Google Glassの再出発と、ウェアラブルの必然性について
Google Glassが現在のExplorer Programを終了し、Google XからNest創業者のTony Dadell氏のもとへ入ります。製品自体の失敗はウェアラブルの世界にとって大きな功績を残せたと評価できます。
ちなみに、僕はGoogle Glassユーザーの1人ですが、思いつくことは内蔵しているカメラを使った撮影ばかり。街歩きの撮影は(激しい発熱以外は)結構便利なんじゃないか、と思っています。
さて。
ウェアラブルデバイスが「どうすると失敗するか」という現段階での傾向を浮き彫りにした点が、Google Glassの功績だと考えています。すなわち、以下の3点がポイントだと思われます。
少なくとも、サンフランシスコの街中でかけていると殴られる危険性が高いので、なかなか都市ではかけにくいのですが…。
外側に常に向いているカメラは、社会の中で不信感を獲得する
Glassholeという、Google Glassをかけている馬鹿野郎を意味する造語が生まれるほど、Google Glassは公共空間の中で受け入れてもらえなかった存在です。カメラが外に向いていて、録画ランプの1つもないというのは、常に撮影されているのではないか、という不信感を与えました。
街中でGoogle Glassをかけていると殴られる原因の1つです。
アプリの少なさは多くの人に必然性を感じてもらうことができない
何が起きるか分からないから試してみよう、というのは素晴らしい探究心ですが、ほとんどのアプリがスマートフォンの方が快適に扱えるとなると、Google GlassでFacebookやTwitter、CNNのニュースなどを見る必然性を感じることができません。
ゾンビに追いかけられるランニングアプリは結構面白かったし、IngressアプリのようなAR、MRの世界を体現するアプリは成功すると思うのですが、まだ登場していません。
高すぎる
前述の通り、何が起きるか分からないものに1500ドルをかけられるかどうか。もはやギーク、あるいはイノベーターの踏み絵のようなデバイスだったかもしれません。いくら何でも高すぎる。この評価は非常に真っ当な意見だと思いました。
街中でGlassholeを理由に殴られると書きましたが、高すぎるという理由で、サンフランシスコの街中では殴られます。まあ、殴られてGoogle Glassと、オマケにiPhoneも奪われるわけです。だって、1500ドルが目の前にあるわけですから。
先日、「Apple Watchはなぜ優秀か?」という記事を書きました。アプリが揃う前に「通知の完璧な転送」というスマートフォンの役割を補完する機能を提供している初めてのデバイスとして存在しようとしているからです。
この取り組みが成功するかどうかも含めて、ウェアラブルデバイスについて向こう数ヶ月、注目して生きたいですね。