死にたい気持ちは「ステイタス」:自殺とネットと若者と
■座間9遺体事件と若者たちの共感
若い女性が、見ず知らずの男性とネットで知り合い、二人で会って男の家へ。おじさん、おばさんからすると、信じられないような行動だ。だが、若者たちに話を聞くと、「わからなくはない」と言う。
ネットで知り合い、ネットで仲良くなり、慰められ、励まされ、そして実際に会うことも。若者がネットで知り合った人と会って被害を受ける事件が、年間1700件も起きているのに。若者たちの危機感は薄い。学校で散々指導を受けていることなのだが、それはわかっているのだが、それでも若者たちは会いに行く。
いや、ネットで知り合うこと自体は、もう悪いことでも、やましいことでもない。ほんの少し前なら、ネットで知り合った二人が結婚するときには、「ネットで知り合った」は秘密だった。でも、今なら堂々と言える。ネットで知り合って、殺されることもあれば、幸せな結婚をすることもある。それが現代社会だ。
<座間9遺体発見事件(9人ネット連続殺人事件?)の犯罪心理学>
■死にたい気持ちと生きたい気持ち
「死にたい気持ち」が広がる私たちの社会。今日も、"#自殺"(ハッシュタグ自殺)で探せば、大勢の死にたい声が聞こえてくる。
でも、若者たちの「死にたい」は、本当は「生きたい」。そして「幸せになりたい」。ただ、若者たちは幸せになる方法がわからない。悩み苦しみ、孤独と絶望の中で死にたい気持ちが高まっていく。
■若者の自殺
自殺者の中で最も多いのは、中高年男性だ。若者の自殺は、全体の割合としては少ない。とはいえ、全体の自殺数がこの数年減少する中、若者の自殺数は下がってはいない。若者の死亡原因の第一位は、自殺だ。
中高年の自殺原因は、病苦や経済苦など、比較的わかりやすい。ところが若者は、健康で、経済的困窮でもなく、家族も先生もいるはずなのに、死を選ぶ。子供の自殺は、周囲に大きな衝撃を与える。
若者は、他の世代以上に、自殺未遂が多い。また、自殺のサインを出しやすい。彼らは、自殺の予告をし、不確実で時間のかかる自殺方法を選びやすい。それは、狂言自殺ではない。演技でも嘘でもないのだが、若者の自殺行動は、高齢者の覚悟の自殺とは異なる。
心理学的に見れば、死にたいと語る若者たちも、実は幸せに生きていきたいと願っている。若者にとっての自殺は、命をかけた人生最後の賭けなのだ。
屋上に登り、フェンスを乗り越え、風に吹かれている。ドラマによく出てくるシーンだが、実際にもある。そこに誰か頼りになってくれる人がやってきて、共感し抱きしめ、問題解決に向かえれば、賭けに勝ったことになる。だが誰も来てくれず、寒くなり疲れてくれば、そのまま飛び降りてしまうこともある。
若者は本当は幸せになりたいので、だから自殺を考えるときも、美しい死に方、苦しくない死に方、寂しくない死に方を探す。
中高年の自殺予防には、うつ病の早期発見早期予防が効果的だ。だが若者の自殺予防には、効果的な方法がなかなか見つからない。
■インターネットと自殺
インターネットと自殺は、相性が良い。インターネットはその黎明期の頃から、多くの自殺情報に溢れていた。「自殺」で検索すれば、通常の書店では手に入らない自殺方法を紹介するようなページがいくつも出てきた。
自殺は、簡単には人と語りあえない。うっかり話せば、説教されることもある。しかし、インターネットでなら話しやすい。何の人間関係もない人相手に「死にたい」と語れる。自殺系サイトにいけば、説教されることもなく、共感してもらえる。ネットに自殺志願者が集まったのも当然だ。
ただ、ネット集団自殺の報道や2005年の自殺サイト殺人事件などをきっかけに、規制が厳しくなった。自殺系サイト、自殺掲示板では、自殺予告禁止、自殺の方法を教えるのは禁止、自殺に誘うのは禁止など、多くの禁止事項が並ぶ。
これは、訪問者にとっては窮屈だ。そこで、ツイッターなどで「#自殺」が使われ、人々がつながることになる。共感しあい、結果的に自殺予防的な交流になることもあれば、自殺に向かって背中を押されることもある。また犯罪に巻き込まれることもある。
■死にたい気持ちは「ステイタス」
大学の教室で、ある若者が語った。「死にたい気持ちはステイタス」。おじさんには、よくわからない変な表現だ。だが、うなずいている他の若者たちもいる。
「死にたい」と語ると、注目される、優しくしてくれる。それはまるで、デビューしたような、優勝したような、高価なブランド品を持つような。ちょっと知的で、おしゃれで、美しささえも。だから、死にたい気持ちは、ステイタスなのだ。
■死にたい気持ちの向こう側
現代の若者たちは、みんな優しい。そして真面目だ。怠け者も乱暴者もいるけれど、ブラックバイトで苦しみ、過労死するまで働くのも若者だ。女子学生だけでなく、男子学生も、互いに感謝の寄せ書きなどを送りあっている。友達に気を使い、空気を読むのが、若者だ。だから彼らは傷つきやすい。
衝突し、殴り合い、そして男の友情が生まれる「巨人の星」や「あしたのジョー」の世界は、もうない。
それでも、若者たちは、活躍の場を求めている。同時に、癒しの場を求めている。ネットを活用するのは素晴らしい。新しいIT企業も生まれてほしい。だが、活躍と癒しの場がネットしかないのは寂しい。
政府からネット規制の声も聞こえる。だが大切なことは、悪いサイトを潰すことではなく、良いサイトを作ることだ。頭ごなしの命の価値の押し付けではなく、共感と支援の場を作りたい。
けれども、それはとても困難だ。死にたい気持ちがあふれているネットで、ボランティア団体も行政も、小さな働きしかできていない。死にたい気持ちのたった一行の書き込み全てに、スピーディーに、かつ責任を持って丁寧に対応するのは、とても難しい。自殺予告を禁止する方が、ずっと簡単だ。
そしてネットの問題解決には、リアルの充実が必要だ。ネットの問題はネットだけでは解決できない。
チャラン・ポ・ランタンは、若者の心を歌う。「憧れになりたくて、スポットを浴びてみたいの。今はまだ夢だけど、いつかは私も、あの人のように」(「憧れになりたくて」作詞:小春)。
若者たちの死にたい気持ちの向こう側の心に、どのように応えて行くのか。それが結局は、自殺予防につながって行くのだろう。