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改元で注目 京都に残る「鬼の子孫」八瀬童子の現在

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
八瀬童子の念仏講(筆者撮影)

八瀬童子――。比叡山延暦寺の麓に位置する八瀬地区(京都市左京区)に住む人々のことだ。彼らは天皇家と特別なつながりを持った人々だ。よく知られているのは、天皇が亡くなったときに棺を担ぐという役目だ。かつて民俗学者の柳田國男は「鬼の子孫」という伝説をその論考で紹介している。彼らはいまどうしているのか。平成最後の年、八瀬地区を歩いた。

八瀬童子の現在

念仏講(筆者撮影)
念仏講(筆者撮影)

 今年1月28日、八瀬地区で新年最初の念仏講があり、八瀬童子会の面々が集った。行事そのものは全国各地にある。念仏を唱えることで亡くなった方の供養をする仏事だが、八瀬のそれは天皇家とのつながりを感じさせるものになっている。

 彼らは後醍醐天皇から昭和天皇まで、世話になってきたと彼らが考えている歴代天皇を供養するのだ。八瀬童子が長年保存してきた古文書や装束、天皇家との関わりを示す一連の資料は重要文化財に指定されている。

 京都文化博物館がまとめた『八瀬童子―天皇と里人』によると、資料に基づき、八瀬童子と最初に深い関係を持った天皇は後醍醐天皇だ。この地区には後醍醐天皇に関する伝説が残っている。後醍醐天皇の比叡山逃避行時に、八瀬童子が輿を担いだというものである。

八瀬地区の現在(筆者撮影)
八瀬地区の現在(筆者撮影)

 童子というのは子供という意味ではない。同書によると童子とは、寺院衆徒のなかで実務労働を果たすものという意味だ。彼らは比叡山延暦寺の労務を果たし、八瀬に暮らし、林業を主たる生業にしてきた者たちだ。

 ちなみに柳田が言う「鬼の子孫」というのは、彼自身も指摘するように「一風説に過ぎない」。「鬼の子孫」という伝説をあえて柳田が取り上げたのは、彼らの風俗が京都のそれと変わっていた点が多かったからだという。

 なぜ変わっていたのか。そこに天皇家との独特の関わり方があったのだろう。

天皇家とのつながり

念仏講(筆者撮影)
念仏講(筆者撮影)

 一つの証拠が後醍醐天皇の綸旨(※天皇の側近である蔵人が出す公文書、これは1336年のもの)案である。彼らは明治天皇まで25通の綸旨を残していた。内容は租税免除の特権だ。寺社仏閣や貴族といった特別な地位にない、一般人が住む一集落に過ぎない八瀬にこれだけの公文書が残っていること。それ自体が特別なことなのだという。

 彼らは御所の輿丁(輿の担ぎ手)なども務めながら、その特権を昭和20年=1945年の敗戦時まで維持していた。戦後は八瀬の地でも、免税特権はなくなり、一般的な国の統治機構の中に溶け込んでいったが、他所とは違う風習や慣習はいまなお残っている。

 その一端が念仏講であり、天皇家に対する変わらない敬意だ。例えば、「八瀬赦免地踊」という行事がある。これ天皇によって税金を免除されていることを祝う踊りだが、2004年(平成16年)8月に、美智子皇后が赦免地踊をご覧になって詠まれた歌が、歌碑に残っている。

残された歌碑(筆者撮影)
残された歌碑(筆者撮影)

「大君の 御幸祝ふと 八瀬童子 踊りくれたり 月若き夜に」。

 八瀬童子会会長の玉川勝太郎さん(78歳)は昭和天皇の大喪の礼に「参列奉仕」した一人だ。明治、大正と天皇の棺を担いだ八瀬童子も戦後になると、宮内庁から「霊柩奉遷の補助者」として指定され、その役割は限定されたものになった。

 玉川さんはこう語る。「天皇陛下に対するご奉仕と敬意こそが八瀬童子会の根底にあります」

 彼らが大喪の礼で活躍したことが「史料として詳細に記されるのは、明治天皇大喪を始めとする」(『八瀬童子―天皇と里人』)。日本が近代化を進めるなかで八瀬童子の役割は再定義され、彼らが伝え続けてきた伝統が近代の中で「再発見」されていったものと言えるだろう。

 結果的に彼らは今でも、改元のたびにその「伝統」が注目されるようになった。

八瀬の伝統とは何か?

 八瀬童子に光を当てた一冊にノンフィクション作家の猪瀬直樹さんのデビュー作『天皇の影法師』がある。猪瀬さんは彼らの「伝統」の本質をこう記している。

 「八瀬の村びとは伝統とともに生きてきた。だが、伝統をかたくなに守りとおそうとしたのではない。(中略)慣習に奉仕するのではなく、むしろ慣習を彼らに奉仕させることが、彼らの伝統の知恵といえた」

 現在、八瀬地区はある種の観光地化が進んでいる。改元のたびに注目される八瀬童子会も高齢化が進む。次の時代にも彼らが残してきた、700年余の「伝統」は引き継がれていくのか。小さな地区は「天皇制」とは何か、という根源的な問いを内包したまま改元の時を迎える。

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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