんだけど、日本のヴォーカリストをプロデュースしようという計画もあるんだよ。楽しみにしていてほしいなぁ(笑)。

できれば、このWisdom Z 5.2.9でアジア圏の新しいヴォーカリストを発掘したいと思っているんだ。なんたって、せっかく新しいレーベルを作るチャンスを得たんだから、その勢いと、集結した頭脳にふさわしいもの、たとえて言うならジャズ版のモータウン・レーベルのようなものをめざしたいと思っているんだ。

トレード・マークの上向きベルはディジー譲り

ーーもう1枚、アルバムを持ってきたんですけれど、ウェイン・ヘンダーソンさんの革新的な部分というのは、この『ピープル・ゲット・レディ』(フリーダム・サウンズ・フィーチャリング・ウェイン・ヘンダーソン)のころと変わらないんでしょうか?

WH:ワーォッ! 懐かしいアルバムだね(笑)。僕のアトランティック・レーベルの1stアルバムだね。これは、カーティス・メイフィールドの曲が気に入って1曲目に入れたんだ。彼は僕の良き友人でもあったんだけど、すごく好きな曲なのでレコーディングしたんだよ。そうだね、クリエイティヴという意味では、このころと変わらない気持ちでいつもありたいと思い続けているよ。

ーー1960年代のジャズ・クルセイダーズではストレートなかたちのトロンボーンを吹いていましたけれど、ベルが上を向いたモデルはいつからどうして使うようになったんですか?

WH:これは、ディジー・ガレスピーからヒントを得たんだ。彼も僕の良き友人なんだよ。ディジーのベルも上を向いているだろ? でも、トロンボーンではそういうのはなかった。

で、僕もベルを上向きにしてみたら、実に調子がよかったんだ。昔々のことだけどね。それ以来、この上向きベルのトロンボーンを使っているんだよ。これは僕の発案なんだ。トロンボーンに関してというだけなんだけどね。だから、名前はウェイン・ディジーボーン(Wayne Dizzybone)っていうんだよ。こういうところにも、僕のクリエイティヴな感覚が表われている、っていうことなんだけどね(笑)。

ーー何本目ですか?

WH:2本目なんだ。これは7〜8年前に作ったものだ。だから、『ピープル・ゲット・レディ』に写っているのは30年ぐらい前ってことになるね。

ディジー・ガレスピーは僕にとってもジャズにとってもスペシャルなトランぺッターだよね。だから、そういうアイデアを僕らにもたらしてくれたことに敬意を表して、このトロンボーンにも彼の名前を付けたんだよ。それから、スペシャルという意味にはもう1つある。ほかの人では楽器を調整できないんだ。このベルの角度は僕が指示して調整してもらっているんだけど、こうしているとスライダーの目安がなくなっちゃうので、楽器のコントロールが難しくなる。ちゃんと音程がとれない人は、これを真似すると吹けなくなっちゃうんだ。だから、その演奏者がグッド・イヤー(Good Ear)かどうか、試される楽器だとも言えるね。

ーーボディとマウスピースは?

WH:King 3Bに、マウスピースはBack 11-C。

ーーキング社に改造してもらっているんですか?

WH:いや。ベルを上げると管が狭くなって音が変わってしまうから、これは正規の楽器ではないんだよ。ラリー・メニックという調整人に頼んで調整してもらったんだ。彼はCornで働いていた人なんだよ。まあ、彼はチューニングが本職だから、楽器を曲げるなんてほかではまずやらないだろうけどね(笑)。

ほかの楽器もそうだけど、どこかが均一な厚みじゃなくなれば、それだけで音が変わってしまうよね。だから、ゆっくりと熱して管の部分のサイズが絶対に変わらないように少しずつ曲げてもらわなければならないんだよ。これはちゃんとした技術をもっている人にしかできないことだから、みんなは勝手に真似しようとしちゃダメだよ(笑)。

ーー今後のライヴもジャズ・クルセイダーズの名前でやるんですね?

WH:そうだね。この名前を使って、そしてどんどん活動範囲を広げていくつもりだよ。ジャズ・クルセイダーズというのは、僕の活動のトレード・マークなんだからね。

ーーでも、ネクストと言ったり、少しずつ変えたりしてましたけど……。

WH:いや、もうそういう変更はしないつもりだ。この名前でいくよ。ジャズ・クルセイダーズで、だ。僕にとって、ジャズ・クルセイダーズはもう不滅の存在なんだからね。■

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《注釈》

インタビュアー向きのルックス

2001年ごろの富澤えいち
2001年ごろの富澤えいち

2001年当時のボク、すなわち富澤えいちは、頭髪の両側を刈り上げるいわゆるモヒカンのようなヘア・スタイルで仕事をしていました。それをすかさず話題にしてインタビュアーを盛り上げてくれるところに、ウェイン・ヘンダーソンのプロデューサー的な才能を垣間見たような気がします。

1月22日に短いステージ

記憶がおぼろげで申し訳ないのですが、プロモーションで来日したウェイン・ヘンダーソンのためにインストア・ライヴが開催され、そこに本人が登場するというサプライズ・スタイルのイヴェントだったようです。おそらく2〜3曲しかやらなかったのでしょう。なので、観たはずなのですが記憶が定かではないのです。

ジェット・エドワーズ

マイケル・ジャクソン一族のレーベル、ジャクソン・レコードでプロデューサーとディレクターを3年半務めたほか、数々のビッグ・ネームのサポート経験をもった音楽プロデューサー。この当時(2001年)、彼が立ち上げたWisdom Z 5.2.9にウェイン・ヘンダーソンを招いて、日本ではRoving Spiritsが加わり、フュージョンのタイトルをリリースする計画になっていました。

クルセイダーズ

ネクスト・クルセイド

ジャズ・クルセイダーズ

ウェイン・ヘンダーソンの短い年表を挙げておきますので参照ください。

Wayne Henderson(1939.9.24〜2014.4.4)

*1952

Swing Stars

Moderan Jazz Sixtet

Nite Hawks

*1961

The Jazz Crusaders

*1971

Crudaders

*1976

out/W. Henderson

*1984

out/S. Hooper

*1990?

Nest Crusade

*1995

Jazz Crusaders

『シーズンズ・フォー・ジャズ』

V.A.『Seasons for Jazz』
V.A.『Seasons for Jazz』

2001年2月21日リリースのコンピレーション・アルバム。以下は、リリース資料からの引用。

==引用以下

ソニックジェット・プロダクションCEOのジェット・エドワーズがエグゼクティヴ・プロデューサーを務め、ウェイン・ヘンダーソンとWisdom Z 5.2.9=Roving Spiritsが手を結び、新たにスタートするフュージョン・シリーズ。

クルセイダーズを率い、フュージョン全盛期に華々しい活動をしてきたウェインを中心に集まった精鋭たちの90年代初期アルバムからよりすぐりの曲を集めたコンピレーション。

ロニー・ロウズ、ウィルトン・フェルダー、ダン・モレッティーなどをリーダーとしながらも、そのメンバーにはジョー・サンプル、マーク・イーガン、レオン・チャンクラーなどのビッグ・ネームが顔を揃える。「Forever」ではボビー・ウーマックのヴォーカル、「I'll Take You There」ではハーモニカでリー・オスカーがフィーチャーされているなど話題には事欠かない。

==引用以上(部分的に修正および抜粋)

『ピープル・ゲット・レディ』(フリーダム・サウンズ・フィーチャリング・ウェイン・ヘンダーソン)

『ピープル・ゲット・レディ』
『ピープル・ゲット・レディ』

1967年にリリースされたウェイン・ヘンダーソンによるプロジェクトのアルバム。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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