「生きているうちに逢いたかった」ウイニングチケット、愛称の名付け親との再会/ウマ娘史実シリーズ
ウイニングチケットが"チケゾー"と呼ばれる由来
あれは1992年の秋だった。まだ駆け出しの競馬記者だった筆者は伊藤雄二厩舎の人たちと雑談していたとき、ある厩務員さんから「走る馬がいるから取材においでよ」と声をかけられた。
今、競馬記者になって30年以上経ったが、こんな風に厩舎スタッフから「取材にくるといい」と声をかけられる時は大抵、担当者が相当自信を持っている。だが、当時はそんなこともわからないまま、言われるがままに厩舎へ足を運んだ。そこにいたのが、ウイニングチケットだった。筆者を招き入れてくれたスタッフは島明広調教助手で、同馬の担当者だった。
「普段はすごく大人しいんだ」
と、黒鹿毛の鬣を撫でた。
■1993年 日本ダービー 優勝ウイニングチケット
当時、筆者は寄稿していた雑誌の担当編集者から、厩舎の人たちが担当馬のことをどのように呼んでいるのかを聞いて欲しい、とリクエストされていた。なので当然、島さんにもウイニングチケットを普段どう呼んでいるかを聞いた。
「チケゾーだよ。な、チケゾー」
そう、ゲームや漫画、アニメなどで大人気の「ウマ娘」に登場するキャラクターのモチーフとなっているウイニングチケットだが、そのストーリーの中にも用いられている"チケゾー"という愛称の名付け親は当時の担当者だった島さんだった。
「生きているうちに逢いたかった」
あれから時が過ぎ2021年、ウイニングチケットは31歳になった。種牡馬も引退し、北海道浦河のうらかわ優駿ビレッジAERUという馬と過ごせるレジャー施設の乗馬苑で功労馬として繋養されている。
そんなウイニングチケットにこの初夏、島さんは逢いに行った。まだ各地に緊急事態宣言が出る前、忙しい仕事の合間を縫い、ただそれだけのために栗東から北海道へ飛び、千歳空港から3時間、車を走らせて愛馬と再会した。その理由はただひとつ。
「生きているうちに逢いたかった」
愛馬との約30年ぶりの記念撮影
先日、1歳年上のレガシーワールドが亡くなったため、JRAのGI優勝馬の中ではウイニングチケットが最高齢だ。
「チケゾーも年が年だし、自分も年をとった。いつ何があってもおかしくない年齢だから、一度逢っておきたかったんだ。」
馬が30歳を超えたら老衰で亡くなるのも珍しくない。しかし、嬉しいことに島さんによればウイニングチケットは元気いっぱい。年齢を感じさせない若々しさだったという。
「歯や顎が丈夫でしっかり食べれているのがいい。食欲もあるし、草もニンジンもバリバリ食べる。やはり、食べられなくなると一気にガタがくるからね。元気でいてくれて、本当によかった。」
そして、ウイニングチケットは島さんのことを覚えていたのだろうか。
「きっと忘れてるよ。ただ、やたら自分の扱いが上手い、慣れた人が来たな、とは思っていただろうけどね(笑)」
このとき、再会を記念した撮られた写真はこちら。
トップ画像は1993年、ウイニングチケットが日本ダービーを制したときの口取りという記念写真だ。ウイニングチケットの向かって右隣にいるのが担当者だった島さん。そして、2021年に撮影されたこの写真でもやはり右隣にいる。
また何年か後、この写真の続きが見たい。
■過去記事
スターロッチと義理人情が繋いだウイニングチケットのダービー制覇
■過去記事
32歳、GI馬レガシーワールド亡くなる 相棒と暮らした穏やかな余生
■過去記事
30歳老衰で天寿全う、GI3勝のビワハヤヒデが教えてくれたこと
■過去記事