32歳、GI馬レガシーワールド亡くなる 相棒と暮らした穏やかな余生
「大往生、眠っているようでした」
2021年8月18日早朝、1993年にジャパンカップを制したレガシーワールドが亡くなった。生まれ故郷であり、競走馬引退後に繋養されていた北海道・静内のへいはた牧場で老衰のため、息を引き取っているのが確認された。
32歳。GIを勝ち、功労馬として余生を送る馬の中では最高齢だと筆者は認識している。
へいはた牧場の幣旗芳典社長によれば「大往生」だったという。
「昨年くらいから体も痩せて年をとった印象でしたが、昨日も食も落ちておらず元気にしていました。ただ、今年の夏はこちらもとても暑かったのでそれが堪えたのかもしれません。
今朝、亡くなったのですが苦しがった様子もなく眠っているようでした。」
去勢後、快進撃を続けてGI馬に
レガシーワールドは1993年のジャパンカップを制したGI馬だ。
ミホノブルボンのトレーナーとして知られる戸山為夫厩舎から1991年にデビューするが、勝てないまま骨折し休養に入る。善戦するもゲートが上手くなく、激しい気性をうまく結果に繋げることができなかったため、戸山師の提案で去勢された。
翌1992年、セン馬となったレガシーワールドは7戦目にしてようやく初勝利をあげた。その後は快進撃を続け、セントライト記念(GII)、東京スポーツ杯(オープン)、ドンカスターS(オープン)を3連勝。続くジャパンカップ(GI)では、果敢に逃げて大いに見せ場をつくったが、最後はトウカイテイオーらが追い上げ、4着に敗れた。
■1992年ジャパンカップ(GI) 優勝馬トウカイテイオー(4着レガシーワールド)
次の有馬記念(GI)では逃げはメジロパーマーに譲り、そのうしろで駆け引きを続け、最後の直線で一気に追い上げてゴール前ではメジロパーマーに僅かハナ差まで詰め寄るという目覚ましい活躍をみせた。
■1992年有馬記念 優勝馬メジロパーマー(2着 レガシーワールド)
1993年、かねてから闘病中だった戸山師が亡くなり、愛弟子の森秀行師が厩舎が引き継いだ。そして秋、ふたたびジャパンカップ(GI)に挑んだ。このときは2番手からレースをすすめ、直線で満を持して追い出すという正攻法で見事優勝。それは、その後大躍進する森秀行厩舎にとって初のGIタイトルでもあった。
■1993年ジャパンカップ(GI) 優勝馬レガシーワールド
引退後はゆったりと相棒と共に暮らす日々
競走馬引退後、生まれ故郷のへいはた牧場へ戻ったレガシーワールドは功労馬としてゆったりと暮らしていた。
「ものすごく寂しがりやだし、元々気性が荒かったので、馬房でポニーと一緒にさせていました。それが合っていたようで、いつも相棒と一緒にいましたね。」(幣旗さん)
一緒に過ごしたポニーは2頭。初代のパピーちゃんは早くに亡くなったが、二代目のハニーちゃんは2019年に亡くなるまでずっとずっと一緒にいたそうだ。
「ハニーがちょっと離れただけでワールドはとても寂しがっていました。その後はアポロアミという牝馬と一緒に過ごさせるようにしていました。さすがにサラブレッド同士なので馬房は別々ですが、一緒に放した放牧地ではいつも一緒にいましたね。」(幣旗さん)
激しかった競走馬時代とは一転し、引退後の穏やかに暮らしたレガシーワールド。もちろん、長く生きることが望まれるが、このような相棒との穏やかな日々と最期は、同じ生きとし生けるものとして羨ましく思える。
レガシーワールドはへいはた牧場内の馬頭観音に祀られるそうだ。いまごろ、長く連れ添ったハニーちゃんと再会しているだろう。合掌。
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