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「103万円の壁」見直しは令和の朝日訴訟か。年48万円で最低限度の生活を営めるか否かの闘争とも

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
健康で文化的な最低限度の生活(写真:イメージマート)

 先の総選挙で公約した「103万円の壁」見直しを実現すべく国民民主党は25年度税制改正において与党と協議し「引き上げる」と約束させました。

 この「壁」は幻で国民が訴えた「手取りを増やす」にあたらないとか、他の「106万円」「130万円」の壁と総合的に論じないと意味がない、さらに「金持ち優遇」という意見が出ている一方で国民の掲げた「178万円」へ引き上げると年7兆~8兆円もの税収減に陥る、特に地方住民税が壊滅的な打撃を受けるなどの税源論を元にした批判も盛んになされている状況です。

 その1つ1つには一理あるし検討すべき課題ではありましょう。しかし本質は別のところにあるのではというのが本稿の狙い。憲法25条が定めた生存権を現状は脅かしていて、かつてこの問題を提起した朝日訴訟と似た何かを感じているのです。順を追って説明します。

基礎控除は憲法が保障する生存権を維持するのに必要なお金

 周知のように「103万円の壁」とは所得税のかかる最低ライン。内訳は以下の通りです。対象は会社員や公務員といった給与所得者。

1)基礎控除48万円

憲法が保障する生存権(最低限度の生活)を維持するのに必要なお金。

2)給与所得控除55万円

働いたら自己負担せざるを得ないスーツ代や交際費などの必要経費。

 48万円+55万円=103万円です。国民民主が当初「増やす」と訴えたのは「1)基礎控除」だけでした。結構肝心なところといえます。

 焦点が基礎控除としたら要点は「最低限度の生活」が年48万円で保障されるか、です。1カ月4万円。「そりゃあ無理だ」ならば他の壁がああとか財源がどうとかと次元の異なるテーマとなります。憲法問題だから。

 この問題を政府も消極的ながら認めています。国民民主の訴え通り「103万円」は1995年から固定されて現在に至るも2020年に基礎控除38万円を現行の48万円へと増やしているのです。代わりに給与所得控除を10万円減らしたから「103万円」のままではあっても「安すぎた」と認めているに等しい措置ともみなせます。

なぜ給与所得控除をも算定根拠の基数としたか

 次に国民民主が「上げる」とした75万円増の算定根拠を検討。同党はそれを最低賃金から求めていて、全国加重平均が

1995年 611円

2024年 1055円

で、1055÷611=1.7266(約1.73)に上がっているため、103万円×1.73=178.19万円で端数を切り捨てた178万円が目安と弾き出されるわけです。

 疑問が2つ。1つは玉木雄一郎代表が主に唱えていた基礎控除のみならず、なぜ給与所得控除をも基数とした点。必要経費も引き上げが必要だという訴え自体に理はあるにしても、それを加えると生存権を守れという趣旨が若干揺らぎます

 このあたり国民民主党の主張をみていくと「基礎控除など」と記載。でも金額は給与所得控除の方が大きいので「など」でくくるのには無理がある。合わせるならば基礎控除と同じく生存権を保障する基礎的人的控除(配偶者控除や扶養控除)にすべきではなかったでしょうか。

物価こそ上がらずとも1995年から国民負担率が上昇

 もう1つは最低賃金を用いた点。1995年まで所得税非課税額は物価上昇につれて引き上げられていました。デフレ(物価が継続して下がる現象)に突入して「103万円」で実質固定化されたのです。ただしこの間にも上記のように最低賃金は少しずつ上がっていきました。

 最低賃金法は全国加重平均を算出する基となる地域別最低賃金額を「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう」「配慮」せよと定めています。まさに生存権を規定した憲法25条とほぼ同一の趣旨。後述するように物価こそ上がらずとも1995年からこの方、国民負担率が上昇しているためケアする必然もあったのです。

 これらを考え合わせると、やはり最低賃金上昇率で控除額を増やすならば基礎控除が妥当。必要経費たる給与所得控除は物価上昇率で宛がった方がスッキリします。つまり、基礎控除が48万円×1.73=約83万円で、物価上昇率は10%ほどだから給与所得控除55万円×1.1=60.5万円。合わせて143.5万円当たりです。

「物価か最低賃金か」の議論は政府側でもこなれていない

 もっとも「物価か最低賃金か」の議論は国民案はもとより政府側でもこなれていません。10月30日発表の政府試算は国民民主の要望通り75万円「基礎控除」を引き上げた場合として計約7兆6千億円の税収減となるとし、11月5日の村上誠一郎総務相記者会見も地方税たる個人住民税が約4兆円減るとし、根拠はやはり「基礎控除」75万円上げを機械的に計算した結果です。

消費税・「100年安心」・定率減税・復興特別所得税

 さて95年から今日までどのように国民負担率が増加してきたでしょうか。

 最も大きいのは消費税。95年で3%(税収約6兆円)が97年に5%(同約10兆円)、2014年8%(同約17兆円)、19年10%’(同約20兆円)となります。

 次に厳しかったのが小泉純一郎政権で決まった「100年安心」年金制度改革で会社員や公務員が入る厚生年金保険料率が04年10月から毎年0.354%ずつ上げて2017年度の18.30%まで増加したのです。

 他にも1999年に当時の金融危機対策として「恒久=ずっと」としてスタートした定率減税も2017年以降は廃止。今年6月からの定額減税計4万円は今のところ「1回限り」となります。東日本大震災対応として2013年から実施されている復興特別所得税も37年末まで続くのです。

95年の税収(51.9兆円)と比べたら実に約20兆円増

 結果として近年の一般会計税収(年金など社会保険料は含まない)は過去最高級。95年以前の最大値がバブル経済真っ盛りの1990年の60.1兆円。この記録を2018年(60.4兆円)に更新し、以後多少の増減はあるものの22年、23年は70兆円を超えました。95年の税収(51.9兆円)と比べたら実に約20兆円増。

 政府の試算通り7兆6千億円-地方税約4兆円(一般会計に反映されないので)=3~4兆円の「減税」に財源云々とケチをつけられるのも何だかなあという感じです。

年収850万円は果たして金持ちか

 「金持ち優遇」も疑問。今の仕組みだと基礎控除は年収2400万円まで一律。給与所得控除は162.5万円超えから漸増して850万円超で上限の195万円に達して後は下がっていきます。ゆえに「103万円の壁」突破で減税に浴する層はおおよそ850万円以下のはず。850万円は果たして金持ちでしょうか。

 年収2400万円まで基礎控除(≒国民案の75万円増と仮定)を増やすこそ金持ち優遇だとは言い得ましょう。ならば、その上限を引き下げるぐらいしてもいいかも。

配偶者控除や扶養控除は生存権を保障する基礎的人的控除

 「103万円の壁」でしばしば聞かれるのが配偶者や保護者の控除から外れるというデメリット。でも配偶者控除(103万円)に関しては突破しても150万円まで同額の配偶者特別控除が受けられるので壁を引き上げても大した影響はない。むしろ学生(19歳~22歳まで)のバイト代が「103万円」を超えると「特定扶養控除」がなくなって親の方が増税になる場面かと。

 先述の通り配偶者控除や扶養控除は生存権を保障する基礎的人的控除です。だから「特定扶養控除」の上限も実勢に合わせて見直すべきだとすらいえます。23歳以降も「親の扶養に入っている」(成年扶養控除)方もいらっしゃいますが、むしろこちらは8050問題などに代表される子の貧困。103万円の壁で手控えるというよりも103万円すら稼げないがゆえである可能性が高い。もちろん親にパラサイトしている者も含まれるかもしれませんが「壁」論議とは無縁です。

 「新たに178万円の壁ができるだけ」という反論も納得しがたい。国民民主案は最低賃金に準拠するから、それが増えていく限り「壁」も呼応して高くなるはずだから。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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