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科学的争点なき原発処理水放出一週間 中国の主張はどこまで妥当か?

石戸諭記者 / ノンフィクションライター
(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

科学的に言えること

 東京電力福島第一原発処理水をめぐる問題が連日のように報道された一週間になった。福島の漁業に与える影響はどうだったか。水産庁は東京電力福島第1原子力発電所の周辺海域で採取したヒラメとホウボウの検査結果を公表した。予想された通り放射性物質のトリチウムの濃度は検出下限値を下回っていた。

福島民報によれば放出から一夜明けた市場でも大きな値崩れはなかったどころか高値の取引される魚もあったという。日経新聞の世論調査によれば原発処理水放出について「理解」が67%、毎日新聞の世論調査でも放出評価は49%(評価しないは29%)に達している。

 SNSで熱く反対する人はゼロにはできない。彼らの多くは「立憲民主党,共産党,れいわ新選組を支持する投稿を拡散したアカウント」であることは、先行研究(鳥海不二夫「処理水の放出に反対しているのは誰か」)が示唆しており、簡単に支持政党を変えることはないし、今後、彼らの主張が正当だと思える証拠が今後、ほぼ出ないだろう。

「常磐もの」の価値が市場でも揺らがなかったことは大きなポイントになる。

消費者庁の調査でも、県産品の購入をためらう人の割合は年々減っており、23年は5・8%にまで下がった。今回、「このタイミングで寝た子を起こすな」的な批判も多かったが、それも喜ばしいことに杞憂で終わりそうだ。市場も値崩れなしということで、多くの人は淡々と受け止めており、このまま安定的な価格で流通が進めば、手に取る消費者も増えていくように思える。

争点は科学なのか?

写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 ここであらためて整理しておこう。今回の放出で争点は科学的にはほぼなく、社会的な争点一本に絞られていた。科学的な争点がないといえる根拠はこうだ。

 海洋放出自体は、世界的に見ても標準的な方法であり環境に与える影響も極めて限定的であること、もっと踏み込んで言えばほとんどといっていいくらい無いというのが科学的な結論である。それはIAEA(国際原子力機関)も認めている。国として反対している中国も原子力関連施設はトリチウムを含む水を海洋に放出している。野党が反対姿勢を鮮明にした韓国も同様だ。元々自然界にもあるトリチウムを放出し、それが原因で環境に問題を起きたのならば国際的に説明するのが両国政府の責任だ。

 IAEAに日本が分担金を出したり、人材を派遣したりすることを根拠に、本当に中立的な見解を出せる機関なのか、疑問を投げかける新聞記事も一部にはあった。国連も含めて国際機関に各国が一定の分担金を出すのは当たり前の話である。IAEAも例外ではなく、2023年度予算ではアメリカが25%超、中国が14・5%、日本が7・7%--といったように、特に先進国を中心に経済規模に見合った額を出し合っている。

 IAEAが分担金の割合で動く組織ならば、福島の処理水を巡って強く反対する中国の意向をより重く受け止めるインセンティブが働くと論じるのが筋だが、まったくそうはなっていない。この事実は、分担金で日本優位なレビューを出すほどいい加減な組織ではないことを意味する。

中国の姿勢は妥当か?

 IAEAの見解を支持しない国は圧倒的な少数派だ。現状、最大の問題は中国の禁輸措置だが、ここは朝日新聞の8月26日付の社説でも書かれている一文を引用しておこう。

「科学に基づいた協議の呼びかけに応じてこなかったのは中国の方だ。健康や安全をめぐる正確な情報を欲する中国の消費者に対しても、誠実な態度とはいえまい」

 この社説でも続けて書かれているように日本と中国の漁船が競合する海域があるにもかかわらず、日本の漁船が取れば禁輸、中国漁船が取ればオッケーというのは明らかにおかしい。

 仮に中国が今回のような強い政策に舵を切った時、日本の水産物の販路をどうするのかなど日本政府の外交のまずさを指摘する声もあるだろう。そこでも考慮しなければいけないのは、はじめから中国は処理水放出を政治的なカードにしようとしていたことだ。どれだけ科学的な説明をしても応じない中国の出方で処理水放出時期を決めるほうがおかしいし、放出後に広がった中国から日本への苦情や嫌がらせ電話も対応する責任は中国政府にある。こうした中国の姿勢をまずは強く批判する必要がある。

今後の検証課題は?

 今後の課題は北海学園大の浜田武士教授(漁業経済)が毎日新聞のインタビューで指摘していたことに尽きる。「経済産業省の専門家部会が「海洋放出が最も低コスト」とする結論を出し、海洋放出に道筋がついたのは16年だ。しかし経産省はその後、処理水の取り扱いを議論する別の小委員会を設置してさらに議論を長引かせた。政府が16年に海洋放出を決め、国内外への理解醸成を地道に進めていれば、社会的なインパクトはもっと和らげられたのではないか」

 すなわち放出決定を先送りしてきた過程の検証と、福島漁業の再生への道筋を描くことだ。放出をめぐる議論の進め方に問題があったことはあった。それは漁業関係者の納得の調達という側面と、決定を先送りにしてきたという側面から問われる必要がある。タンクがいずれ満杯になることはわかっていたことだ。

 本当に今が最良のタイミングだったのか。もっと早くできたのではないか。

 関係者とのコミュニケーションは最善を尽くしていたのか。

 国として福島の漁業再生のためにどのようなビジョンを描き、インセンティブを設計するのか。

 問われる論点はこれだ。

 原発は国策で進められ、東京電力が福島で事故を起こした。原発の恩恵を受けていたのは首都圏の住民だ。福島に限らず原発の恩恵を受けていたのは多くの国民であり、日本経済そのものだ。事故を起こしたのは東電であり、補償もまた実質的には国策で進められる。メディアにも原発事故の行方を見届け、検証する責任が課せられている。原発への立場、政治的な立場はどうであれ福島の復興に向けて必要な事実であることを記しておきたい。

記者 / ノンフィクションライター

1984年、東京都生まれ。2006年に立命館大学法学部を卒業し、同年に毎日新聞社に入社。岡山支局、大阪社会部。デジタル報道センターを経て、2016年1月にBuzzFeed Japanに移籍。2018年4月に独立し、フリーランスの記者、ノンフィクションライターとして活躍している。2011年3月11日からの歴史を生きる「個人」を記した著書『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)を出版する。デビュー作でありながら読売新聞「2017年の3冊」に選出されるなど各メディアで高い評価を得る。

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