岸信夫氏辞職で世襲か。山口で続く「世襲6血統」の消長と今日。岸・佐藤・安倍・高村・林・田中→河村
岸信夫元防衛大臣が体調不良を理由に衆議院議員を辞職しました。後継に長男の信千世氏が確実視されています。辞職に伴う補欠選挙(山口2区)は4月に行われ、信千世氏が当選したら岸信介→信夫(孫)→信千世の3代世襲。
補選は昨年死去した信夫氏の兄でもある安倍晋三元首相の山口4区でも行われます。
次回の総選挙で山口の小選挙区が4から3に1減。岸氏の辞職理由が体調不良だけに致し方ない面もありますが、補選は少なくとも結果的に「1減」を巡る布石となるのです。
山口県は岸家と信介元首相の弟である佐藤栄作元首相から始まる佐藤家、岸家と縁続きの安倍家、田中義一元首相に連なる「田中→河村家」および林家、高村家の6つの血縁が戦後、一部中継ぎの非血縁を挟んで今日まで続いています。女性はゼロで江戸時代さながらの「殿」世襲。その消長を観察しつつ前近代的ともいえる事態をみつめてみました。(本文中敬称略)
岸と佐藤は兄弟。安倍は晋太郎が岸家から配偶者を迎えて縁戚に
過去に首相を8人輩出した山口県。うち戦後の3人は岸信介と佐藤栄作が実の兄弟で安倍晋三は岸の孫という血族です。
岸信介と佐藤栄作はともに佐藤家で生まれ、父の実家が岸家であったので信介が跡を取りました。今回引退を表明した岸信夫は安倍晋三の実の弟で母が岸家出身のため継いだのです。
元々親戚であった佐藤・岸両家に安倍家が縁づいたのは晋三の父である安倍晋太郎が岸家から妻を娶ったから。
安倍家の祖の寛の地盤は林家へ
自民党が結成された55年体制前後、山口県の2つの中選挙区に自民は6人の有力候補を立てていました。旧1区が田中龍夫(岸側近)、吉武恵市(佐藤派)、周東英雄(池田派)で旧2区が佐藤、岸および高村坂彦(三木武夫派)。
晋太郎の父で衆議院議員であった安倍寛は1946年に急死。まだ被選挙権がなかった晋太郎に代わって寛の地盤を周東が引き継いだため晋太郎が割って入る余地がなかったところ、義理の叔父である佐藤が自派の吉武(55年総選挙で落選)を参院へ回すとい助け船を出して58年に目出度く初当選を勝ち取りました。
周東は69年に引退して地盤を林義郎へ譲る。林家は地元きっての名士で父も曾祖父も衆議院議員を務めたサラブレットです。
この段階で旧1区の顔ぶれは
・田中龍夫
・安倍晋太郎
・林義郎
となっています。田中龍夫の父は田中義一元首相。つまり全員が2世です。
一方の旧2区は岸・佐藤が首相を務め、佐藤後継は長男の信二へと受け継がれます(79年~)。高村家は坂彦→正彦→正大と世襲して今日に至るのです。
小選挙区制で「6血統」が4に絞られた過程
田中は世襲せず河村建夫(90年~)を後継としました。岸後継は吹田愰(あきら)。安倍晋太郎は91年に急死して息子の晋三が継いで93年の総選挙で初当選。
ここで96年から始まる小選挙区制の割り当てが焦点となってきます。山口の議席は4。対して有力候補者は以下のメンバー。
・佐藤信二(佐藤家)
・吹田愰(岸家後継・非世襲)
・高村正彦(高村家)
・安倍晋三(安倍家&岸家)
・河村建夫(田中家後継)
・林義郎(林家)
2人余ってしまいます。
うち非世襲の吹田は93年の細川護熙非自民連立政権誕生を機に自民を離党し96年の山口県知事選挙に議員辞職して出馬するも落選。その後も結局国政復帰はならず、岸系統はいったん途絶。2004年に孫の信夫が参院山口選挙区で当選して復活します。
もう1人は林義郎。息子の芳正を95年の参院山口選挙区に出馬させる(当選)のとバーターで衆院比例区に回りました。
佐藤系途絶と岸復活
ところが2区公認の佐藤信二が2000年と03年総選挙で選挙区を民主党に奪われ03年は比例で復活当選するも05年の「小泉郵政国会」で棄権し、解散が決まるや引退を表明してしまいました。
地元は岸信夫参院議員(04年当選)の鞍替えを熱望するも「参院議員当選から1年しか経っていない」と固辞されて県議を急きょ候補者として総選挙を戦いました。ここで佐藤系がいったん途絶。県議は当選後、地方首長へ転身し、12年総選挙で満を持した岸信夫が鞍替えして議席を得たのです。
林家が「田中→河村」を追い出す
林家の御曹司・芳正は参院当選5回を重ねるも念願の衆議院議員鞍替えがならず、業を煮やして21年、現職の河村建夫がいる3区から来る総選挙で出馬すると表明。河村は息子の健一を比例区で優遇して世襲させるのを条件に引退を表明しました。事実上の選挙区追い出しです。
ただし息子の扱いは予定通りにならず、何の地縁もない北関東ブロックに回されて落選。田中→河村の系統が途絶えました。
次期総選挙の「1減」で公認は「高村・林・岸」で決まりか
次期総選挙から山口の小選挙区は1減の3。うち1つは高村正大と林芳正で決まり。4月の補選で世襲が成功すれば岸信千世が「現職」として挑めます。
ところでこの補選は昨年死去した安倍晋三の後継も決めるのです。下関市議が公認されるも、当選したとして総選挙での公認は「高村・林・岸」で決まり。岸信千世は安倍晋三の甥だから「安倍家の血筋断絶」にはなりません。
弾き出される形になり得る安倍後継の現下関市議にもメリットが。国会議員の箔をつけて佐藤信二後に担がれた県議と同じく地方首長の目が出てくるからです。
どっこい生きている佐藤系と河村系
断絶したかにみえる田中→河村家ですが、河村健一が今後何らかの形で国政進出を果たすかもしれませんし、叔父の田中文夫は21年の萩市長選を制して現職。佐藤家も信二の娘の夫である阿達雅志が参院比例で3期目を務めています。どっこい生きているのです。
長州知らずの「江戸育ちの若様を戴く」通例
このように2世・世襲が当たり前の長州選挙。ゆえに地元と距離があるというジレンマも抱えます。父が現職で東京住まいが中心となるため跡取りも東京生まれや育ちとなりがちという点です(ここでいう「東京育ち」とは「大学進学より前から東京」の意味)。
例えば安倍晋三・岸信夫兄弟はどちらも東京生まれ・育ち。信千世も同。高村家の正彦→正大親子、田中家の龍夫、佐藤家の信二も東京育ちです。
江戸時代、「殿」(大名)の嫡男は江戸育ちでした。もちろん世襲が原則となります。幕府を倒した急先鋒であった長州の「殿」が皮肉にも徳川の世さながらの「江戸育ちの若様を戴く」通例になっているのは実に皮肉です。