台湾が海外で中国情報を諜報?〜中国が台湾スパイをテレビに出すワケ(チェコ編)
中国国営テレビの報道番組「焦点訪談」は、今月11日から3日連続で、台湾の“スパイ”による中国に対する諜報活動の詳細を報じた。2日目の放送では、台湾の独立を目指す分子は、中国国内のみならず外国を舞台に中国の情報を集め、同時に中国の印象を貶める機会を常に狙っていると強調した。
中国は最近、しきりに台湾に対する強硬姿勢を見せ、きな臭さを漂わせている。中国は何を意図しているのか?
台湾スパイは野心満々の男?
「いつか(台湾)総統府の国家安全会議に入り、諮問委員になることを希望していました」
力強い声でこう話す男のインタビューを「焦点訪談」が報じた。
男は台湾の高雄の出身、鄭宇欽。1977年生まれ。鄭は民進党の前主席の助手を務めた経験もあるという。大陸での諜報活動に従事し、国家安全機関に逮捕された。「焦点訪談」は鄭についてそう説明した。
鄭は、台湾で情報学に興味を持ち、中国の国家安全機関の組織や仕組みについて研究し論文を書いていたという。
それ故に、台湾の情報機関が鄭に目をつけた、と中国・福建省ショウ州市(ショウの字はサンズイに章)の国家安全局幹部という人物が解説する。
番組は、鄭の人物像を「野心満々で、用心深い」と表現した上で、その活動の詳細を報じた。
鄭は2004年に中欧チェコの大学の博士課程にいた時に、李雲鵬という人物と知り合う。名刺の肩書は、在チェコ台北経済文化代表処の代表。台北経済文化代表処とは、国際的に国家として承認されていない台湾が外国に置く外交機関、言わば大使館である。その代表は大使に相当する。
台湾スパイがテレビで自白?
鄭はインタビューで、李についてこう話している。
「彼は国家安全局に在職していると、明らかに分かるように私に言いました」
鄭は興奮した。本物の情報機関の人物に会えたからだ。李に連絡を取り自分を売り込んだ。自分が書いた研究論文などをメールで送った。すると、李は鄭に対し、報酬を払うので情報機関のためにレポートを書かないかと持ちかけた。鄭は、喜んで引き受け、実際に何回かレポートを提出した。
2008年、鄭は一度、台湾に戻り恩師の勧めで台湾の復興テレビというテレビ局で番組作りに携わる。そこで呂家嘉という女性と知り合い、時事問題の情報集めを手伝ってくれないかと頼まれた。呂が言うところの時事問題とは、台湾と中国に関する、政治、経済それに軍事だった。
呂と復興テレビの真の姿について、「焦点訪談」は鄭自身に“自白”させている。“犯罪者”をテレビカメラの前に引っ張り出し、罪を自白・反省させるのは中国では常套手段だ。特に政治犯などに対し用いられる。
テレビ記者は女スパイ?
Q呂家嘉は当時どんな身分であなたと知り合ったのですか?
「彼女は記者として私と知り合いました」
Q復興テレビは何をしている所ですか?
「復興テレビは中国に向けて放送をしていますが、実際には軍の情報機関の外郭組織であることは皆知っています」
Q当時、あなたは呂家嘉の身分についてどう考えていましたか?
「彼女は台湾軍の情報機関のメンバーだと思っていました」
さらに、鄭が積極的に彼らに協力していった点についても、本人に語らせている
「だんだん私が彼らを主導していくようになりました。中国について知ろうとしても中国と台湾の間だけに留まっていれば、偏狭になります。国際組織を通じれば、その姿を100パーセント見ることはできないにしろ、比較的深く全体的に中国を理解できます」
スパイの仕事は学術会議で人脈作り?
呂は、鄭に大陸に行く機会を増やすよう促し、接触した専門家や学者が中台関係にどのような考え方を持っているのか、誰が利用できるかなどを知っておくように求めた。2011年から13年までに鄭は4回中国で学術会議に参加した。
先の福建省ショウ州市の国家安全局の幹部なる人物は、鄭が「台湾のスパイ機関に替わり」専門家や学者を物色して接触し、性格や専門分野などを漏らさず報告していたと強調した。
鄭はその頃には、自分が諜報活動に携わっていることをすでに認識しており、用心深くなっていた。経費を受け取る時には仮名を使い、チェコに設立した会社を通すなどしていたという。
呂は鄭を正式な情報員にしようとしたが、鄭は自らの政治的なキャリアに傷がつくのを恐れ、これには応じなかった。
福建省ショウ州市の別の国家安全局の幹部がその理由を次のように説明した。
「台湾の学界では軍事情報員や国家安全局のエージェントになると見下される。彼が国家安全会議の諮問委員になろうとすれば、この経歴が汚点になる。そのため彼はこれまで通り金と情報を交換する方式で協力を続けたいと申し出た」
実際には「焦点訪談」によれば、鄭は情報収集のために更に大きな仕掛けを使うようになる。