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この夏、フレンチポップス・ブームが再来する!?

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
「最後のマイ・ウェイ」7月20より全国順次ロードショー

黒人女性ダンサーを両脇に従えて軽やかにステップを踏みながら、イエイエ(フランス版ロックンロール)を歌うブロンドの男性シンガー。彼の名はクロード・フランソワ!?えっ、誰それ?日本人の多くが首を傾げるその人物は、1960〜70年代にイエイエブームを引っ張り、英米ロックミュージックとフレンチポップスの橋渡し役に徹し、母国フランスではクロクロの愛称で親しまれ、今なお絶大な人気を誇りながら、日本ではかつて一度もまともに紹介されることなく、39歳で旅立った早世の天才エンターテイナー、である。

名曲「マイ・ウェイ」の作者でもあった!?

そんな知られざる偉人の足跡を辿るバイオグラフィックムービー「最後のマイ・ウェイ」では、クロード・フランソワがフランク・シナトラの代表曲「マイ・ウェイ」を作曲し、歌唱した張本人でもあったことが明かされる。僕なんか「マイ・ウェイ」はポール・アンカのオリジナルだとばかり思っていた。まさに"知られざる"のダメ押しだ。しかし、この「マイ・ウェイ」に纏わるエピソードはほどほどにスルーして、映画はスエズ生まれのフランソワが幼くして音楽の魅力に取り憑かれ、歌唱法やルックスのハンデを克服してポップスターとして花開いてくプロセスを足早に辿って行く。2時間半に凝縮された39年は息つく暇もない。

怒濤のフレンチポップス・グラフィティ!!

熱狂的な女性ファンに囲まれるクロクロ
熱狂的な女性ファンに囲まれるクロクロ

この映画が見終わってもしばらく脳裏から離れない理由は、時代を駆け抜けたスーパースターの人物像そのものより、むしろ、めくるめくフレンチポップス・グラフィティにあると言って過言ではない。フランソワがライバル視していたジョニー・アリディが連夜ファンを失神させた同じパリ・オランピア劇場で、後にフランソワはソロ公演を成功させ、当時、ジルベール・ベコーのバックコーラスを務めていたフランス・ギャルをフランソワが見初め、2人は恋に落ちるが、そのフランス・ギャルがセルジュ・ゲンズブール作曲の「夢見るシャンソン人形」を歌ってユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝したことをフランソワが嫉妬し、破局(「マイ・ウェイ」はその時の失恋の痛手を歌ったもの)・・・と言った具合に。フランス・ギャルという芸名が示すとおり、彼女はヴァネッサ・パラディよりずっと前にフレンチロリータのアイコンだったし、身に纏うクレージュっぽい未来ファッションはフランソワのパンタロンと共にどこか時代を超越している。

もしかして、「最後のマイ・ウェイ」をきっかけにフランス・ギャル、シルヴィ・バルタン以来のフレンチポップス・ブームの再来はあるだろうか?アメリカンポップのリズム感は希薄な分、どこかメロディアスで切ないあの感覚が!折しも、同じ時期にはセルジュ・ゲンズブールのドキュメント映画「ノーコメントbyゲンズブール」が公開される。こっちも怒濤の内容です。

「最後のマイ・ウェイ」7月20日よりBunkamuraル・シネマ他、全国順次ロードショー

(C) Tibo & Anouchka

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

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