85年前の「原作者」と「映像制作者」の対立 それでも名作映画が出来上がったのは何故なのか
1939年『風と共に去りぬ』の映像化問題
いまから85年前、昭和14年(1939)、小説『風と共に去りぬ』の作者マーガレット・ミッチェルは、この作品は絶対に映像化できません、と明言していた。
3年前の1936年に発売されたこの小説はあっという間に大評判となり、世界中で翻訳され(中国とアルバニア以外のすべての国から翻訳のオファーがあったという)映画化の話が引きも切らなかった。
5万ドルという破格の映画化権料に惹かれて、もしくはあまりにも執拗な懇願に負けて、ミッチェルは映画化権を売ってしまう。
いまと変わらぬ原作者と映像制作者の「意識の違い」
このときのやりとりについて、新潮文庫『風と共に去りぬ』第5巻(最終巻)あとがきに(および新潮選書「謎解き『風と共に去りぬ』」にて)、訳者・鴻巣友季子が紹介している。
ここには、85年前ではあるが、いまと変わらぬ「原作者」と「映像制作者」の意識の違いが明確に現れている。
「貧乏人に映画化権料を断ることができるでしょうか」
1936年、小説が出版された直後から、映画会社のエージェントたちに追いまわされてミッチェルは『風と共に去りぬ』の映画化の許諾を迫られる。
でも彼女は「この小説を映画にするのは不可能です」と断りつづけていた。
そうすると「彼らはヒステリックに」なったそうだ。
なんでこの機会を逃すのだと、強く迫られたのであろう。
マーガレット・ミッチェルはもともと新聞記者ではあったが、小説を書いたのはこの『風と共に去りぬ』が最初である(それ以降も書かなかったのだが)。この一作だけで有名になった新人作家であった。
必死で説得する関係者との応対に慣れていない彼女は、映画化権について、出版社に一任する。
結局、映画化権は5万ドルで買い取られる。莫大な金額である。
「わたしのような貧乏人に五万ドルの映画化権料を断ることができましょうか」とも手紙に残している。
「この本を映画化するのは不可能ですから」
おそらく、もう、お好きにしてください、という気分だったのだろう。
最後に、契約書にサインする段になって、いまいちど、釘を刺した。
「みなさんは大間違いをなさっていますよ。この本を映画化するのは不可能ですから」
でも映画制作者たちは、「わたしを憐れむように笑って、肩などたたきながら」、まあまあ、と取りなすようにこう言った。
「映画にうってつけの素材だ、とくに会話文をごらんなさい! 一行だって加筆する必要もないじゃありませんか!」
やれやれという気分で「脚本化するには原作をカットしなくてはなりません。その作業を始めればすぐに、夢にも思わなかった技術的問題に気づくはずです」とこのときミッチェルは言った。
でも映画関係者は耳を貸さず「きっと執筆でよほどお疲れなんでしょう」とわけしり顔で言って、いたく同情してくれ、うちの女性陣と一緒にお茶でもしていらっしゃいと、送りだしてくれたらしい。
「きちんと話が通っていなかったのだと気づき、途方に暮れております」
契約したのは出版した1936年、それが1939年になっても映画脚本が固まらなかった。
その時点で脚本家からミッチェルに「加筆をお願いできないか」と依頼が来る。
彼女は「だから言わんこっちゃない」と関係者に彼女は愚痴り、「セルズニック社にこの本を売った際に、はっきり申し上げたことですが、時代考証、衣装、撮影台本など、いかなることであれ、わたしは映画製作に関わるつもりはありません」「そういう了解のものに本作の映画化権をお売りしています」と書き連ねている。
映画化なんかできるわけないんだ、いまさら何を言っているんだ、という気分でいっぱいだったのだろう。
窓口である映画会社には、私は制作に一切関わらないと繰り返し通知していたのに、脚本家から協力してくれないかと言ってきたのだ。
「要はきちんと話が通っていなかったのだと気づき、途方に暮れております。わたしはセリフの加筆どころか、台本を拝見するつもりもございません」
映画完成10か月前のマーガレット・ミッチェルのため息が聞こえるようだ。
(以上、映画関係者とのやりとりは前述のとおり新潮文庫『風と共に去りぬ』5巻「訳者あとがき」と、新潮選書「謎とき『風と共に去りぬ』」〈鴻巣友季子〉第一章と第四章による。セリフは著作からの引用、前後の説明は一部加筆してある)
このあと、おそらく辣腕プロデューサーの力によるところが大きいのだろう、1939年12月には映画は完成し、公開され、大ヒットした。
原作の情報量が膨大すぎる
訳者の鴻巣友季子は、なぜこの小説家が映画化できないと言ったのか、という問題を文体の視点から解説していく。さすがに全文を変換する作業をした人ならではの卓見ではある。余人にはおもいいたらない指摘が多い。
ただ、きちんとこの小説に向き合って全文を読めば、映画化は無理だと考えるミッチェルの気持ちは素人ながらもすごくよくわかる。
簡単に言えば、原作の情報量が膨大すぎるということだ。
新潮文庫で5巻2300ページを超える小説である。連続ドラマならともかく、一気に見る映画に変換するのは無茶すぎる。
映画を見てから小説を読んで腰を抜かしそうになった
私は1972年(中学3年のとき)に映画を見た。日本全国でリバイバル上映されたときである。
小説を読んだのは2010年代になってからである。
映画を通してみて、「風と共に去りぬ」とはこういうお話なのだなとあっさり了解してから、あらためて原作小説を読むと、あまりの差異に腰を抜かしそうになる。「腰を抜かす」というありきたりな比喩を使ってでも伝えたいほど、両者は別ものなのだ。
原作の上澄みを集めたカスカスのダイジェストが映画
小説を読めば著者マーガレット・ミッチェルが「台本も見るつもりもございません」という気持ちがよくわかる。
この小説世界をそのまま1本の映画に仕立てようとするのは、京都の三条河原に立って、いまから鴨川の水をひと息で呑む、と言っているようなものだ。無茶苦茶である。できるわけがない。
大河ドラマなら可能かもしれない。45分で50話。37時間30分。これくらいなら可能だろう。それを3時間42分にするのは、ただの上澄みを集めたスカスカのダイジェスト版にしかならない。
そして、実際にそうなっている。
原作を切り裂いて縫い合わせてなんとかおさめた
原作をずたずたに切り裂いて、うまく縫い合わせて、なんとか3時間42分におさめている。
でも、この映画は名作として評価されている。
映画だけを見るぶんには、たしかに歴史に残る一作だと言えるだろう。
たまたま、いろんなものがうまくいったのだ。
映画を見ると、原作とまったく違うじゃん、とはおもう。
でも、原作を変えた、という印象は抱かない。
そのへんがうまいところである。
いちおう、ストーリーも、キモになっているセリフも、すべて原作に忠実である。
南北戦争は「昔」と「今」の戦い
大雑把にいえば、原作小説は「アメリカ南部のさまざまな人たちの織りなす文化」そのものを描いており、映画は「ヒロインのスカーレットの生き方」に焦点をあてた物語と言える。
「風と共に去りぬ」というタイトルの意味も、原作小説を読めば、これは南北戦争によってぶっつぶされた「アメリカ南部社会」のことを言っているのだな、とわかる。風と共に去ってしまったのは、「戦争前の南部の社会にあったすべてのもの」である。
南北戦争とは、北と南の戦いというより、19世紀(最先端の今)と18世紀から続く(古き良き昔)の戦いだったということがわかる。昔が今に勝てるわけがない。
いっぽう映画の中心は、「ヒロインの強いおもい」にある。
スカーレットの映画なのだ。
絞ったら「戦争に翻弄されるヒロインの甘酸っぱい恋心」の映画ととらえることもできる。
冒頭のスカーレットの年齢(16歳である)の少女が見ても楽しめる映画をめざしているのだろう。エンタメとしては間違っていない。
原作者と映像制作者の「おもいきりの良さ」
はるか昔に映画をみて、それから52年たってから小説を読んで、再び映画を見直すとあらためて「映画は小説の出来のいいダイジェストでしかない」と言いたくなる。
でも、映画がつまらないというわけではない。
原作と、それとは別ものといえる映像化作品が、ともに高く評価されているかなり幸せな例といえるのだろう。
原作者のおもいきりのよさと、映像化する人たちのおもいきりのよさが、たまたま、うまく合致したのだ。
原作者がおもいきったのは、映像化されたらまったく別のものになるという諦めであり、映像制作者がおもいきったのは、原作の芯をほぼひとつにしぼってほかを切り捨てる決断である。
『風と共に去りぬ』について、世の中ではおそらく、映画は見たが原作は読んでいない、という人が多いだろう。
それはそれでかまわない。
でも原作は、映画の何十倍もの深みと知見を感じさせる世界が描かれている、というぐらいは知っておいて欲しい。