落合博満のホームラン論その3「もっと頭を使い切れば、60~70本は打てた」
現役引退から3年。12球団すべての春季キャンプに足を運び、横浜ベイスターズでは臨時コーチも務めた2001年に、落合博満が自らの歩みと重ねて語り、現在でも変わらないホームラン論を3回にわたって掲載する。
落合博満のホームラン論その1「全打席でバックスクリーンだけを狙っていた」
落合博満のホームラン論その2「三冠王獲りに駆り立てたのはブーマー・ウェルズの存在」
1985年のシーズンに入ったら、常に三冠王になることだけを意識して、ひたすら打つだけだと自分に言い聞かせて打席に入っていた。ブーマー・ウェルズ(阪急)をはじめとして、予想通りのライバルが出てきた。彼らと争いながら考えたのは、とにかく先を走り、それでも気を抜かずに数字を上げていけば、いつかは相手も諦めるだろうということ。自分では、どんなに打っても満足しない。それで、夏場を過ぎた頃には確信した。「本気で3つ狙っているのは俺しかいない。これで安全圏に入ったな」と。
打率.367、52本塁打、146打点。思い通りというか、執着心を持って手にした2度目の三冠王だったね。セ・リーグでもランディ・バース(阪神)が3つ獲っていたことで、一躍トリプル・クラウンが注目された。翌年(1986年)も、この年の続きという感じ。身につけた勢いを持続してゴールまで突っ走った結果が、2年連続3度目の三冠王だった。
1986年の数字も打率.360、50本塁打、116打点。打点が減ったけど、これは前の打者の成績とも絡む部分があるから仕方ない。50本塁打と3割6分以上の打率を2年続けたのは俺が初めてだったし、3つ獲ることしか考えずに取り組んだシーズンだったから、まずまずの結果だったんじゃないかな。
ただ、満足とか納得はしていないよ(笑)。俺たちの仕事は、そういう気持ちになった瞬間に終わりだから。
これで、1973、74年と2年連続で獲った王 貞治さん(巨人)の記録も抜いた。メジャー・リーグでも3度獲った選手はいないということで、三冠王は完全に俺の代名詞になった。ここからの野球人生は、三冠王としてのプライドをかけたものになったよ。
生意気な言い方になるけど、3つ揃わないならタイトルはいりませんという心境。実際はひとつ獲れただけでも素晴らしいことなんだけど、この横柄なこだわりが俺の志を高く保ち続けてくれたし、45歳まで20年間プレーできる原動力にもなった。
二冠王じゃダメなのかって? 全然ダメ(笑)。だいたい二冠王なんて言葉はあるの? 一冠逃しているんだから“王”じゃないだろう。名前を出して申し訳ないけど、中西 太さん(西鉄)は二冠を4度獲った。球史に残るスラッガーだけれど、「二冠王4度の大打者」とは言われないよな。一方、野村克也さん(南海-ロッテ-西武)は、たった一度の首位打者の時に3つ揃えた。これで「戦後初の三冠王」として歴史に残っているでしょう。三冠と二冠の間には、打率3割ジャストと2割9分9厘9毛9糸以上の差があるね。
ホームランは三冠王を獲るために最も必要なもの
本塁打へのこだわりはない。だけど、三冠を獲るために一番必要なのはホームランだよね。首位打者は、レギュラーなら誰にでも獲るチャンスがある。極端な話、内野安打だけで150本打っても手が届くんだ。打点というのも、チームの成績や他の選手の働きと関連してくる。運よく獲ってしまうこともあるタイトルだね。
しかし、ホームランだけはそうはいかない。打てる力をつけ、本気で打とうと狙わなければ数字が伸びていかないもの。運では絶対に獲れない。一方では、30本台前半でトップになることもあれば、40本で獲れないこともある。ライバルとの戦いを制するという精神力も必要なんだ。
俺がホームランを狙うのは、「理に適った打ち方をしたいから」だと話した。これに、もうひとつ付け加えるなら「三冠王を獲るために、最も必要なものだから」だね。俺の考えるホームランは、そういうものだったよ。
通算510本塁打をどう自己評価しているか。ユニフォームを脱ぐ時は「よくもここまで打てたものだ」と、ある程度の満足感を抱いた。それから3年経ったでしょう。野球評論家という肩書きで野球を勉強している今の俺に言わせれば、「もっと頭を使えば、もっと打てただろうな」という物足りない数字だね。
自分で言うのも何だけど、現役の頃はかなり頭を使ってプレーしていたつもりだったんだ。でも、使い切れていなかったんだね(笑)。今の考え方で打てば、落合博満という打者は一年で60~70本くらい打てたんじゃないかと……王さんの記録も夢ではなかったのかな(笑)……そんなふうに感じている。
(写真=K.D. Archive)