Yahoo!ニュース

春の「記憶喪失ドラマ」祭り 見ていて記憶に残ったのは『アンメット』か『くるり』か『9ボーダー』か

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:2023 TIFF/アフロ)

突然の「春の記憶喪失ドラマ祭り」の開催

春ドラマでは記憶喪失ものが重なっていた。

よくまあこれだけ重なるものだ、という重複であった。勝手に「春の記憶喪失ドラマ祭り」と私は呼んで、それぞれしっかり見通した。

ドラマはそれぞれ違う終わり方をした。

もっとも正統派記憶喪失ドラマらしかった『くるり』

終わってみるともっとも「記憶喪失ドラマ」らしかったのは『くるり』だったとおもう。

サブタイトルは、誰が私と恋をした? で生見愛瑠が主演、お相手役はさて、瀬戸康史か神尾楓珠か、宮世琉弥か、という展開であった。最終話できちんと記憶がもどって、それで納得する内容だった。

見ているほうもそういうことだったのか、とわかる展開であった。

記憶喪失になった主人公視点でドラマが展開したからだ。

みんなウソをつく

主人公が覚えてないことをいいことに、みんな、ウソをつく。どれがウソでどれが本当かは主人公にわからず、見ている私たちにもわからない。

最後に記憶が戻って、すべてわかるというお話だった。

わかりやすいドラマが好きな人にちゃんと支持されたとおもう。

『9ボーダー』は記憶が戻らないままドラマ

記憶が戻らなかったのが『9ボーダー』だった。

これはヒロインの川口春奈が記憶喪失の男性(松下洸平)を好きになる話である。

たまたま街で知り合いになる。ご近所だったこともあり、それから何となく付き合いが始まる。

終盤になって、彼の正体がわかる。大阪の大きな会社の副社長だった。家族もわかり、婚約者も出てくる。彼はおもだせないのだが、でも大阪に戻ってもとの生活を始める。

しかし、彼の記憶は戻らず、東京のヒロインのもとへ戻ってきてしまった。

記憶はなくなったものとして、あらたな人生を歩み続ける、という選択であった。

記憶は戻らず恋は成就してハッピー

記憶が戻らないままの恋愛話であった。ちょっと珍しい。

恋は成就してハッピーエンドである。

本人の記憶は失ったままなので、途中まではずっと謎、正体判明ののちはまわりの人が説明してくれるのでわかるのだが、でも本人は納得してなかった。だから見てる者もなんかしっくりしない「周りからの喪失部分の説明」であった。

結局、記憶喪失は喪失のままのドラマであった。

『366日』は途中から記憶喪失祭りに参加

『366日』はある程度、記憶が戻った。

広瀬アリスが主演、相手役が眞栄田郷敦の恋愛ドラマである。

このドラマの最初は穏やかな恋愛から始まった。

しかし一話の最後に彼(眞栄田郷敦)が野球少年を救うために手すりから落ちて頭を強打、そのまま意識不明が続く。目覚めたのは四話の終わり。そして五話で、彼に記憶障害が起こっていることがわかる。

記憶喪失ドラマに途中参加となった。

ずっと記憶がないままと彼は言っていたが、最終話前から、おまえ、記憶もどってるんじゃないかと友人から指摘されるようになり、どうやら一部は戻っていたらしい。記憶について、本人が言わないとわからないままのドラマであった。

高校時代からの記憶は戻る

最終話では、高校以降の記憶はだいたい戻っている、と本人が明かしていた。しかしそれ以前がまだらということは、高校以降もしっかりあるかどうか、わからないだろう。

昔の記憶なんていつも保持してるわけではなく、なんかのおりにおもいだされるもので、それと、記憶がまだらであるのと、本人でも区別はむずかしいのではないか。

ヒロイン(広瀬アリス)との出会いは高校だから、彼女のことはほぼおもいだしたということだ。

だから、恋愛ドラマとしてハッピーエンドであった。

いやでも、という気持ちは少し残る。

中村アン『約束』も少し記憶喪失テイストあり

中村アンが刑事役だった『約束』も彼女が高校時代に遭遇した事件前後の記憶が欠落していたという部分記憶喪失ものだった。

ただこれは刑事ドラマであり、この記憶喪失は「主人公自身が自分が犯人かもとおもうため」のアイテムのようなものだった。記憶喪失は、いろいろ謎を生み出せるので、つい使いたくなるらしい。

ただ『約束』はとてもスリリングなドラマだった。最後まで手に汗握って見終わった作品である。

特殊な記憶喪失ドラマ『アンメット』

記憶喪失もので人気だったのが杉咲花の『アンメット』だろう。

医療ドラマであり、そして恋愛ドラマでもあった。

彼氏役は若葉竜也。

若葉竜也はこのドラマで一気に注目が集まった、と言っていいのではないか。

杉咲花の存在感がすごい

ここの記憶喪失は少し特殊だった。

ヒロインは脳の損傷でここ2年の記憶がなく、そのうえ、その日の記憶も寝ると忘れる。

起きるとノートを見て、覚えておかなければいけないことを毎朝、学ぶ。このへん細かく描写されていたが、それほど実感は持てなかった。ちょっと想像の外すぎる。

でも杉咲花を見ていると、その姿に説得力がある。杉咲花の圧倒的説得力はすごいとおもう。

彼女の記憶喪失はみんなに共有されている

彼女の記憶の喪失で、真実がわからない、という部分はない。(一部あるのだが、ドラマ展開のために隠されていただけで、あまり気にしなくてもよいとおもう)

彼女の記憶喪失は、みんなで共有して、手助けしている。

また見ているほうも、彼女が毎日書く日記を見るので、何を不安におもって、何を考えているのかも共有できる。その部分はかなり開かれたドラマであった。

印象深いラストシーン

最後はかなり専門的な話になり、少しわからないところもあった。

いちおう、高難度の手術は成功した。意識不明な日々が続いたあと、いつの日なのか、彼女は目覚めて、「わかります」と答えたところでドラマは終わった。

期待を残して終わった。印象深いラストシーンだった。ずっと忘れないシーンになりそうだ。

でも、実際のところはどうだったのかの説明はない。説明がないから名シーンになるのだろうが、見ているほうが想像するしかない。

いまを生きるしかない、というメッセージを私は受け取っている。

記憶喪失はまず「謎」と「キャラクター」

今回のドラマ「記憶喪失祭り」では、「記憶喪失」はそれぞれ別の形で扱われた。

(『約束』はドラマのスリリングさを増すスパイスという感じだから、比べなくていいだろう)

4ドラマの「記憶喪失」の仕掛けの違いを並べてみる。

『くるり』では、記憶喪失はドラマの「謎」を作ってキープするものであった。喪失している部分は大事なところで、それが回復されて物語はおさまった。記憶喪失ドラマの基本といっていいだろう。

『9ボーダー』では、記憶喪失は「彼のキャラクター」の一部として扱われていた。

いわば彼を謎めかせる要素であり、失っている部分はあまり重要な部分とはされてない。失ったままドラマは終わった。

『366日』の恋愛への障害 『アンメット』の日常

『366日』では、記憶喪失は「恋愛への障害」であった。記憶がないということより、本人がそこに引け目を感じて恋愛がうまくいかなくなるその原因として扱われていた。だからある程度、記憶が戻ってきて、本人が前向きになることで恋愛関係が戻った。あくまで恋愛主体のドラマである。記憶の不安定さと恋愛がリンクしていた。

『アンメット』は記憶喪失が「日常」であった。ちょっと珍しい。

喪失を補うために本人が毎日努力する。周りはフォローする。喪失することはしかたない、そこから頑張ろうというドラマである。「人の生きる姿」を描くドラマであった。そこに恋愛要素がたっぷり。

しめしあわせたような「記憶喪失ドラマ」の4形態

しめしあわせたように記憶障害ドラマが集まったが、それぞれの扱いが違っていた、というのもまた珍しい。

これこそしめしあわせてそれぞれの棲み分けを決めたようだが、まさか、そうではないだろう。たまたま、うまく行ったのだ。

そこが「記憶喪失」ドラマ祭りの奇跡のようにおもう。

印象に残ったのは『アンメット』

どれが印象に残っているかというと、私は、すべてが解決したかどうかわからない、つまりわかりやすい終わり方ではなかった『アンメット』である。

万人向けドラマではなかったが、ずっと覚えているドラマとなった。

あとは『9ボーダー』も気になるドラマで、爽やかで、でも気になる終わりかただった。名言もたくさんあった。覚えているもので一つあげるなら「一人でやっていきたかったら、人に頼れ」という言葉である。そのとおりだ。

『366日』と『くるり』はドラマとしてきちんとまとまっていたとおもう。つまり最終話でほっとしたドラマである。

そしてそういうドラマはあまり記憶に残らない。

それはそれでいいんである。ドラマと人生はそれぞれだ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事