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《響の森》と題されたコンサートでチャイコフスキーが上演されたことについて〔乱聴亭日乗〕

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
タイトル画像作成:富澤えいち

2023年も半分が過ぎようとしているので、手元のメモをたよりに音楽的な体験を書き留めておくことにした。題して「乱聴亭日乗」。

ニューイヤーコンサートのこと

2023年の初ライヴ取材は、1月3日に東京・上野の東京文化会館大ホールで行なわれたニューイヤーコンサートだった。

ここ数年は上野に通い、このニューイヤーコンサートを楽しんでいる。

ニューイヤーコンサートと言えば、オーストリア・ウィーンのウィーン楽友協会の大ホールで行なわれるものが有名だ。1月1日の昼公演のもようは日本にも中継され、正旦の御節を囲む茶の間に彩りを添える最良の音楽コンテンツとして楽しみにしているファンも多く、ボクの家もそうだったりする。

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートが始まったのは1939年12月31日。1941年の2回目から1月1日の正午スタートとなり、以降は元旦のマチネ(昼公演)として定着した。

そもそもコンサートが企画された背景には、ナチス・ドイツのオーストリア併合に対するオーストリア人の不満を抑えるという政治的な意図があり、そのためにウィーン出身で、オーストリア人の絶大な支持を得ていたシュトラウス一家が生み出した曲を軸にプログラムが組まれ、その慣習が現在も続いている。

ちなみに1939年は、シュトラウス家の孫、ヨハン・シュトラウス3世の歿年(1月9日)でもあったが、なぜか3世の曲はウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの演目に取り上げられることはない。“ワルツの父”と謳われる1世、“ワルツ王”の2世はいずれも19世紀に活躍した人物で、2世の弟の子ども、つまり甥である3世は20世紀初頭にかけて活躍──という音楽的家系になる。

閑話休題、2023年の年明けは、コロナ禍に加えてロシアのウクライナ侵攻と、世界的な不安要素が重なったままで迎えることになった。

これはある意味、84年前のオーストリアを含むヨーロッパを襲った状況に似ているとも言え(時期は少しずれるが、1918年から1920年にかけて世界的なインフルエンザ・パンデミックを巻き起こしたスペイン風邪の流行があった)、そんな空気感がニューイヤーコンサートのプログラムにもちょっとばかり影響してたんじゃないのかと深読みさせてくれたのが、チャイコフスキーというセレクションだったりしたのだ。

実は、ピョートル・チャイコフスキーにとって、2020年は生誕180年のアニヴァーサリー・イヤーだったが、コロナ禍でコンサートが軒並み中止となり、消化不良な状態だったと言える。

2023年は歿後130年と、これまた“節目”と言えなくもない年なので、演目にチャイコフスキーが増えるのではないかと、下手なマーケッターのようなことを言ってみたりもできるわけなのだ。

しかし、改めてチャイコフスキーに焦点を当ててみると、彼を選ぶということに関する暗喩的メッセージがあるのではないかという、訝った見方もできそうなのだ。

そのあたりはあまり音楽的な内容ではないので、ザックリと要点だけ挙げておく。

まず、チャイコフスキーは19世紀半ばから後半にかけて活躍した作曲家で、旧ロシア帝国のヴォトキンスクで生まれたが、その家系の出自がウクライナ・コサックであること。

チャイコフスキーという苗字は、ウクライナでは伝統的なチャイカ(カモメの意)という名を改めたものであることなどなど。

ピョートル・チャイコフスキー自身は、ロシア皇帝の命によってサンクトペテルブルクのカザン大聖堂で国葬が営まれたほどの“ロシア側の人”だが、ウクライナとロシアの“将来”を憂慮する現在において(それが、必ずしも音楽的な、あるいは政治的なものではないかもしれないけれど)平和のために考えを止めないきっかけを与えてくれるものになるのではないかという期待が込められているとしても、ボクはそれをケレンとは思わない。

藤岡幸夫のチャイコフスキー

コンサート・プログラム表紙(筆者撮影)
コンサート・プログラム表紙(筆者撮影)

東京文化会館大ホールでのニューイヤーコンサートは、藤岡幸夫指揮による東京都交響楽団で行なわれた。

第1部は、第10回東京音楽コンクール弦楽部門第2位の上野通明をフィーチャーしたドヴォルザークの〈チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104 B191〉。

有望な若手にハレの舞台を用意する、というのもこのコンサート・シリーズの大きな役割だ。そうそう、そんな《響の森》と題するコンサート・シリーズは半年に1回のペースで開催され、2023年のニューイヤーコンサートは51回目に当たる。

さて、第2部がお待ちかねのチャイコフスキーで、曲は〈交響曲第5番 ホ短調 Op.64〉だ。

休憩明け、演奏を始める前に藤岡幸夫はマイクを取り、この曲についての簡単な解説を施した。

特に印象的だったのは、“運命”を意味する主題が形を変えながら繰り返され、第4楽章ではその"運命"に対して意を決して「勝利を把みに行くが、しかし……」というニュアンスで曲が終わるという指摘だった。

実はそのときも、いや、この原稿に取りかかるときまで、そのニュアンスの意図するところを理解できていなかったのだが……。

広上淳一のチャイコフスキー

コンサート・リーフレット(筆者撮影)
コンサート・リーフレット(筆者撮影)

2023年5月1日の《響の森》第52回公演は、広上淳一指揮による東京都交響楽団で、「ベートーヴェン&チャイコフスキー」と題されていた。

チャイコフスキーは第1部の2曲目で、選ばれたのは〈ピアノ協奏曲第1番 変口短調 Op.23〉。

第1回東京音楽コンクールのピアノ部門第2位に輝いた小林海都をフィーチャーして、チャイコフスキーの代表曲を若手御披露目のために用意した、といったところだろうか。

この曲の初演(1875年)に際して、チャイコフスキーは親友のモスクワ音楽院院長でピアニストのニコライ・ルビンステインに依頼するも、ルビンステインは難易度が高すぎるのに音楽的な趣に欠けるとこれを断り、代わりにハンスフォン・ビューローが演奏したら大成功となった、という逸話が残っている難曲だが、その難曲に挑もうとする小林海都の熱演が光るステージとなった。

そんな熱い空気感が生まれたのも“広上マジックだったのか?”という思いに至ったのは、実は終演後に帰宅する車中だった。

そのきっかけとなっていたのが第2部に上演されたベートーヴェンの〈交響曲第5番 ハ短調 Op.67〉。

そもそもこのコンサートのタイトルが“ベートーヴェン&チャイコフスキー”という身も蓋もないもので、しかも選んだ曲が両雄の代表曲中の代表曲という、なんらヒネリのない(と思わせる)企画とあって、当日の会場へ向かう途上では“ガラコンサートに出かける気分だった”というのが正直なところ。

ところが、この広上〈運命〉は、そんなフワフワとしたパーティー気分を吹っ飛ばすほどの起爆力を秘めていたのだ。

どこの解釈を変えて、どう表現すればああなるのかという、認識のズレを修正できずに混乱が続いているなかで振り返ったチャイコフスキーも、もはやコロナ禍前やロシアのウクライナ侵攻前のイメージと同じたりえないのではないか──。

附言

クラシック音楽は、作者が残した譜面をいかに正確に再現するかという技量が問われる芸術だと思って接してきた。

近年のネオ・クラシックでは、より演奏者の解釈を重視するような、誤解を恐れずに言えば“ジャズ的な手法”でアプローチすることが増え、主流とさえ言えるようになってきている。

“譜面を正確に再現”というところへ立ち戻ってみると、そもそも譜面という単純省略化された二次元情報ソースを一字一句再現することが、作曲家が譜面という唯一の記録媒体に刻もうとした“想い”を再現できることにつながるのか……。

ニューイヤーコンサートやチャイコフスキーの作品は、社会から隔絶された純粋培養空間で再現される音響芸術として存在しているものでないということは言うまでもない。

そして、その当時の外的環境が作曲活動やコンサート企画に重大な影響を与えることもまた然り。

2023年の空気感でワシの音楽を聴けば良いのジャと、チャイコフスキーに言われた気がしたコンサート2題についての“乱聴”はここまで。

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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