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[高校野球・あの夏の記憶]松井裕樹(現パドレス)が築いた三振の山

楊順行スポーツライター
写真は桐光学園3年時(写真:岡沢克郎/アフロ)

 それにしても、圧巻の数字だった。藤浪晋太郎(現メッツ)がエースの大阪桐蔭が史上7校目の春夏連覇を達成した2012年夏。桐光学園(神奈川)の2年生エース・松井裕樹(現パドレス)は、かつてないペースで三振の山を築き上げる。初戦、今治西(愛媛)から奪った三振がなんと22。そこまでの1試合最多奪三振は1925年、森田勇(東山中・京都)ら、5人が記録した19だったが、それを87年ぶりに塗り替えたのだ。

 最速147キロのストレートと、落差が大きく鋭いスライダー。前年の6月ころから、カウントを整えるタマとして取り組んだが、改良に改良を重ねて伝家の宝刀となった。神奈川大会では、46回3分の1を投げて68三振。今治西との一戦は3回までに7、6回まで13と奪三振ペースはまったく衰えず、8回終了時点で19とタイに並ぶ。そして9回。「もともと球数が多い投手だから、スタミナはある」(桐光学園・野呂雅之監督)と、球威はまったく落ちず、先頭打者から空振りの三振。あっさりと大記録に届くと、2死一塁のピンチを招いても動じない。口元がなにやら動いていたのは、

「相手の応援を自分の応援だと思い、歌いながらリズムを取っていました」

 と心臓もナミじゃない。6回途中から9回2死までは、これも大会記録となる10者連続三振だ。今治西の大野康哉監督がうめくのは、「終盤まで思い切って腕を振ってくるし、しかも直球とスライダーと腕の軌道がまったく同じ。低めには手を出すなと何回いっても、バットが止まらなかったのはそのせいでしょう」。そういえば今治西、73年のセンバツでは江川卓(作新学院・栃木、元巨人)から20三振を喫したこともある。もしかしたら、いくら三振を喫してもおそれずに振っていくのが伝統なのかもしれない。

初めての外野フライは2試合目の9回

 神奈川・青葉緑東シニア時代の松井は、3年時に全国大会で優勝。1学年下ながら、中学時代に対戦経験があった桐光学園の坂本憲吾外野手によると、「まっすぐは当たりそうになかったので、バントをした」ほど、当時から球威は群を抜いていた。11年の桐光学園入学後は、1年ながら中心投手の1人に。ひ弱だった下半身は走り込みと投げ込みで強化され、バランスの取れた体ができあがった。それが、同じ腕の振りからストレートと変化球を投げ分ける土台になっている。

 松井は、続く常総学院(茨城)戦でも19奪三振で完投。これでさえ自己が更新する前の記録に並ぶ数字で、「18くらい取られるのでは……と思っていたが、本当に取られた」(常総学院・佐々木力監督)というから、まるで劇画のようだ。「リリースだけに力を入れるように意識している」とは本人の言葉だが、それはソフトバンクと巨人で通算142勝した左腕・杉内俊哉がつねに口にしていたこと。常総の佐々木監督はいみじくも「杉内君に匹敵するような左腕」と表現した。

 ただ、常総学院もただ者じゃない。スライダーは振っても当たらない、それなら曲がる前に打て、という佐々木監督の指示に、各打者は投球と同時にピッチャー寄りに立ち位置を変えるなどの工夫で終盤、2点差まで詰め寄る。8回、2死二塁のピンチに、松井は自分に言い聞かせたという。「守備のリズムを考えれば、打たせて取るところは打たせて取る。だけどピンチでは、全力で三振を狙っていく」と、五番・飯田晴海を渾身の142キロ直球で空振り三振。9回には、チェンジアップを披露するなどでさらに2三振を奪い、5失点ながら苦しんで完投した。松井はいう。

「三振の数は意識しませんが、勝負どころで狙って取れたのはいい。先輩たちが声をかけてくれるので、心強かったです」

 3回戦で対戦する浦添商・宮良高雅監督は「とにかく、いままでに見たことがないタマ。22、19ときて、ウチは16三振くらいでおさまればいいんですが」と警戒したが、その試合の松井は「今日は打たせていこう」とギアをゆるめた。初回、浦添商の先頭打者に、三振を狙った122キロのスライダーを中前に運ばれたからだ。浦添商の各打者は、打席のもっともピッチャー寄りに立ってスライダーの曲がりぎわを叩こうとし、さらにノーステップ打法で重心の上下動を抑え、変化の軌道についていこうとした。それを察知した松井の対応が、ギアを一段落とすことだった。

「ストライク先行で追い込めば、打者は厳しいタマにも手を出さざるをえなくなる」(松井)という初回、ピンチはしのいだが三振はなし。2試合続けていた毎回三振が早くも途切れたが、「三振を取ることが目標じゃありませんから」。だが、場面によっては三振がほしい。3回、2死三塁のピンチにこの試合初めての三振を奪うと、6回までに6三振を積み上げた。さらに、4対0とリードの8回、先頭打者に一発を喫すると、その後はギアを上げて3者連続三振だ。9回にも、走者を出しながら3つのアウトをすべて三振で締めて合計12三振。3試合連続の2ケタ三振とドクターKの風格を見せつけて、桐光学園に初めての8強進出をもたらした。

 続く準々決勝は、光星学院(現八戸学院光星・青森)に惜敗したが、15奪三振。この一戦で記録した毎回&全員奪三振は史上7人目で、1、2回戦に続く三度の毎回奪三振は史上初めて。さらに、大会通算68三振は史上3位。歴代1位は83の板東英二(徳島商・元中日)だが、驚異の奪三振率17で板東と同じ6試合を投げたとしたら、通算は100を超える計算。どこまでも記録ずくめのドクターKだった。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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