ある中堅騎手が西日本豪雨に心を痛める理由は、11年前の7月の重賞制覇とつながっていた
11年前の丁度今頃の重賞制覇
多数の死者を出した今回の西日本豪雨。未曾有の水害の被害に遭われた方々を想い、心を痛めているのは心優しきジョッキーを始めとした競馬関係者も世間の方々同様だ。
そんな中でも、特別な想いを抱いているであろう騎手がいる。
“イッセー”の愛称で知られる村田一誠だ。
話は11年前2007年の丁度今頃、7月15日まで遡る。
この日、新潟競馬場で行われたのが新潟名物直線1000メートルで行われる重賞、アイビスサマーダッシュだ。
このレースで村田が手綱を取ったのはサンアディユ。同馬に跨るのはこれが初めてだった。
サンアディユはデビュー以来、それまで12戦全てがダート。これが初めての芝という事で13番人気のダークホース。単勝は77・1倍だった。
当時デビュー11年目だった村田は言う。
「僕自身、芝の短距離で強い馬の背中を良く知らなかった事もあり、返し馬の時も『ダート馬かなぁ?!』という思いで乗っていました」
勝ち負けに絡むとは思えなかったのが正直な気持ちだと続け、スタート後もその気持ちは更に大きくなったと述懐した。
「ダートのレースではモマれると駄目で、勝つ競馬は逃げ切りばかり。ところが初めての芝ということもあり逃げられなかったのでこれはもう厳しいだろうって思いました」
村田は1978年12月20日、新潟で生まれた。父・建志、母・容子の下、姉1人、弟2人と共に育てられた。建志(たてし)という名の父の職業は設計士。競馬とは無縁の家庭で育てられた。
競馬とのファーストコンタクトはいとこに新潟競馬場へ連れて行かれた時。
「もっともその時の新潟競馬場は場外馬券売り場として開かれていただけだったので目の前で馬は走っていませんでした」
だからすぐに騎手に憧れたわけではなかった。ただ、それから後、いとこは顔を見る度に騎手になることを勧めてきた。そして、それに感化されたのは村田自身よりも、両親だった。
「親が競馬学校の願書を取り寄せ、各種書類を送りました」
そんな流れで競馬学校を受験すると合格。「馬に乗った事もなかったので劣等生だった」と本人は言うが、無事、97年に卒業。騎手デビューを果たした。
デビュー直後は制裁も多く騎乗停止にもなったが、徐々に慣れて来ると危ない騎乗が減り、代わりに勝ち鞍が増えた。
01年にはグラスエイコウオーでG1・NHKマイルCで2着、翌02年には45勝をマーク。07年にはビッググラスで根岸Sを優勝し、デビュー11年目で嬉しい初の重賞勝ちも記録した。
同じ07年の7月15日に行われたのがアイビスサマーダッシュだった。
スタートが今ひとつで万事休すかと思った村田だが、途中から手綱を通して考えを改める手応えを感じた。
「ハミを取って走り出したので『あれ?!』と思いました。残り200メートルくらいでは『良いんじゃない?!』と感じ、ゴールの瞬間は自分でもビックリしました」
村田にとって自身2度目の重賞勝ちは嬉しい初めての地元でのグレードレース制覇となった。
「地元での重賞勝ちはやっぱり特別な感情が湧きました。友達やいとこも来てくれる事のある競馬場だし、少しは親孝行が出来たかなって思いました」
滞在競馬が当たり前だった頃は村田も新潟に滞在していた。トレセンからの直前輸送が当然になった現在はさすがに滞在する事はなくなった。それでも2人の子供を連れて実家へ送った後、競馬場入りするなど、他場とは違う地元ならではの行動をとっている。
事態急変も重賞制覇が奇跡につながった
地元競馬場での重賞勝利は、本来なら諸手を挙げて喜べるはずだったが、翌朝、事態は一変する。
7月16日午前10時13分、新潟県中越地方沖を震源地とした地震が新潟を襲った。最大震度は6強。いわゆる新潟県中越沖地震である。
負傷者や全壊、半壊の住家は多数。死者も15名出た大地震の発生を聞き、村田はすぐに実家に電話を入れた。しかし……。
「全く繋がらずヤキモキしました」
結論から言えば家族に被害を受けた者はいなかった。村田は言う。
「前の日に僕が重賞を勝ったから、お墓参りをして先祖に報告しようと家族で家を出た途端、地震が起きたそうです」
あまりの揺れの大きさに墓参りは中止。家に戻ると中ではタンスが倒れていた。
「家の中にいたら下敷きになっていたかもしれない。それを聞いてゾッとしました」
村田が重賞を勝ち、家族が先祖を想った事で奇跡が起きた。大切な命が救われたのだ。そんな経験をした村田だからこそ、今回の西日本豪雨の話をする時も心と口がつながっている。
「騎手会としても動くでしょうけど、個人的にも何か出来る事はしなければいけないと考えています」
近年、以前ほど勝てなくなった理由の1つに調教師試験の勉強に時間を割かれているという事がある。しかし、それは騎手としての大成を諦めたというわけではない。最後は旗幟鮮明に語った彼の言葉で〆よう。
「幸い、現在乗せていただけているオーナーや先生(調教師)は、普段の調教や競馬ぶりまで自由に任せてくださる方ばかりです。それだけに遣り甲斐があるし、責任感も感じています。応援してくださるファンの方がいるのもわかっているので、騎手としてもうひと花もふた花も咲かせたい。そういう気持ちを捨てた事はありません!!」
今年も間もなく新潟開催が幕を開ける。イッセーの活躍が被災者を含むファンを勇気づけてくれることを願いたい。
(文中敬称略、写真提供=平松さとし)