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第3回WBCを終えて。世界の野球事情から見えたそれぞれの代表チームの使命と、成果。

一村順子フリーランス・スポーツライター
決勝トーナメントの舞台AT&Tパーク(サンフランシスコ)

祭りの後に考えたこと

第3回WBCはドミニカ共和国が史上初の“全勝優勝”を果たして幕を閉じた。侍ジャパンは3連覇を逃し、米国、キューバ、韓国が予選落ちした大会では、初優勝のドミニカ共和国、決勝戦のカリブ海対決を演じたプエルトリコ、台風の目となったオランダといった顔ぶれが、野球の世界勢力図を書き換える躍進をみせた。この3カ国を取材して感じたのは、モチベーション『それぞれの国の事情を背景にしたそれぞれの動機付け』、ビジョン『将来を見据え、明確な方針に基づいたチーム編成』、リーダーシップ『世代を超えた結束』、という3つの共通点。これらの代表チームを検証すれば、野球の国際事情を知り、将来の日本代表を考察するヒントがみつかるかもしれない。

ドミニカ共和国の事情

これまでの同国の本気度は、米国程度(?)だったかもしれない。オランダに2度敗れて予選敗退した前回大会では、大会期間中に一部選手がチャーター機で開催地のプエルトリコを離れて母国に舞い戻り、パーティー三昧だったことが発覚。国民を落胆させた。この屈辱が転機になって、人口当たりの大リーガー輩出率は世界一という自負を持つ同国が本気になった。

球宴選出6度のアルーがGMに就任。大リーガーの参加を積極的に呼びかけた結果、レイエス、カノらバリバリの主力級が揃い、更に、その多くがウィンターリーグに参加して調整した。最強の戦力が最高の仕上がりで備えたのだ。

ペーニャ監督は「無冠はもう沢山。今こそ恥をそそぐ時。国の威信を賭けて戦おう」とナインを鼓舞。ヒットを打てば塁上で拳を突き上げ、スコアすれば全員がベンチを出て得点者を迎える。まるでプレーオフのようなテンションで戦った。

普段ヤンキースでの冷静なプレーぶりとは別人のように感情をむき出しにプレーしたカノは言った。「ヤンキースやニューヨークのために戦うのと、国を代表することは全く違う。初ヒットを打ったことや、Wシリーズで勝ったこと、球宴に選ばれたことなど、野球人生の中には忘れえぬ瞬間がある。でも、この優勝は過去の全てを超越している。忘れることのできない瞬間だ」。

国中が待ち焦がれた優勝だったことは、優勝直後の記者会見中にメディナ大統領がペーニャ監督の携帯電話を鳴らしたことからも伺える。決勝前夜、指揮官は「明日は街に誰もいないだろう。ドラマもニュースもない。国中が野球一色だ」と語ったが、実際、アテネ五輪の男子400メートルハードルで母国に史上初の金メダルをもたらしたフェリックス サンチェス以来の反響を呼んだという。

ペーニャ監督は「初戦から毎試合、我々は想いを重ねて戦ってきた。お互いを信頼し、繋がっていた。同じメンバーで戦うことはもうないかもしれないが、この経験は次の世代に受け継がれる」と総括。人口約1千万人の国民の大きな期待を背負い、国の威信を賭けたチームの底力を改めて感じさせられた。

プエルトリコの事情

同チームにとっては、野球復興を賭けた戦いだった。かつてはロベルト クレメンスを筆頭に、80〜90年代はバーニー ウィリアムス、イバン ロドリゲスら一流選手をメジャー輩出してきたが、最近約10年間は野球の地盤沈下に悩んできた。

最大の要因は89年のドラフト制度改正と言われる。米自治領であることから米メジャーのドラフト制度に組み込まれ、隣国のベネズエラやドミニカ共和国の選手がFAとして海を渡れる恩恵があるのに比べ、メジャーのドラフト対象となった結果、若い世代の野球熱が冷めていった。01年開幕時には53人が大リーグに登録されていたが、11年には28人、昨年は17人と年々減少。衰退傾向に歯止めをかけたい思いが、チームに投影された。

「突然のルール改正は、プエルトリコの野球に大きな打撃を与えたのは間違いないが、我々自身も、改正に対応して選手を育成するシステムの確立が立ち後れてしまった」とロドリゲス監督は長い停滞期を分析する。

3月4日フロリダ州フォートマイヤーズでの始動日。指揮官はチームに大会の意義と勝ち進むことの大切さを言い聞かせた。メジャーのレギュラー級は5人。その他は準メジャー、もしくはマイナーという若いチームを、今大会出場3度目のベルトランが引率した。ツインズが昨年6月のドラフトで高卒から1位指名した右腕ベリオスがメンバー入り。ベンチでモリーナの隣に座り、熱心に耳を傾ける18歳を見ていると、改めて、将来を見据えたチーム構成を感じた。日本で言えば、日ハム 大谷を登録するようなもの。WBCを一過性ではなく、将来のプエルトリコ球界を背負って立つ次世代にバトンを繋ぐイベントと捉えていることがよく分かる。

「いかに戦うべきか、どういう心理状態であるべきか、何を備えるべきか、ベルトランやモリーナが常に語りかけてくれる。若い選手が近づき易いムードをつくってくれた」と指揮官。予選リーグ最終戦後、マイアミから深夜にサンフランシスコ入りして迎えた日本との準決勝前には、疲労感を滲ませる若手にベルトランが「メジャーでは、大陸横断して即試合が当たり前」と言い聞かせた。

プエルトリコでの日本戦の視聴率は74%。「皆が観ている前で勝ったのは意義深い。野球の世界地図の中に再び戻ることを、次世代に示す指命があった」とロドリゲス監督。野球復興の大きな足掛かりとなる4強入りだった。

オランダの事情

出場資格が国籍保持者に限られる五輪とは違って、両親の出身地や永住権にまで拡大しているWBCのルールを最大利用してチーム編成したのが、オランダだ。野球の盛んなキュラソー、アルバなどのカリブ海諸島の出身者と欧州オランダ本国出身者の混成軍を組織。中心になったのは、今季から楽天でプレーするアンドリュー ジョーンズ。昨年8月から直接電話を掛けまくって選手集めに奔走した。

「僕はミューレンがプレーする姿をみて育ったんだ」とジョーンズが言えば、プロファーやジャンセンら若いメジャー選手は「ジョーンズが僕らの憧れの存在だった」と言う。ヤクルトなど日本でもプレーしたミューレン監督の指揮の元、ジョーンズのリーダーシップに統率され、3世代が固い絆で結束した。

オランダ本国のMLB公式戦開催誘致への動きも大きな動機付けになっている。MLBは、3年前から2014もしくは15年の公式戦欧州開催計画を進め、伊ローマ、独ルクセンブルグの開催地候補を制して、今年1月に開催地候補に決まったのが、オランダのアムステルダム。6000人収容の国立野球場を3万人収容に改修工事する計画も進み、開催実現に向けて交渉中だ。サッカーとスピードスケートが人気の国だが、サッカーシーズン中では異例のTVクルーが今大会に派遣され、試合は現地で中継された。現地のセミプロリーグなどに所属するオランダ本国出身者は8人。母国ではまだまだマイナー競技だが、ジョーンズらと共に戦った経験は、大きな財産となることだろう。MLBの欧州市場拡大計画にも便乗し、欧州の野球先進国になるべく、地盤強化にまたとない機会となった。

オランダのミューレン監督。95年日本シリーズではホームランを打ちました
オランダのミューレン監督。95年日本シリーズではホームランを打ちました

3カ国に共通したこと、そして日本が次回大会までにすべきこと

3カ国の取材でのキーワードは『ファミリー』だった。家族のように監督、チームリーダー、選手が結束したと形容する言葉を何度も聞いた。 ミューレン監督は「生まれも育った場所も違うけれど、同じ国王、パスポートを持つ我々はひとつの家族」とオランダ軍を語る一方、『ファミリー』が意図するものを的確に指摘する。「こういう国際大会で戦うことによって、歴史を引き継ぎ、次の世代にバトンを渡す効果を期待したい」と。

決勝トーナメントに残った国は、いずれも、歴史と事情を踏まえた上で、将来を見据えたチーム編成がなされ、語るべき言葉を持つリーダーを据えていた。方針とビジョンが明確で、使命はチーム内にしっかりと浸透していた。

今大会の日本代表は出発点から迷走した。過去2大会で噴出していた分配金の不公平さは、本来、主催者のWBCIとの窓口となるはずのNPBが及び腰のまま交渉力を持たず、業を煮やした選手会がボイコット決議を表明する気の毒な事態に至った。選手会に属さない大リーガーたちは、選手会の立場を尊重するからこそ、口が重くなるばかりで、その時点でチームの求心力は失われつつあっただろう。

監督の人選も二転三転。最終的にオファーを出した大リーガー6人全員が出場辞退と、当初から足並みは揃わなかった。それでも何とか決勝トーナメント進出を果たした選手たちには、拍手を贈りたい。今回の大会で得た成果と課題が、日本野球の未来に生きる貴重な財産になればと思う。次回大会に日本がいかなる視野のもと、どんな方針でチームを編成するのか、誰がその先頭に立つのか。熱いカリブ海対決の余韻が冷め切らない今から、4年後を考え始めるのもいいだろう。

フリーランス・スポーツライター

89年産經新聞社入社。サンケイスポーツ運動部に所属。五輪種目、テニス、ラグビーなど一般スポーツを担当後、96年から大リーグ、プロ野球を担当する。日本人大リーガーや阪神、オリックスなどを取材。2001年から拠点を米国に移し、05年フリーランスに転向。ボストン近郊在住。メジャーリーグの現場から、徒然なるままにホットな話題をお届けします。

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