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「ウクライナに千羽鶴」 が照らし出す無駄な善意の問題点 必要な支援とは何か?

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
(写真:イメージマート)

千羽鶴問題は繰り返されてきた

 ロシアの軍事侵攻に苦しむウクライナに千羽鶴を送る——。そんな行為がインターネット上で批判されている。こうした批判は、日本では災害のたびに繰り返されてきた。背景にあるのは、善意優先の支援が検証されてこなかったことだ。

過去の災害現場で……

 千羽鶴問題で筆者が思い出したのは、2016年の熊本地震の現場だ。被災して間もない体育館でこんな光景を見た。大量に送られた古着が段ボールからだされたまま山積みになっている。しかし、まだ着られるといえば着られるが......といったコンディションのものが多く、大人用と子供用の仕分けもできていなければ、大人用のサイズもバラバラだった。

 支援物資の仕分けを担当していたボランティアスタッフは淡々とした口調でこう言った。

「被災した方々それぞれに好みもありますからね。見ての通り、秋冬の衣類が多いんですよ。言い方は悪いのですが、衣類整理のついでに送られたものが混ざっているという印象があります。これから季節も変わっていくのでベーシックなもの、新品であることに越したことはありません」

そこで話題になったのが千羽鶴だった。

「これもお気持ちはありがたいけど……。正直、どう扱っていいのかわかりません」

困った物資を送る人々

 千羽鶴と衣類、ついで生の食品は扱いに困った支援物資として東日本大震災の現場取材でも多く名が上がっていた。

 気持ちを込めて折られた鶴を仕分ける手間、自分にとっていらない古着は誰にとってもいらないという思いに至らず、被災者にとってはありがたいだろうという思い込みで送る行為は国内でも問題視されてきた。特に鶴の場合、強すぎる善意で送られているものだけに扱いに困る。

「捨てるに捨てられない」「物資の置き場所は取るし、ほしいという人がいない」「本当はいらないけど、しょうがないから飾っている」という声は多く聞いた。

 もちろん、災害直後ではなく状況がある程度落ち着いた時期に交流のある人々から送られた千羽鶴を大切に飾るという人もいた。

 ニーズや受け入れ先の状況、送り先によって反応は変わるが、状況が刻一刻と変わるような時期に送るものではないということは言えるだろう。

「善意は善行にならず」

 キーワードは「善意は善行にならず」である。良かれという気持ちで取り組んだことが、結果的に迷惑になることがある。千羽鶴が仮にウクライナに届いたところで、誰にとって、何の支援になるのか。国内ですら扱いに困るものを送られたところで、せいぜい困惑しか生まれないだろう。

 とはいえ、善意をすべて否定しても始まらない。今回千羽鶴を送ろうと思った人たちも、何らかの形でウクライナの人々を支えたいと思う気持ちはあったから行動に動いたのではないか。

大切なのは寄付

 善意でできることの一つは、自分がやりたい支援を手助けする寄付だ。送り先は支援したい内容によって変わる。

 避難した人たちを助けたいという目的ならばUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、医療支援ならば日本赤十字社、あるいは「国境なき医師団」といったところが実績も十分な寄付先になる。国内で十分な活動実績があるNPOも動き出しており、その動きはニュースになっている。

 NPOに寄付をする際、判断基準になるのはこれまでの活動実績とともに、受け取ったお金の使い道を定期的かつ適切な方法で公開しているかどうかだ。お金まわりの情報公開はNPOにとって、きちんとした事務スタッフを抱えているか、言葉だけの団体ではなく実務能力を伴っているかを測る指標になる。

 戦争下のウクライナだけでなく、必ず日本で起こる次の災害に備えるためにも支援のあり方、そして善意の向かう先を考え直す必要がある。

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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