なぜ『アンチヒーロー』のヒーローは吹石一恵と木村佳乃が演じた女性検事だったのか 『虎に翼』との関係
『アンチヒーロー』の吹石一恵と木村佳乃
日曜劇場『アンチヒーロー』を全話見て、印象に残ったのは二人の検事だ。
吹石一恵の演じた桃瀬検事と木村佳乃の演じた緑川検事である。
以下、ドラマ内容に触れます。
12年前の冤罪事件を糺す、という展開をみせたこのドラマは、女性たちの力がとても大きく働いていた。
法曹界の女性の「覚悟」を見せるドラマであった。
そういう点では、朝ドラ『虎に翼』とつながっているところがある。
桃瀬検事(吹石一恵)の孤軍奮闘
吹石一恵の桃瀬検事は、すでに亡くなっている。2018年に39歳で亡くなっているという設定。
このドラマが扱う重大事件「糸井一家殺人事件」が冤罪であったことにまず彼女が気づいていた。事件が起こったのは2012年。
殺人犯だとおもって逮捕した男、死刑囚の志水裕策(緒形直人)は真犯人ではなかった。
そのことに検察も警察も気がついたのであるが、見て見ぬふり。
桃瀬(吹石一恵)検事がひとり真相を明かそうと動くが、組織ぐるみでの隠蔽なので、内部から告発しようにも、その証拠が見つからない。
真犯人は誰かはついに明らかにならない
志水が犯人ではないなら、誰が犯人か。
そこは当然、問われるところであるが、スルーされた。
ドラマ『アンチヒーロー』のすごいところである。
志水が犯人ではないことを証明するのに躍起になり、犯人でないなら誰が一家をまとめて殺したのか、ということには触れられなかった。
気になるポイントに人の目を引きつけて、それ以外の動きを注目させないのは、優れたマジシャンの技と同じである。
ドラマの作りそのものが「アンチヒーロー」な作りになっていた。
このドラマの「アンチ」ではない真のヒーローは
長谷川博己の演じる主人公明墨(あきずみ)はアンチヒーローであった。
では、ヒーローはだれか。
一人が吹石一恵の桃瀬検事だ。
まっすぐなヒーローなので、すでに故人にしてしまった、というところがあるとおもう。
彼女は孤立無援、たった一人で検察庁相手に、冤罪であることを証明しようとしていた。
でも病に倒れる。
9話での桃瀬検事の手紙
桃瀬検事が、自分はもう長くないと悟ったとき、同期の検事だった明墨(長谷川博己)にあとを託す。
彼女は病室でも、記録を残しつづけていた。
頑なな男だった明墨も、病室で文字通り命を懸けて頼まれ、心が動く。
9話(最終話前)での彼女の言葉が胸を打つ。
明墨には手紙で届けられている。病床で、消えそうな命と戦いながら、書いた文字は震えて読みにくい。吹石一恵がその文字を読み上げる。
「こうなってみてわかる。命は有限で尊い。私も、もっと生きたかった……でもまだ救える命がある」
もっと生きたかった、という絞り出すような声が耳を離れない。
ドラマでもっとも泣けるシーン
手紙の末尾はこういう言葉だった。
「その未来を私も目で見たかった。明墨くんと一緒に」
このドラマでもっとも泣けたシーンであった。
一回目に見たときに泣いて、二回目に見たときはなぜかその倍泣いて、三回目見たときは三倍に泣いた。見るほど泣けてくる。四倍以上に泣くのが怖いので三回しか見ていない。
10年見かけなかった吹石一恵
それを演じていたのが吹石一恵だった、というところがすごい。
彼女はもう10年ほどドラマに出ていない。
かつて、主演級の、やさしいけれど、迫力ある女優として活躍していた。そのピークは2012年から2014年あたり、続けさまに出ていた。
2015年に結婚してからはあまり見かけなくなった。
ここ10年近く出なかった女優さんが、いきなり「もう死んじゃった人」として写真で出てきたのには胸がざわついた。
いま、ここにはいない人、という役柄が妙に説得力を持っていた。
真のヒーローだった女性検事
ヒーローだった明墨検事が、アンチになっていくのは、彼女のおもいを汲み取ったからであった。
吹石一恵は、やさしい雰囲気をまといながらも、でも人を胴震いさせそうな存在感を醸し出していた。
彼女がドラマの真のヒーローだったように見える。
ドラマのピーク法廷シーンでの活躍
もう一人は木村佳乃である。
ドラマ最終話のピークは法廷シーンであった。
アンチヒーローな主人公の明墨と、対決するラスボスは伊達原検事正(野村萬斎)。
木村佳乃の緑川検事は、伊達原検事正のバディである。二人で組んで、ダークな弁護士の明墨と対決している。
はずだった。
でも、彼女はその伊達原検事正こそが、不正を働いていると前から見抜いて、彼を裏切る。
彼を糾弾する側にまわり、明墨をサイドから助けるポジションに立つ。
得する役だった木村佳乃の検事
そういう意味では、緑川検事の役が、お得な役であった。
もちろん、途中から、彼女はじつは主人公サイドなのではないか、とおもわせるところがいくつもあった。そういう前ふりがあっての、最終話での爆発である。
そういうお決まりの展開も、真剣に演じられると、とても引き込まれる。
ドラマで大事なのは物語の展開ではなく、説得力をもたせるディテールのようだ。
悪魔のように微笑んだ
緑川検事は、検察庁に所属をしながら明墨サイドと結託して、検事正の不正を明らかにしようとしていた。
それが明かされるのが最終話の大詰め9時47分であった(いちおう15分拡大版)。
内部に告発者がいる、ということを法廷内で知らされ、あわてるラスボスの伊達原。
検察の仲間を見わたし、違う違うと首を振る者たちのあと、緑川検事のところでカメラが止まる。
一瞬の間があって、木村佳乃は、悪魔のように微笑んだ。
桃瀬検事の意志を継ぐ者
不気味な笑いであった。本年のドラマでもっとも不気味な笑いだったとおもう。
テレビの前で声が出そうになった。
いやもう、彼女がやったんだとほぼ確信していたのだが、でも、やはり声が出そうになった。
十分に予想させて、その予想通りで、そして胸のすくおもい、というのはエンターテインメントの基本である。
木村佳乃の悪魔のような笑いが、このドラマ全体のピークであった。
明墨だけではなく、緑川もまた死んだ桃瀬の意志を継いでいた。
悪い判事のその後の姿
このあと、悪い検事正に唆され、不正を働いていた女性判事の瀬古(神野三鈴)が記者会見を開く。彼女はドラマ中盤では敵として、主人公に立ちはだかっていたのだが、ここでは一転、主人公サイドに立つ。
再審をおこなうよう強く発言する。
いきなり、めちゃかっこいい。
その会見のあと、瀬古もと判事は、緑川検事と一緒に歩きながら話す。
うらやましかった、あなたならやり遂げるわ、と緑川を励まし立ち去ろうとする。
緑川検事は追いかけ、あなたも強い人だとおもいますと言う。
もと判事は手を強く握りしめて、無言で去っていく。背を向けたまま手を振って去る。
まるでアラバスタをあとにする麦わらの一味のように(あれは本人たちは静止していたけどね)。
ここも見せ場であった。
『虎に翼』から90年 法曹界の女性たちが励ましてくれる
吹石一恵の桃瀬検事の孤軍奮闘する姿。
木村佳乃の緑川検事が耐えて忍んで、最後に勇躍するシーン。
そして神野三鈴の瀬古もと判事が、非難を浴びつつも正しいことをやり遂げようとする勇気。
女性の法律家たちが強く印象に残る。
堀田真由の演じた紫ノ宮弁護士も、自分の将来なんかどうでもいい、人の命より大事な将来ってなんなの、と叫んで、心に刺さってきた。
彼女たちの「決意と覚悟」を見せたドラマであった。法曹界の女性の強さに励まされた作品である。
これはおそらく、朝ドラ『虎に翼』で描かれている「男社会である法曹界」でいきていく女性のしんどさとつながっているのだろう。
大変なところで戦っている姿は、より人をふるいたたせてくれる。
『アンチヒーロー』はヒーロー役を女性にまかせ、それは『虎に翼」から飛び立った女性の法曹家たちの「理想の着地点」を描いたアンサードラマだったのかもしれない(『虎に翼』はまだ半分しか終わってませんけど)
大変だけど頑張る。見えないところで、わからないように頑張る。
その姿にはやはり勇気づけられる。